蒼天の弓 ― 真相2―

 


「つまりねえ。

 あの日の朝、あの人刺したのは僕なんだよ。


 でも、僕はそのまま、そこを出ちゃった。

 出血多量になるように、鋏を引き抜いたりはしていない」


 もちろん、鍵もかけてない、と叶一は言う。


「置いて出てったのは確かだけど、明確な殺意なんてものはなかったわけ。

 単にそのタイミングでそこに花鋏があったから刺しただけっていうか」


「貴方あのときも言ってたわねえ」

と美弥は近くの棚に背を預け、溜息を漏らす。


 久世隆利が刺された日、病院の階段で、叶一は、

『突発的な犯行ならば、そこにそれがなかったら起きなかったかもしれない』

と言った。


 その言葉に大輔は、それでは莢子のせいだと言うのかと怒っていた。


 あの時点で、大輔は叶一の犯行だと知っていたのだろうか?


「知らせを受けて驚いたよ。

 急に大事になってて。


 でもまあ、死ぬほどの傷じゃないとは思ってたけど、それほど呑気に構えてたわけでもないんだけどね。


 鋏を抜いたのも、鍵をかけたのも、もちろん、僕じゃない。


 じゃあ、誰だろう? と思ったとき、怪しいのは、美弥ちゃんと大輔だった。

 この二人は動機も鍵も持っているからね」


「それで、わざわざルミノールを取ってきてかけてみたわけ?」


「そうそう。

 まさかあんな見事に反応が出るとはね。


 着替えりゃよかったのに、大輔」


 いつものふざけた態度を装い、二人にルミノールを振りかけた叶一は、来るとき目星を付けておいた薄暗い踊り場まで二人を誘導した。


「たいした量じゃなかったから気づかなかったんでしょう。


 それで、部室で着替えているときに気づいて、お湯でさっと流して落とし、ロッカーに干してたのよ。


 弓道着着てる間に乾いただろうから、ちょうどよかったわね」 


 しかし、君は怖いよ、と叶一は苦笑する。


「僕より早く大輔の腕に光る染みに気づき、怖がるふりをして、そこを掴んだ」


「大輔が事件に関与してるのはそれでわかったわ。


 昔ついた何かの血痕と考えられないこともなかったんだけど、それにしては、ルミノールの発光の仕方がね」


「ああ、妙に暗かったからね」


「古い血ほど明るく光を発するんでしたっけ?」

と圭吾が言った。


「大輔にルミノールをかけた貴方のことも疑った。

 単に犯人を確かめたかったとも考えられるけど。


 貴方のことだから、自分が関与していないのなら、例え、私か大輔があの人を刺していたとしても、知らん振りを決め込むだろうと思った」


「そうそう。

 僕は純粋に、ただ、知りたかったのさ。


 誰が仕上げをしてくれたのか――」


「それで、貴方たちがそれぞれ別々に事件に関与してるんじゃないかと当たりをつけた。


 だったら、どちらかが刺して、どちらかが抜いて鍵をかけたんじゃないかと思った。


 まあ、抜くという行為がどっちの行為に属するものなのかは、よくわからなかったんだけど」


 完全な密室に成り得ないのなら、何故、犯人は、わざわざ鍵をかけたのか、という美弥の問いに大輔は言った。


『あいつが這って外に出て、助けを呼ばないようにだろう』


 恐らくそれが答えなんだろうと思った。


 犯人は玄関ホールの電話が壊れていると知っていた人間。


 鍵さえかければ、刺された隆利が簡単に外部と接触を持てないと知っている人間。


 ついでに言うと、隆利が自分では重い携帯を持ち歩かず、秘書等に持たせていると知っている人間だ。


 助けを呼ばないようにだ、と言い切った大輔が、鍵をかけた張本人だろうと思った。


 だったら、刺したのは叶一だ。


 つまり、と圭吾が溜息を漏らす。


「なんでだか知りませんが、叶一さんが刺して、大輔さんが鋏を抜いて鍵をかけて、二人の罪を隠蔽しようと、美弥さんが会長を殺そうとしたと――


 見事な連携プレーですね。


 見事過ぎて眩暈がしますよ!」


 それらの行為をすべて弁護しなければならない圭吾の語気は荒くなる。


