花鋏
大輔が帰ったあと、美弥はひとり茶碗を洗っていた。
母は地区の集会に行き、父と洋は奥の部屋でテレビを見ていた。
軽く鼻唄など歌っていると、
「ねえ、美弥ちゃん」
といきなり呼びかけられ、驚いて振り向く。
水道の音で聞こえなかったが、叶一はずっと後ろに立っていたようだった。
「脅かさないでよ。
なに?」
ちょうど終わったところだったので、手を拭きながらそう問うと、叶一は、
「大輔ひとりに何の頼み事さ」
と食器棚に縋り、いじけたように言う。
「えー。
いや、別に貴方にも言ってもいいんだけどさ」
「じゃあ―」
と叶一が言いかけたタイミングで、美弥ーと玄関から声がした。
「あれえ? 倫子?」
と開いたままのガラス戸から覗くと、江梨子を連れた倫子が立っていた。
「ごーめん、ごめん。
慌ててたから、私、あんたの花鋏持って帰ってたわ」
このタイミングで花鋏……。
苦笑いしながら、美弥はそれを受け取る。
「えっちゃんも来たの?」
と漫画の絵のついたバックを持った江梨子に笑いかけると、
「うん。今からアイス買いに行くの」
と言う。
「どうしても食べたいって言い出しちゃって。
今からコンビニに」
「ああ。
ハーゲンダッツでよかったらあるよ。
小さいカップのだけど。
食べる?」
うん、と江梨子はもう靴を脱ぎ始めている。
「げ。
こら、江梨子」
「いいよ、いいよ。
ちょうど私も何か食べたいなあと思ってたとこ」
「ごめん。
今度買って返すー」
と倫子は顔の前で手を合わせた。
「あ、そうだ。
叶一さん」
叶一がテレビを見ていると、倫子が隣の居間から顔を覗かせた。
アイスを食べたあと、台所で美弥と何やら楽しげに話をしていたようだが。
「例の通り魔の方の凶器ですけど。
木製の柄のところに微量の血が染み込んでたんですよね?
あれ、被害者の誰とも血液型が合わないんですって」
「なにそれ、三根さんが言ってたの?」
そうです、と中に入って来ないまま倫子は言う。
「ふーん。
じゃあ、O型?」
「はい」
確か被害者にたまたま、O型の人間が居なかったはずだ。
結構多い血液型なのに。
「そうか。
誰なんだろうね」
「……八巻さんて、O型じゃなかったですよね」
そう訊いた倫子に、
「あれ?
倫子ちゃん、結構いろいろ考えてるんだね」
と言ったら、
「また、莫迦にして」
と拗ねて行ってしまった。
「褒めたつもりだったのに……」
そう呟くと、剥いたリンゴを持ってきた美弥が、
「貴方は言葉の使い方がおかしいのよ」
と言う。
確かに僕はよく、言葉遣いを間違えるけど。
美弥ちゃんにはいつも通じてんだけどな。
……怒るのは怒るけどね。
そんなことを思いながら、叶一が廊下に出ると、美弥の部屋に灯りがついていた。
覗くと、江梨子がひとりで遊んでいる。
アイスを2カップも食べて満足したようで、ご機嫌だった。
昔は小さい子は苦手だと思っていたが、この年になると、こんな子どもが居ても悪くないかなと思う。
「えりちゃん、なにしてるの?」
そう戸口に立って呼びかけると、
「あ、叶一だ、叶一だ」
と嬉しそうに振り向く。
何故、いつも呼び捨て……と思いながら、側にしゃがんだ。
「絵描いてんのー」
持って来た小さなスケッチブックになかなか達者な漫画の絵を描いている。
その楽しげな様子に、江梨子の年の頃の美弥を重ね、やっぱり、美弥ちゃんて恐ろしいなあ、と再認識する。
「それ、何の絵?」
やけにキラキラしい男ばかりだったので、ついそう問うと。
これこれ、と江梨子は鞄の中から、二冊の本を出してきた。
それを手に、叶一は唸る。
「何故、BL小説……」
「片っぽは漫画だよ」
出来上がった絵を見せながら、
「叶一ってゲイなんだよね」
と江梨子は真っ直ぐな目で訊いてくる。
「あのさ。
なんで僕にターゲット絞って訊いてくんの?」
大輔でも洋でもいいではないかと思っていると、
「だって、叶一って偽装結婚してるんでしょ。
それってセケンテイのために、ゲイの人がするものだって、本に書いてあったよ」
と言う。
「難しい言葉知ってんねー、えりちゃん。
でも、別にうち、偽装結婚じゃないから」
「あれ? そうなの」
「そうだよ」
だから、僕をその話に入れないでね、と龍泉のことは助けずにそう言い、本を返したとき、目の端に誰かが映った。
「倫子ちゃん、どうしたの?」
と言ったとき、
「倫子ー。
何処行ったの?
今、一美からメールが来て、今度の日曜」
と美弥がこちらに歩いてきた。
しかし、美弥は最後まで言い終わらないうちに、倫子に引っぱたかれていた。
あれっ? と叶一は目をしばたく。
「へっ?
ちょっ、ちょっと倫子っ!」
美弥は頬を押さえたまま、去っていく倫子の後を追おうとする。
「あ……そうか。ごめん。
僕、口滑った」
なんの話だかわからないくせに、なにっ!? と美弥は威嚇するように振り返る。
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