第9話 夏、漣
あれから俺はよく彼女に会いに行くようになった。
特に用がなくても、帰り道に病院が目に入ると、ふらっと足が病院へと動いていた。
ただ、彼女と他愛もない話をし、別れを告げ帰路に着く。
それの繰り返し。
大嫌いだったはずの病院が、今では日常のほんの一部になるほどには、通いつめていた。
そんな日々を送り、気がつけば満開に咲いていた桜は散り、木々が青々と生い茂る、暑い暑い夏がやってきた。
ミーンミンミンミン
「あー、あっちー。」
3時間目の授業が終わり、4時間目に入る前の中休み、次の授業が移動教室のため、篠田と一緒に科学室へと続く渡り廊下を歩いていた。
半袖のシャツの腕を更に捲り、胸元のボタンを2つほど開け、だらしなく制服を着崩した篠田が団扇で扇ぎながら呟いた。
斯く言う俺も、人のことを言えないくらい着崩し、顎に伝う汗を手で拭う。
無理もない。今日は世間的に言う猛暑日だ。
現在の気温は35℃。暑くない訳がない。
今すぐクーラーのガンガンに効いた自宅の部屋に入りたいくらいだと、頭が現実逃避に走る。
「おい、あんまりこっちに向けて扇ぐな。お前の汗くせー匂いがくる。」
「拓磨君、君ちょっと最近辛辣すぎやしないかね。」
団扇で扇いでいた篠田に、顔をしかめて俺は毒をはいた。
それに若干泣きそうになりながらも篠田は、何を思ったのか近づいてくる。
「この野郎、そんな奴にはこうしてやる!」
「うわ!やめろ馬鹿!抱きつくなよ!余計暑くなんだろ!」
「ええい!だまらっしゃい!お仕置きじゃい!」
「何のだよ!汗臭い野郎より女子の香りのほうがいいに決まってんだろ!」
なんてふざけていると、
キーンコーンカーンコーン
「「あ、」」
バタバタバタ
「やばいやばい!」
「お前のせいだぞ、篠田!」
ガラガラ
「よし、篠田と瀬名は遅刻だな。」
「えー!そりゃないよ松ちゃん!」
「誰が松ちゃんだ!いちゃいちゃしてないで早く席に着けよー。」
「ちょ、いちゃいちゃなんてしてないですよ、やめてください!気持ち悪い。」
「拓磨君?!だからさっきからひどいって!」
「くっそー、何でよりによって今日は来るの早いんだよー。いつももっと遅いじゃん。」
「なんか言ったかー?篠田。」
「何でもありませーん!」
「腹減ったなー!早く屋上行こうぜ、拓磨ー。」
「ああ、今行く。」
4時間目も終わり昼休みに入ると、俺達はいつも通り屋上へと向かう。
「松ちゃん、何もあんなに怒ることないのになー。」
4時間目は散々だった。
問題の回答を名指しで当てられるは、実験の準備を手伝されるは、授業の終わりにノートや教材を職員室まで運ばせるは、まあ、いろいろやらされた。
…遅れた俺達が悪いけどな。
なんて松ちゃんの愚痴を言っている間に屋上に着いた。
ギィー
屋上への少し錆び付いた重い扉を開けると、一瞬ザァッと俺達の間を風が通り抜ける。
屋上には安全防止のため、柵が張り巡らされており、味気無いコンクリートと、屋上へと繋ぐ階段の入口、貯水タンクがあるくらいの殺風景な中に誰が植えたのか、プランターには色鮮やかな花が咲き誇っていた。
コスモスやゴデチア、トルコキキョウにペチュニア、マツバボタン、アサガオなど結構な種類の花が咲いている。
俺達はそれを横目に、屋上の一番奥の角のほうに腰を下ろす。
俺が弁当の包みを開けたると、篠田がふと声をかけた。
「なあ、拓磨。」
「ん?」
「お前、最近帰りにどこ寄ってんだ?」
「…なんで?」
「いや、なんて言うか、最近お前ぼーっとしてるし、雰囲気?が優しくなったなって、思って。何でかなって考えてみたら、そう言えばお前が用事があるって早く帰った次の日は特に優しい顔してるなって。」
「…そう、なのか?」
篠田に言われた言葉に俺はドキッとした。
別に疚しいことはない。後ろめたいこともない。
ただ、自分のこの感情に触れそうになると、何故か緊張してしまった。
「佐々木さん、に、会いに行ってる。」
「…惚れたのか?」
一瞬、篠田が目を開くのがわかった。
「…わからない。」
「誰かに無性に会いたくなる?」
「…ああ。」
会いたくなる。彼女の側は落ち着くのだ。
「その人のことをもっと知りたくなる?」
「ああ。」
知りたい。彼女の全て。過去も、今も。彼女の願いや夢もなんだって知りたい。叶えてやりたい。
「その人には笑っていてほしい。」
「ああ。」
笑っていてほしい。ずっと、ずっと。
彼女のことを考えると、胸がぎゅっと締め付けられる。
彼女のことを考えると、胸がポカポカと温かくなる。
…ああ、そうか。
俺は、佐々木さんが好きなのか。
すっ、と心の中の靄が晴れた気がした。
「そっかあ、拓磨に春が来たのかー。」
「なんだよ、その古臭い言い方。」
「なーんか俺、寂しいなー。」
「ははっ、何でだよ。」
「俺の拓磨を取られた気分。」
「うわ、きもい。」
「即答だな、おい。」
「なあ篠田。」
「んー?」
「ありがとな」
「ははっ、何がだよー。…どういたしまして。」
やっぱりこいつといると気が楽だ。
こいつは俺以上に俺のことをよくわかってるから、俺が嫌がることはしないし、踏み込んでほしくないところの線引きもしっかりしてる。
そのくせ、こうやって俺が困ったり迷ったりとしていれば、すぐに気付いて俺の手を引き、導いてくれる。
俺には、こいつ以上に頼れるやつはいないだろう。
こいつは俺の大切な幼馴染で親友だ。
もはや、兄弟とすら思える。
これを言えばこいつは調子に乗るから、絶対に言わないけど。
「あ、なあ夏休み海行かねー?」
「…いきなり何の話?夏休みまだ先だよな?」
…絶対に言わない。
見慣れた帰り道。『ボク』の後ろで叫ぶのは―。
死にたがりのボクともうすぐいなくなるキミ @rei_20
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