第140話 誤解されている憲法九条

 五月三日は憲法記念日。この記念日があったことは有意義だ。堅苦しい憲法など若者は見向きもしない。しないからご認識した大人の言うことを事なかれ主義で鵜呑みにし、いつしかそれが正論のように誤解してしまう。その流れを少しでも食い止めるにはいい記念日だ。

 この記念日に取りざたされる定番は、憲法九条だ。マスゴミは予断を許さない国際状況下でも「戦争は嫌だぁ」「武力行使反対」なら軍事力強化は不必要、と国民を煽る。マスゴミが天下の宝刀のように使う憲法九条の真意は、愚かな解釈によって誤解を招かせている。

 日本国憲法は簡単に言えば、日本が大東亜戦争に敗北し、欧米諸国から過ちを犯した日本の暴走を食い止めるため、国際規約を重んじるように制定されたもの。マスゴミや日教組が軍事力強化を憲法九条に違反していると騒ぐのは論点が誤っている。マスゴミや日教組が話題にするのは大日本帝国憲法を見据えたもので最早存在すらしないものを根拠として掲げている。

 日本国憲法が制定された当時、世界にはドイツ国法的な憲法解釈と英米法があった。日本国憲法は英米法を基本として作られている。ドイツ国法学を基本と思い込んでいるマスゴミや日教組は、憲法は国家に対する足枷として捉え、自衛隊はけんぽ違反だ、日本は戦争放棄している。やられてもやり返せない、黙って敗北を受け入れろ、と騒ぐ。都合が悪くなれば、話し合いで解決しろと声を荒げる。彼らの論理では戦争を仕掛けられれば、白旗を上げて被害を抑える思考で、その白旗を上げた国民や資産・文化の事など論外になっている。

 日本国民は騙されてはいけない。マスゴミや日教組の唱えるのは、今はなき大日本帝国憲法下の話で現在に則していないことを。勝戦国から押し付けられた新たな憲法を訳す際に悲劇が起きたのが原因だ。英米法がベースの法律をドイツ国法学として訳したのが大間違いだった。戦争時は英米語禁止などがあり、突如突き詰められた憲法の解釈時に同盟国だったドイツの憲法に詳しい有識者が翻訳したのが原因のひとつだ。ドイツ国法学は、憲法によって国民を縛り、国家の思うままに動くことが想定されており、独裁国家の原点でもある。中酷・露西亜・北朝鮮など他国に喧嘩を売って勢力を拡大しようとする思考で成り立っている。その思想から武力行使を取り除いたようなものであり、柚子胡椒と言いながら胡椒が入っていないようなものだ。

 英米法をベースに作られた日本国憲法を正しく理解する必要がある。ドイツ国法学は独裁国家に見られる国家法人説や国家有機体であり、それに反し、英米法は社会契約法である大きな違いが不幸にも混ざり合ってしまった悲劇が今の日本の憲法論争になっている。スタート位置が間違っているからマスゴミや日教組に言う論調は既に破綻している。日本国憲法が成立した際、ほぼ同時に国連憲章や日米安保条約が制定されている。言い換えれば日本国憲法は、国連憲章や日米安保条約と連動して制定されていると言う事。国際社会契約の法の中で履行されることが正しい日本国憲法の履行の在り方であることが証明されている。

 日本国憲法にある戦争放棄の誤解。憲法にある戦争放棄とは戦争をしないことではない。ウクライナ侵攻や中酷による台湾侵攻、北朝鮮による缶酷侵攻のように武力による現状変更を行わないことを指す。武力による現状変更を抑止することは戦争ではなく、自衛だ。そのために自衛隊がある。守りは最大の防御と言われるが、鉄壁の守りとは国連憲章にあるように自国を攻める用意のある国に対して国際的認識を得た上で先手攻撃を行うことは戦争を仕掛けるものではなく、また無作為にその国の国民を被害者にするものではなく、軍事施設を攻撃するものであり、防御の一環だと認証されている。現状変更に対して「死」を待つのみ等とどこにも書かれていない。露西亜のように民間の住居を攻撃するのが戦争であり、軍事施設を攻撃するのは防御であることを改めて認識する必要がある。やられたらやり返すでは遅いのです。やられる前にやられないようにするのが被害低減や問題解決の解決に繋がる。自衛権を行使してる間に同盟国でなくても国際秩序によって助けを請う。それが今の世界の戦争回避のシナリオだ。やり返すのは戦争ではない、自衛権だ。日本からは武力による現状変更を行わいと言うのが戦争放棄であり、言葉の独り歩きで誤解を招いている点だ。国際法の許す自衛権は、自国を攻めようと準備している相手領土にある策源地の攻撃を容認している。これを先制攻撃だとマスゴミや日教組は騒ぐが、相手に思いとどまらせる、または暴走に気づかせる行為であって戦争ではない。戦争と自衛権をミックスジュースにしても頂けない。

 日本が武器を持てば相手国を攻撃するためだと騒ぐのは論外もいい所だ。自国も相手国の被害も抑えるためには高度な技術のある兵器が必要だ。ザックと攻めて被害を拡散するよりピンポイントで攻める方が人命を守る観点からも有効的手段だ。

 悲しいかな話し合いで解決しない問題は多々ある。それは基本的な価値観・思考が国際的に共有されていないからだ。いい例が宗教戦争だ。考え方の違いによる争いは避けがたい今、被害を最小限に抑えるために国連憲章の自衛権がある。憲法九条の第二項にある交戦権の否定は、まともな国では存在しない。交戦権とは武力行使で相手国を侵略するものであり、まともな国にはそんな法律はない。これも大日本帝国と日本とのあり方の解釈の誤りからでた弊害だ。当時と今は違う。各国が単独で生きられる時代ではない。完全なミスマッチを起こしているもので排除されるべきニキビのようなものだ。気に入らない国があれば攻撃するなどまさに露西亜と中酷ならではの考え方で日本の考え方とはそぐわない。

 朝鮮人民軍とか人民解放軍・海兵局とか露西亜軍のような戦争を目的とした集団を持たない。正し、国民の生命・財産を守るため軍隊を持たないと明記されている日本憲法は改訂し、迅速かつ効率的に自国・国民を守るために自衛隊を軍に昇格させることは自国を守るのみならず、敵国への抑止になることは忘れてはいけない。駄目押しで日本が軍を明確化しても戦争を仕掛ける国にはならない。貿易に他より国際社会との繋がりを重視する日本が戦争を起こせる訳がないのを周知することだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る