救急車

 

 

 すぐにやってきた警察と救急車、それに野次馬で寺の前はごった返した。


 やはり龍泉さんひとりに任せていて悪かった。

 今度からボランティアで夜回りをしようなどと、町の人たちが言っていた。


 救急車はもう行ってしまっていた。


 美弥も付いて行きたかったのだが、美咲が出てきたので遠慮した。


 何か言われるかと思ったが、彼女は救急車に乗る直前、振り返り、ただ、

『……大丈夫ですか?』

とだけ問うた。


 こくりと頷き、下がった美弥の前で、ドアは閉められる。


「大変だったね、美弥ちゃん」


 そう声をかけてきた三根に、

「なんだか何度も三根さんからその言葉聞いてる気がするんですけど」

と力なく笑う。


 自分が大変なのならまだしも、今回は龍泉だ。


 タクシーで自分も病院に行こうと思いながらも、他に気になっていることがあった。


 三根の簡単な事情聴取を終えて、美弥は人気のない方に向かって歩き出した。


 きっと彼はそっちに居るだろうと思ったから。


 浩太は離れた暗がりに立っていた。

 何をするでもなく、月を見上げている。


 その手にはまだ、通報したばかりの携帯があった。


「浩太」

 美弥ちゃん、と振り返った彼は、意外にもいつもの冷静さで言った。

 あれ、例の通り魔だよね、と。


「うん、たぶん」

「あいつ、おかしいよ」


「え?」


「あれって、通り魔じゃないのかも。

 だって、僕の方が近かったし、位置的に狙いやすかったはずなのに。


 あいつ、女しか襲わないわけじゃないだろう?」


「そういえば……。

 うん、そうね」


「僕を素通りして、君のところに行った。

 いや、恐らく、タイミング的に、寺の灯りで君の姿を確認してから、自転車を速めたんだ」


「最初から私を狙ってたってこと?」


「そうかもしれない。

 ごめん。

 僕も気づいたときには、後ろ姿だったから、よく見えなかった」


「いや、どのみち見えなかったよ。

 帽子目深に被ってたみたいだし」


 格好も極々普通のジャンパーにズボン。

 たぶん男で、中肉中背。

 なんの特徴もない。


 龍泉なら少しは見えていたかもしれないが。


 そうだとしたら、万が一のことを考えて、病室を警備してもらった方が……。


 いや、自分が出しゃばらなくても、三根たちはそんなことわかっているだろう。


 そんなことを考えている間、浩太はただ黙って側に居た。


「浩太、私、病院に――」


 出来るだけ、刺激しないよう、そっとそう切り出すと、浩太は小さく笑う。


「……なんでだろうね。

 なんで未来は変えられないんだろう。


 変えられないのなら、なんでそんなもの見えるんだろう」


「浩太、今日のこと、見えてたの?」


 だが、違う、と浩太は首を振る。


「そんなもの見えなかったよ。

 それに、あいつが刺されようとどうしようと、僕の知ったことじゃない」


 いけないとわかっていて、浩太、と思わず咎めるように言ってしまう。

 携帯を握り締める浩太の手に力が籠もる。


「僕に見えてたのはもっと違うもの。

 もっと未来のもの。


 でも――

 こんな力なければいいと、なんで願ったりしたんだろう。


 もっとはっきり見えていれば僕は今日、何か出来たかもしれないのに」


 美弥は黙って、その姿を見つめた。


「結局、僕は一度も未来を変えられなかった。

 だけど、きっとそれは、いつも半分逃げていたからだ。


 おじさんのときだってそうだ。

 ほんとは心の何処かで、どのみち駄目なんじゃないかと思ってた。


 だから、あんな風にしか見れなかったんだ」


「なんで浩太が自分を責めるの!

 教頭先生を殺したのは浩太じゃ――」


 その先に続くべき言葉を思い、美弥は視線を落とした。


「浩太じゃないじゃない……」


 だが、浩太は携帯を握り締めたまま、自分の顔を覆う。


「でも、僕には何も守れてない。

 あいつよりも……全然仲間を守れてない……っ」


 美弥は、そんな浩太の肩に顔を寄せ、そっと抱き締めた。


「そんなことないよ。

 今だって、来てくれたじゃない」


「美弥ちゃん」


 そう呼びかける浩太の声は震えていた。


「僕はあいつを許したくない……。

 僕はあいつを許したくないっ」


 龍泉がこの町に戻ってきてからも、絶対にその話題を出さなかった浩太から、初めて出た血を吐くような叫びだった。


 どうしても、此処を通りたがらなかった浩太。

 その心中を想像しなかったといえば、嘘になる。


 それでも、自分たちはそれを放置し、龍泉と付き合ってきた。

 美弥はもう、幼馴染みとも呼べる彼を見上げ、囁く。


「許さなくて、いいんだよ」

 浩太が美弥を見、目を見張る。


「許さなくて、いいんだよ」

 そう繰り返した。


 目を合わせ、微笑みかけた美弥に、浩太が泣きそうになる。


「ごめん……ごめん、美弥ちゃん」


 浩太の手が背に回り、美弥を強く抱き締めた。

 まるで何かに縋ろうとでもするように。


 浩太の肩越しに幾分欠けた月が、寺の植栽の上に顔を出しているのが見えた。


 浩太は永遠にあの人を許さない。

 だけど、私にとっては、永遠に尊敬すべき人だ。


 私たちはきっと、一生この件に関しては相容れない。

 浩太の目から見える真実と、私の目から見える真実は永遠に違う――。


 でも……


「それでいいんだよ」

 美弥は敢えて、そう繰り返した。


 許さない浩太、許す私。

 でも、許す私を浩太は許し、許さない浩太を私は許す――。


「わかってるよ……。

 あいつから見たら、こっちの方が加害者なんだって。でも」


 なおも自らを責めるように言う浩太の背を美弥は、ぽんぽんと軽く叩いた。


「大丈夫だって。

 ねえ、それより、一緒に病院行く?」


 そう言ってやると浩太は、美弥から離れ、ようやく、いつもの口調で、行かないっ、と叫んだ。


 その態度に、美弥もちょっとだけ、いつもの顔で笑うことが出来た。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る