「トドメの美弥さんの行為ですが、これはなんとかならないですかね?」


 美弥の口から状況を聞いた圭吾が冷静に問う。


「医者たちは口をつぐむでしょうよ。

 院長が睨みをきかせたら。


 後は、三溝さんとあのお巡りさんが黙っててくれればね」


 でも私だけが訴えられないってのも、と小首を傾げて見せると、

「ともかく、これ以上、仕事は増やさないでください」

と言う。


「三溝さんたちには私と父から掛け合ってみますよ。


 それにしても、叶一さん。

 なんで刺したんですか」


 さて、なんでだろうねえ、と叶一は笑う。


「私にもそれがわからないわ」

と美弥は眉をひそめ、夫を見下ろした。


「私との結婚が嫌なら、断ればよかったのよ。


 私とは違う。

 貴方にはそれが出来んただから。


 でも――」


 椅子の上にしゃがんだまま、叶一は美弥の手を掴む。


「そうそう。

 それを望んだのは実は僕だからね。


 なんでだと思う?」


「……それはわかってる」

と美弥は身を屈め、叶一の頭を自分の胸に抱いた。


「貴方は家族が欲しかったんでしょう?」


 『近衛鉄鋼』を、と言ったときには、恐らく無意識だったのだろう。


 叶一が欲したのは、きっと、一番身近に見ていた暖かい家族。


 その中に自分も入りたかったのだ。


 そして、久世隆利もそれをわかっていた。


「美弥ちゃん……」

 叶一は立ち上がり、美弥を抱き締める。


「なんでだろうね。

 僕は欲しいものを手に入れたはずなのに、なんだかとてもむなしかった。


 君のうちの皆は僕を家族として受け入れてくれたよ。

 いや、最初から、こんな形式を踏まなくても、そう扱ってくれてたんだ。


 君と結婚したところで、何も今までと変わりはしなかった」


 うん、と美弥は彼を労わるように抱き返す。


「僕はあんなことする必要なかったんだ。

 結局、僕に残ったのは、大輔に対する罪悪感だけ。


 親に泣いて縋って、あいつから君の夫っていう地位を奪ったっていうね。


 あいつもずっと一人だった。

 あいつにとっても、君の家族は自分の家族と変わりなかった。


 割り込んだのは僕の方だったのに、僕が形式上、その正当な権利を得てしまった」


 あの日――  と叶一は低く呟く。


「会社の方の書類で不備があったから、早く印鑑持って来いって言われてて、ずっとそのままにしてたんだけど。


 安達弁護士に急かされて、仕事帰りに印鑑持って家に寄ったんだ。


 あの人、まだ出かけてなくて、家に居て。

 僕に言ったんだよね。


『どうだ? 仲良くやってるか。

 早く孫の顔でも見せてくれ』

って。


 そんな親みたいなこと言ったんだよ。


 なんだろ、そのとき、無性に腹が立ったんだ。


 あんたほんとに何にもわかってないって。


 何もかも僕が勝手に望んで、あいつはそれを叶えてくれただけだったのに。


 なんでだろ。

 物凄く腹が立った」


「それはたぶん……」

と美弥は小さく笑う。


「叶一さんが初めてあの人に理解を求めたからだわ」


 え? と叶一は小さく問い返す。


「初めてあの人を親だと思ったの。


 親なのに、なんで自分がこんなに辛いのを理解してくれないんだろうと思って腹が立ったのよ。


 今まで貴方はすべて、諦めるところから始めてきた。


 でもね、私との結婚を進めてくれたことで、貴方は初めてあの人と自分との間に、ちゃんとした親子の情があったことを知ったのよ。


 それで、貴方は彼に期待した。

 理解してくれることを期待したの」


 でもねえ、叶一さん、と離れて、眉をひそめる。


「実際べったり一緒に暮らして、なんの問題もない親子関係だって、そうそう相互理解なんて出来ないもんなのよ」


「そんな夢のないこと言わないでよ」

と叶一は苦笑する。


「だって人間だもの。

 そんなものよ。


 だけど、ああ、そんなものなんだって思って納得すんのもまた面白いでしょう?


