蒼天の弓 ― 近衛家 居間―
裏口の戸を開けると、騒がしい声が溢れ出して来た。
居間に行った美弥は、
「何故、宴会……?」
と呟く。
「お邪魔してます」
とウーロン茶の入ったコップを手に、小さくなっている大倉が頭を下げた。
「話を伺いに来たはずなんですけど」
ちょうど吾郎が晩酌をやっていたので、まあまあ一杯という話になったらしく、三根は結構出来上がってしまっていた。
「美弥~、ごめんね~」
見ると、倫子まで居る。
「いやもう、あんたに電話したら、お父さんが飲んでるっていうから」
と恥ずかしそうに言う。
まあ、身近で起こった傷害事件に、犯人の候補は全員知り合いとくれば、三根も相当神経を消耗しているのだろう。
「たまにはいいんじゃない?」
と美弥は笑った。
義理の父の事件なのに、担当刑事がこれでは美弥が気を悪くするのではないかと倫子は思っているようだったが、美弥はむしろ、三根の方が心配だった。
「ま、ごゆっくり」
と部屋に行こうとすると、大倉が、
「ごゆっくりじゃないですよ~、美弥さんっ。
本部に戻らないといけないのにっ。
あ~、三根さんっ。
そろそろ酔い、さましてくださいよっ」
と後ろでわめいていた。
立ち上がった倫子が縁側で追いつく。
「ああ、ごめん。
なんか用事だった? 電話って」
「そういうわけでもないんだけど……」
と倫子は、らしくもなく言葉少なだ。
「どっか行ってたの?」
「ちょっと、大輔のとこ」
そっか、と言う倫子とともに、部屋に向かった。
美弥は勉強机の椅子に、倫子は床のクッションに腰を落とす。
「ずばり訊くけど」
「うん?」
「犯人は誰?」
「いやいやいや、倫子……。
なんで私にそんなこと訊くのよ」
「いや、あんたならなんかわかってそうだなと思って」
確かに余計なことにはよく気がつくんだけどね、とペン立ての中の可愛いシャーペンを意味もなく、いじりながら言う。
「じゃ、倫子は誰だと思うの?」
「私は――
全然関係ない人ならいいなと思ってる」
倫子らしいその言葉に美弥は微笑んだ。
「そうだね。
そうだといいね」
と言うと、
「あっ、馬鹿にしてる?」
と言って、倫子は立ち上がる。
美弥の膝に両手を置き、目を覗き込んでくる。
してないったら、と美弥はその額を小突いた。
「……やっぱりさ。
似てるよね」
「え?」
「叶一さんと美弥」
倫子は美弥から離れてそう言う。
「あんたたちの結婚の話聞いたとき、違和感なかったんだよね」
「いやそれ、戸籍上の話だから」
「そう?
でも、ほんとに嫌いなら受けないんじゃない?」
窺うように見ながら、倫子が訊いてくる。
だが、
「そんな状況じゃなかったもの」
そう呟いた美弥に、倫子はすぐに謝ってきた。
「ごめん。
わかってるんだけど、ちょっと嫌がらせ」
はは、と美弥は笑う。
「いいよ。
嫌がらせ、どんどんどうぞ。
なんか可愛いよね、そういうときの倫子」
「だ~か~ら~。
上から物を言うなって。
あんたって普段は、ちょっと子どもっぽいんだけど、どうも根底の部分で叶一さんと似てるっていうか。
そのなんでもわかってる感というか、一歩引いて世を見てる感じがなんだか……」
「むかつく?」
そうそう、と倫子は頷く。
ひどいな、親友……。
「でもそうか。
だから好きなのかな」
ふいに倫子が呟いた。
自分自身に問い掛けるように。
「誰が?」
と問うと、
「どっちが先だったんだろうね」
と言う。
「美弥といつも一緒に居たから、似た叶一さんに親しみを覚えたのか。
それとも逆なのか」
叶一が好きだから、よく似た美弥に、こんなことになっても、いまいち腹が立たないのか。
そう倫子は言った。
「倫子」
「うん?」
「今日泊まって行きなよ」
「いいけど。
どしたの、急に」
「いや、なんとなく。
一人で居たくない気分なの」
悪いがこんなときは、家族とは気持ちは分かち合えない。
そういう意味で心配かけたくもないし……。
美弥の部屋に布団を敷いて、二人は一緒に眠った。
まだ眠れない美弥は、ひとり暗い天井を見上げる。
さすがにもう三根たちは引き上げていたので静かだ。
「ねえ、倫子」
呼びかけてみると、なあに? と案の定まだ起きていた倫子が返事をする。
「私に犯人は誰かって訊くってことは、私は犯人ではないと思ってるわけ?」
「……どうだろ」
「どうだろかい……」
横を向くと、倫子はこちらを見て笑っていた。
「犯人でもいいよ。
美弥が犯人でも、私は別に構わないよ」
別に構わない、か。
多くの意味を含んだその言葉を美弥は噛み締める。
ちょうど美弥も全く同じことを考えていたからだ。
可能性は幾つもある。
でも、誰が犯人でも、私は別に構わない。
それが倫子でも、叶一でも、大輔でも。
私はきっとその人から離れることはない。
「でもさ、三根さんはちょっと呑気すぎるよ」
笑いまじりに言うと、
「ごめんね……」
と倫子が苦笑いする。
「いいんだけど。
でも―― 明日にも久世隆利が目を覚ますかもしれないのに」
「……美弥?」
美弥はそれ以上の言葉を拒むように目を閉じる。
二人はいつの間にか、手を繋いで眠っていた。
翌朝、美弥たちは誰かが廊下を走ってくる音で目を覚ました。
「美弥ちゃんっ!」
いきなり開いた襖に、もう、お父さん~っと倫子が布団にもぐり込みながら、文句をたれる。
いつもの癖で言ったのだろうが、飛び込んできた相手は、ほんとうに三根だった。
「美弥ちゃん、叶一が居なくなったっ」
「え?」
「叶一さんがっ!?」
父親の声では布団にもぐり込んだだけだったのに。
叶一という名で飛び起きる倫子に三根が顔をしかめた。
「今朝、大倉が行ったら、叶一の奴居なくて。
今、勝手にどっか行かれたら困ると思って、捜し歩いたんだが……」
そう、と美弥は小さく呟く。
「ともかくっ、美弥ちゃん、叶一から連絡あったらすぐ教えてっ」
三根はこちらに背を向け、頭をかきむしる。
「あ~もうっ、あいつ何やってんだろうな~っ。
せっかく捜査の目があいつから、それてきたのに。
今こんなことしたら疑われるだろうがよっ。
警察の人間なのにわかんねえのかよっ」
三根は心配のあまり、叶一を罵りながら廊下をずんずん歩いていってしまう。
半身を起こしたまま、それを見送っていた美弥の横で、倫子がおろおろとしていた。
「美弥、大丈夫だよね、叶一さん」
「大丈夫だよ。
あの人、殺しても死にそうにないし」
言いながら、そうかな、そうだろうか、と思う。
なんとなくだが、昔から、大輔は放っておいたら、精神的に死にそうで、叶一は物理的に死にそうだと思っていた。
「財布持って出てってるのなら、とりあえず、飲み食いはしてそうだから、死ぬことはないわよ」
安心させるために軽い感じでそう言うと、倫子は、
「もう、美弥ったら~」
と言いながらも、ちょっと笑っていた。
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