夜に爪を切る
鈴木松尾
夜に爪を切る
五才の頃、じいちゃんが死んだ。ボクらはテレビに映ると思ってはしゃいでいた。母さんに「テレビ来る?」と何回か聞いた覚えがある。当時のボクは亡くなった芸能人のことを報じているのをテレビで見た。だから、ボクのじいちゃんが死んだときも同じようにテレビで放送されて、ボクらも映るんだと思っていた。
じいちゃんが何が原因で死んだのかは分からないけど、病院で死んだからなんかの病気だったんだろうな、と思う。通夜と火葬の事は覚えていない。死んだ直後の事はよく覚えている。
母さんによると、死ぬ前の三週間ぐらいを病室で過ごした。母さんとボクら兄弟でじいちゃんと同じ病室に寝泊まりした。二つのベッドがある個室で、病院からすると通称、二人部屋、の事だと思う。寝るときは窓際のベッドにじいちゃんが居て、ドアに近いもうひとつのベッドにボクら兄弟が居たらしい。ボクらはまだ小さかったから、二人でひとつのベッドで十分だった、と母さんから聞いたことがある。母さんは二つのベッドの間で、横に折り畳み出来る簡易ベッドで寝ていた。
母さんは病室からボクらを保育園に連れて行ってくれた。化粧をしていない母さんがじいちゃんの顔をよく見ていた。隣で弟が何をしていたかとか全く覚えていない。母さんの顔には表情がなかった。
じいちゃんはボクのことをよく「あんちゃん」と呼んだ。「なんであんちゃんなの?」と母さんに聞いたことがあって「玲次のお兄ちゃんだから」という答えに「ふーん」と言った。それからはじいちゃんが「あんちゃん」と呼ぶとボクのことだと思えた。「あんちゃん、あんちゃん」。今までボクのことをあんちゃんと呼んでくれたのはじいちゃんだけだ。
じいちゃんが二階にある自分の部屋でお経を唱える始めると、弟はずんぐりむっくりの短い足でよたよたと時折、よつんばいで階段を登り、じいちゃんの部屋に入って行くと聞いた。母さんがすぐそばで、落ちないように構えていたんだと思う。ボクはその場面を見た事がないが、あんちゃんの話のセットで必ずこの話になるので、覚えている。弟は鐘を鳴らしたいらしかった。じいちゃんは鐘を鳴らすのを弟に譲っていると思うし、あの短い足で階段を降りれるはずがないから、お経が終わるまで一緒に居て、じいちゃんが弟を一階の居間まで下ろしたんだと思う。
おばあちゃんはボクが生まれてすぐに亡くなったから覚えていない。じいちゃんと母さんは似ていてボクは母さんに似ている。今、自分の写真を見るとじいちゃんに似てるな、と思う。
ある朝、じいちゃんは死んだ。母さんが起きたばかりのボクらをトイレに連れて行く、とじいちゃんに言って、じいちゃんは頷いたらしい。トイレから戻って、母さんがじいちゃんに「戻ったよ」と言ってもなんの返事もないから、母さんがじいちゃんの目の前で手を振っても反応がなくて、鼻と口の近くに手を出しても何も感じられないでいて、それでブザーを押して「父が息をしていないんです」と伝えた、と聞いた。その後、ボクらの部屋に来た病院の先生が「ご臨終です」と言ったらしい。ボクが覚えているのは、真っ直ぐに天井を見て、口を開けているじいちゃんだった。「じいちゃんが死んだ」と言ってボクらは病院中で言い回った。「テレビに映るんだよ」とも言った。テレビカメラは来なかったが、待っていた訳でもなくて、そう言って遊んでいた。楽しかった思い出しかない。
火葬場へ行く前にじいちゃんの口に、じいちゃんが好きだったというお酒が注がれたのを見た。じいちゃんは死んだときのままだ。目と口が開いている。じいちゃんがお酒が好きだったのを初めて知った。
夜に爪を切る 鈴木松尾 @nishimura-hir0yukl
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