 だいたい、考えてご覧なさいよ。

 将来、自分に子どもが出来て、育ったその子の考えを、自分がすべて見通せる~?」


 無理無理、と美弥は手を振った。


「貴方のそれは言ってみれば、やっと訪れた反抗期よ」


「……反抗期は子どものうちにやっておいて欲しいもんですね」

 ぼそりと圭吾が呟く。


「まあ、大輔さんには、たっぷりやるだけの理由がありますけど」

 重い口調の圭吾を振り向き、美弥は肩を叩いた。


「お涙頂戴のいいストーリー考えてよ、弁護士さん」

「情状酌量の余地があるような?」


「そうよ。

 お義父様の過去も暴いて構わないから。


 如何に二人の息子が、あの人の優柔不断な態度のせいで、哀れな立場にあったか訴えて。


 それが仕事でしょう?」


 そりゃ、どっちかっていうと、脚本家か何かの仕事ですよ、と圭吾はブツブツ言っている。


「だいたい、あんまり昔のことを掘り起こすと、会長に怒られます」


「そんなことないわ。

 可愛い息子たちを助けるためじゃない。


 あの人が、繋がらない電話をそれでも引きずり落としたのは、二人を殺人犯にしたくなかったからでしょう?」


 ノックの音がした。

 はい、と美弥が返事をすると、ドアが開く。


 三溝と三根、それに吾郎が立っていた。

 三人とも何とも言えない顔をしたまま、無言だった。


「はいはい、今行きますー」

と言った美弥の肩を、


「かっ、軽く言わないでよ、美弥ちゃん」

と叶一は怯えたように掴んで、その後ろに隠れようとする。


「そんなビビるくらいなら、最初からやんないでよね~。

 それとも、全部なかったことにする?」


 出来なくもないかも、と美弥は小さく言ったが、叶一は手を離し、溜息を漏らした。


「まあ、僕だけなら、そうしたいところだけど。

 どう考えても、あの莫迦、自首するだろう?


 あいつ一人に罪をなすりつけるわけにはいかないじゃない」


 確かに。

 叶一が名乗り出なければ、大輔は自分一人で罪を背負いかねない。


「ほんとに莫迦よね」

 美弥も腰に手をやり、そう同意する。


「でも、好きなんだろ?」

「時折、あの融通の利かなさに、本当に腹が立ったりもするんだけど」


 美弥は大輔のあの昔から変わらない、他を避けつけない横顔を思い出し笑った。


 そう、きっと。

 正反対の人間だから引かれるのだ。


 私も、叶一さんも、あの真っ直ぐな光に――。


 弓を射るときの、大輔の眼差しを思い出す。

 何者も立ち入れないあの空間を作り出す大輔が好きだ。


「はい」

と叶一がポケットから何かを出して、掌に載せた。


 折り畳まれた薄い紙。


 文字が透けて見える。


 これと色違いのものをつい最近見たばかりだった。


「いつでも好きなときに出してよ」


 叶一はそう笑い、入り口に向かって歩いていく。

 美弥はまだ叶一の体温の残るそれを胸に押し当てた。


「なんだよ、三溝~。

 手錠はやめてよ。


 僕、自首するよ~」


「ああ?

 見つかったから自首ってのは、自首とは言わないんじゃないか?」


「いやいやいや。

 するつもりだったんだって、最初から」


 三溝が階段に向かって叶一の背を押しながら、深い溜息を漏らすのが見えた。


「俺はなあ。

 最初にお前に会ったときから、いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってたんだ……」


「お前がずっとそんなこと言ってるから、僕、暗示かかっちゃったんじゃないの?」


「俺のせいだってのか!?」


 いつもの喧嘩を始める二人に、

「あれ、取調べちゃんと出来るのかしら」

と美弥は呆れて呟く。


「さあ……。

 あれ、倫子さん」


 こちらにお辞儀をしたあとで、三根も階段に消えていった。

 その陰に居たらしい倫子の姿が露になる。


 倫子は、じっと消えていく叶一の姿を見送っていた。

 その姿に、美弥はなんだか胸に痛くなる。


「倫子……」


 側まで行って呼びかけると、びくりとこちらを振り向く。

 思わず、肩を叩きかけた手を止めた。


 倫子は私を恨んでいるだろうか。


 叶一さんは、私と結婚さえしなければ、きっとこんなことにはならなかった――。


 何か言いたげにこちらを見ていた倫子だったが、やがて、ふっと肩を落とした。


「ま、いいや」

と背を向ける。


「へ? なにっ?

 何が、まいいや、なの?」


「教えない」

と倫子は階段を上っていく。


「教えない教えない。

 絶対あんたわかってないけど、教えない」


「わかってないけどって何~?」

 足を止め、くるりと振り向いた倫子は言った。


「事件の真相」


 ――事件の真相?


「叶一さんもきっとわかってないわ」


「私はわかりますよ」

と裏切り者の圭吾は微笑み、美弥を抜かして、倫子の横まで行く。


「でしょ?

 だから、教えない」


「そうですね。

 それにそんな話は出さない方が裁判上もきっと有利ですから」


「ちょっ、ちょっと待ってよ、二人ともっ」

 美弥は慌ててコンクリートの階段を上る。


 二人の笑い声と、三溝のわめき声が、狭い階段に反響していた。


 思わず握り締め、かさりと音を立てた離婚届け。


 まさか、七年経っても出せていないとは――。


 このときの美弥には想像も出来ないことだった。


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