近衛美弥 ―龍泉―
茜色の空に薄い白い雲が、とぐろっぽいものを巻くような秋の夕暮れ。
寺の前に立つ龍泉は、ホウキを手に大きく伸びをした。
あれから通り魔は鳴りを潜めているようだが、まあ、念のため、と思っていると、夕陽の射す方から、スーツ姿の女が歩いてきた。
よく見ると、そう大きな方ではないのだが、目立つせいか、なんだかわからない迫力があるせいか、実際の身長より大きく見える。
一応、近くの探偵事務所の所長である近衛美弥だった。
昔は美人だと思っていたが、今は逆行したように可愛らしい雰囲気を漂わせている。
一度髪を短くしてからは、ショートか、せいぜいセミロングくらいまでしか伸ばさなくなった彼女は、なにやら、トボトボこちらに向かい、歩いてくるところだった。
「お早いですね」
そう声をかけると、美弥は顔を上げ、あ、と、ほっとしたような顔を見せる。
「こんばんはー、龍泉さん。
いや、もう、相変わらず仕事ないから」
あの事件から七年。
美弥たちは、変わらず此処に居る。
隆利が前科者を跡継ぎには出来ないと言い放ったこともあり。
とりあえず、前科のつかなかった美弥を所長にして、何故か彼らは探偵事務所をはじめた。
叶一に言わせれば、自分たちは『犯罪のエキスパート』だからだそうなのたが。
もちろん、そんなところに、まともな仕事の依頼など来るはずもなく。
まあ、この辺りの人間は彼らの事情をよく知っているので同情的なのだが。
そんな人のいい人間ばかり居る地域には、もちろん、探偵事務所に頼まなければならない用事などあるはずもない。
せいぜいが、電気の配線がおかしいだの。
高いところの物が取れなくなっただの。
まあ、いわゆる便利屋業しかなかった。
それだって、自分の息子や娘や業者に頼めばいいものを、わざわざ彼らに頼んでくれているのを美弥たちはよくわかっている。
そのせいで、彼女らは自分たちのことを、この地域のお荷物だと思っているようで。
事務所の宣伝も兼ねてだが、せっせと地域のボランティア活動にも手を貸してくれていた。
そんな近衛探偵事務所のお陰で、この辺りの雰囲気がよくなっているのは確かで。
特に、一人住まいの高齢者などは、彼らを呼ぶのを楽しみにしているようだった。
美弥はこう見えて、年寄りには優しいし(……自分の義父以外には)、叶一は話術が巧みで、大輔はなんだかわからないが、無口だが、居てくれると安心するらしい。
「なんですかー?」
黙って美弥を見ていた自分に、彼女は微笑み、訊いてくる。
「いえ。
ああ、そういえば、事件の方進展しましたか?」
「どっちですか?」
「ええっと、両方?」
と言うと、美弥は腕組みし、小首を傾げた。
「進展したようなしてないような。
八巻さんの件に関しては、今、たむらを当たってるみたいなんですけど。
あの店、客多いですしね。
いちいち誰に何を売ったかなんて覚えてないでしょう。
まあ、予約も多いはずだから、その分はわかるでしょうけどね」
通り魔に関しては、と言いかけ、美弥は自分を見上げると、
「もう一度出てきても、龍泉さんが退治してくれるんでしょう?」
と笑う。
ちょっと信頼にも似た視線を向けられ、ははは、と笑って誤魔化した。
そんなに自分が役に立つとは思っていないからだ。
「この通りに出ればですよ」
ふいに、カラコロと下駄にも似た木製サンダルの音がした。
振り向くと、門から美咲が顔を出すところだった。
夕暮れの風に、手入れのいいロングヘアがなびいている。
「夕食の時間ですよ」
「ああ、すみません」
美咲は、ちらと美弥を見た。
美弥は、こんばんはーと愛想よく言ったが、美咲は、こんばんは、と素っ気無く返しただけで、すぐに奥に引っ込んでしまう。
苦笑いしていると、茶色い瞳を瞬かせ、美咲の後ろ姿を見ていた美弥が、
「ねえ、龍泉さん。
前から思ってたんですけど。
私、美咲さんに嫌われてません?」
と訊いてきた。
ふっと龍泉は、美弥の小さな顔を見つめて笑う。
「貴方の頭の中では今でも――」
え? と美弥が自分を見上げた。
「いえ。
早くお帰りなさい。
たまにはお母様の手伝いでもしてあげるといいですよ」
つい、そう言い、頭を撫でると、
「いつもやってますーっ。
ていうか、子どもじゃないんだから、お手伝いって年でもないしーっ」
と、美弥は、まさしく子どもが駄々を捏ねるように言いはじめる。
「はいはい。
そういえば、貴方もう既婚者でしたね。
立派な大人だ。
じゃあ、私も美咲さんに怒られないうちに戻りますよ」
ホウキを手に引っ込もうとすると、美弥はまだ後ろでぶつぶつ言っていた。
「どうーも、龍泉さんの口調って、いっつも微妙に嫌味なんですよねー」
その小言を気持ちよく聞きながら、龍泉はその場を後にした。
これでまた、食事中に思い出し笑いなどすれば、美咲に睨まれるのだろうな、と思いながら。
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