「なんで灯りつけないのー?」


 事務所の中は暗く、自分の椅子に座った浩太は全面ガラス張りのそこから外を見ていた。


「いつも言ってるじゃない、美弥ちゃん。

 ノックくらいしてって」


 こちらを見もせずに、そんなことを言う。


 へいへい、と言いながら、美弥は側まで行った。


「奇麗ねえ、此処から見ると。

 田舎なのに、結構灯りあるんだ」


「民家の灯りも混ざってるよ。

 だから、町中より遠くの方が奇麗だ」


 浩太は肘かけに頬杖ついたまま言う。


 美弥がデスクの上にカシャリと物を放ると、ちらとこちらを見た。


「お気に召さないんなら、返しましょうか」


 そこに置かれた此処の鍵に、浩太は何も言わずに視線を逸らす。


「結局」

「んー?」


「O型の血って、誰のだったの?」


「あら、その話?」

と美弥は笑う。


「せっかく調べたけど。

 あれ、犯人のだったわ。


 あの男、見えないところに怪我してたの。

 それもあって、しばらくやらなかったのね」


「返り討ちにあってたんだ?」


「そう―― たぶん、八巻さんに」


 ふうん、とさして興味もなさそうに、浩太は組んだ自分の足許を見つめている。


「知ってた?


 八巻さんの会社で、たむらのお菓子が主に使われ始めたのって、本社に行ったとき、手土産に持ってったら、八巻社長がえらく気に入って、それからなんだって」


「つまり、あの日、八巻さんは、たむらを訪れてたってわけ?」


「あの男、私みたいに自分が配達する範囲の住民のときは、住所わかってるから間を置いてやってたけど。


 たぶん、八巻さんみたいに知らない人間のときは、すぐにやってたんじゃないかと思うの。


 そうじゃないと、見失っちゃうからね」


「じゃあ、配達直前か、閉店間際に八巻さんを見たってわけか」


「たぶんね。

 それで川原まで付けてった」


「八巻さんって、結構恰幅のいい男だけど、そういうこと考えなかったのかな?」


「そういうのがまたスリリングなんじゃない?


 知らないけど。


 まあ、実際、八巻さんは柔道の有段者だったらしく、犯人は返り討ちにあって、恐らく、すたこら逃げだしちゃった――」


「あの男が刺したってことはないの?」


「それなら、凶器は通り魔の凶器だったはずでしょ? 

 たむらのナイフなはずないもん」


「また、連携プレーかと思ったよ。

 通り魔と前田さんの」

と浩太は笑う。


「ま、或る意味、連携プレーだったわね……」

「え?」


「通り魔とじゃないわよ」

 そこで美弥は言葉を止める。


 いつの間にか浩太のデスクに腰掛けていた美弥の表情の浮かなさに、浩太はようやく正面からこちらを向いた。


 そのことに関しては答えないと思ったのか、浩太は質問を変える。


「ねえ、さっきから推定の台詞が多いけど、犯人吐いたんじゃないの?」


「他の事件に関しては。

 八巻さんのことは、はっきりとは……」


「なんで?」


「自分が八巻さん殺しの犯人だと思われたくないからでしょ?


 ……いっそ、誤認逮捕してくれないかしら。


 ああ、いやいや、こういうのがいけないのよね」

と美弥はひとり自問自答する。


「八巻さんは、通り魔にあったことは誰にも言ってないんだね?」


「言ったんじゃない? 前田さんには。


 でも、八巻さんはその直後に殺されたから、誰にもそれは広まらなかった」


「前田さんは通り魔に襲われたときには、居なかったのかな?」


「居なかったと思うわ。


 犯人は一人のときを狙ったろうし、例えば、前田さんがその場に通りかかって、参戦していたのなら、犯人は、八巻さんを襲ったことをあっさり自供する気がするの。


 自分の他に居たあの男が怪しいって。


 だから、前田さんがあの場に行ったのは、すべてが終わったあとか、終わる直前、犯人が逃げ出す頃じゃないかしら」


 なるほどね……と浩太は呟く。


「自分が黙っていたせいで、君まで狙われたと思って、ついに行動を起こしたわけか。


 でも、それなら、正体がバレないよう警察に通報すればよかったのにね」


「だからたぶん、前田さんも、八巻さん自身も、そんなに決定的なことは知らなかったのよ。


 なんせ襲われたのは、あの灯りのない川原でしょう?


 でも、なんらかのヒントになるようなことは知っていた。


 だから、試してみたんじゃない?


 それと―― もしかしたら、私たちに手柄をくれるために」


 義理堅い人だからね、と美弥は呟く。


「でも、それが原因で捕まっちゃ駄目じゃん」


「だから、前田さんは別に逃げ続けるつもりはないのよ。

 ただ……言い出せないだけ」


 ふーん、と言った浩太に、ねえ、と呼びかける。


「ほんとはこんな話したいんじゃないでしょ?」


「なに? もっと艶っぽい話の方がよかった?」

と浩太は笑って見せる。


「それ、付き合ってあげてもいいけど。

 行ってきたら? 浩太」


 浩太は俯く。

 両の肘掛を強く握っていた。


 その姿を見守っていると、浩太は、やがて勢いつけて立ち上がる。


「すっごく死ぬほど行きたくないけどっ。

 人として行ってくる!」


 僕の名誉のために、と言う。


「……行ってらっしゃい」

と微笑むと、浩太はおもむろにポケットから鍵を取り出した。


 それをデスクにあった美弥の鍵の上に放り投げる。


「浩太、此処、オートロック」


「待っててよ。

 すぐ帰るから」


 掛けてあった薄手のコートを手に出て行く。


 パタン、と閉まる音を聞きながら、鍵持ってたってことは、やっぱり行く気だったのかな、と苦笑する。


 一体、いつから、鍵を握り締め、此処にこうして座っていたんだろう。


 そう思うと可笑しくなってくる。


 重なった二つの鍵を見ながら、美弥は小さく呟いた。


「行ってらっしゃい―― 浩太」



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