蒼天の弓 ― 久世家 美弥―


 外灯の灯りが漏れ入る暗い玄関ホールに美弥は、ひとり立っていた。


 隆利が刺され、倒れていた場所をじっと見る。


 その近くの台に今は直っているらしい電話が載っていた。


 壊れているとわかっていた電話を、何故、隆利は引きずり落としたのか――。


『……そこまでして助かりたかったんですかね』


 大輔の言葉を思い出したとき、

「なにしてんだ、美弥」

と階段の上から本物の大輔の声がした。


「ああ、ごめん。

 勝手に入って」


 そう謝りはしたが、そもそもこの家に断って入ることなどあまりない。


 これだけの家なのに、無用心にも夜寝るとき以外は、大抵鍵は開いているし。


 そうだ……。

 なのに、何故、わざわざあのときだけ鍵がかかっていたのか。


 大輔の言うように、隆利が助けを呼びに行かないようになのか。


 いや、それならば、犯人は、この電話が壊れていたことを知っていたことになる。


 外に這い出ない限り、助けを呼ぶ手段がないとわかっていたことになるから。


 美弥、と近くまで来ていた大輔が呼びかける。


「お前、親父は助かると思うか?」


 少し迷って、思うわ、と美弥は言った。


「こういう五分五分の確率のときに、あの人いつも強いじゃない」


 そうだな、と言う大輔が本当に彼の生還を願っているのかよくわからなかった。


 美弥は光のせいか、蒼褪めて見えるその横顔を見ながら、


「うち来る?」

と訊いた。


「だって、此処に一人って物騒じゃない」


「いや―― いいよ。


 ちょっとゆっくり考えたいんだ。


 それに……一人ってわけでもない」


「え?」


 大輔は開いたままの食堂に続く扉を親指で示し、苦笑する。


「母さんがそこ、うろうろしてるから」


「ええっ!?」


「いや、霊体ってわけでもないんだ。

 残像っていうか。


 何か心配そうにうろうろしてる。

 ……あの人、いつもああだったな」


 懐かしげに大輔は、美弥には見えないところを見ている。


 美弥の目には、大きなダイニングテーブルしか映らないのだが。


 それにしても大輔がこんな話を自ら進んでするのは初めてだった。


 やはり心細いのだろうか、と思う。


「大丈夫よ。

 おじ様はおば様が守ってくださるわ」


 そう言葉を押し出した美弥の真意に気づいたように、大輔は苦笑する。


「なんだ。

 あんまり助かって欲しくないみたいだな」


「……そうじゃないけど」


 大輔は別に怒るでもなく、でもそうかもな、と言った。


「誰があの人の生還を願ってるっていうんだろう。

 母さんだって、願ってないかもしれない」


「そんなこと……」

「一人でほっとくと心配だから、連れて行きたいんじゃないかな」


 そう言い、微かに笑う。


 だが、今は、あの世には叶一の母親も居る。

 向こうでもまた微妙な関係が続くだけではないのか。


 美弥は知らないうちの大輔の腕を掴んでいた。


 子どもの頃は、隆利のことをただ腹立たしく思っていた。

 けじめのつけられない駄目な男だと。


 今でも彼のことを好きにはなれないのは一緒だが。

 少しだけだが理解できるようになった。


 別に隆利も望んでこんな状況を作り出したわけではない。


 大輔の母も叶一の母も選べなかった隆利に、今は人間味さえ感じていた。


 これが他にもいろいろ愛人を作ったりしていれば、話は別なのだが、隆利には他に浮いた噂は全くなかった。


「ほんとに憎むべき人間なんて、何処にも居ないのかもね」

「――美弥?」


 急にそんなことを言った美弥に、大輔が不安そうに呼びかける。


 でも、それとこれとは話が別だけど――。


 美弥は大輔から手を離した。


「おやすみ、大輔」

「送っていこうか?」


「ううん、いいよ。

 もう遅いから」


 いや、遅いからだろうがという大輔の言葉を遮り、


「ちょっと私も考えたいの」


 それだけ言って、美弥は屋敷を後にした。



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