第三章 依頼人
年賀状
「あの~、掃除もういいからさ、美弥ちゃん」
珍しくデスクについていた浩太が、意味もなく高そうな万年筆を振りながら言う。
うーん、もうちょっと、と美弥は普通、書斎にあるような立派な書棚に左手でハタキをかけながら言った。
「いや……なんか捜してんの、見え見えだから」
そう言われ、美弥は、はは、と笑うと、右手で広げていた本を閉じた。
「ばれたか」
いや、最初から、ばればれだって、と浩太は椅子に背を預ける。
「確かにバイトで掃除は頼んでるけど、書棚の中までしろなんて言ってないし」
そうなのよね~と言いながら、美弥は凝りもせず、隣にあったスクラップを手にとった。
浩太はデスクで頬杖をつき、根負けしたように、こちらを睨む。
「……何が知りたいの?」
美弥はそそくさとスクラップを戻すと、ハタキ片手に浩太の許に行った。
「あの小久保さんって、おじいさんなんだけどさ」
「だから依頼受けたわけじゃないんだろ?
なに気にしてんのさ、金にもならないのに」
明らかな嫌味だ。
美弥たちの事務所は浩太の厚意でなんとか成り立っているようなものだ。
そんなことしてないで、ちゃんと仕事を取って来いと言うのだろう。
「なに?
もしかしてまた何か余計なことに気がついた?」
と上目遣いで見る浩太に、どういう言い草? と美弥は腰に手をやった。
「いやだってさ。
まったくもって、いっつも気がつかなくていいことに気づくじゃない」
「確かにね。
いつもいつも気がつかなくていいことに気づくのよっ。
知らなきゃそのままスルー出来るのにっ」
「いや、君が気づくのスルーしちゃまずいことばっかりだから。
で?」
「は?」
「だから、今度は何?」
「あの小久保っておじいさん、結局何者なの?」
浩太は整いすぎた眉をひそめる。
「それは僕にもわかんないって言ったろ?
なに?
今度の事件と関係あると思ってんの?」
「浩太だってあると思ってんじゃないの?
タイミング良過ぎるもんね。
八巻さんのことを教えた途端に、これだもん。
犯人じゃないかもしれないけど。
でも、周囲の人が爺さんから聞いてってことはあるかもしれないじゃない」
「なんで犯人じゃないって思うのさ。
もしかして、小久保さんが八巻さんのことを、今幸せにやってるかどうか知りたいって言ったから?」
「なに? 急に攻撃的ね」
浩太は立ち上がると、大きなデスクをぐるっと回って美弥の許まで来た。
甘いよ、美弥ちゃん、と浩太は嗤う。
「幸せにやってるかって聞いたからって、その人の幸せを願ってるとは限らない」
「……浩太」
浩太の手が、美弥の頬にかかってた髪を払った。
その手に茶色いものが握られているのを見る。
「それ――」
はい、と浩太は美弥の手に載せた。
「しつこい美弥ちゃんにあげる。
爺さん、もうそれいらないって」
それは変色した古い年賀状だった。
筆ではなく、ボールペンで素っ気無い挨拶が書かれている。
宛先は小久保
―河原崎真。
「まあ、僕は美弥ちゃんのそういうとこ好きだけどね。
なんていうの、結局甘いとこっていうか」
「浩太」
と葉書を見ながら、手探りですぐ側に居る浩太の少し長めの髪を引っ張る。
「いてて……なんだよ」
「そうね。
やっぱりあんたが正しいかも」
「え?」
「幸せかって訊いても、幸せを願ってるとは限らない――。
わざわざ現状知りたくてこんな怪しげなとこ訪ねてきたのに」
「……怪しげなとこって何?」
「いや、そんな思い入れのある人間の年賀状を、もう行き先がわかったから要らないなんて」
「あ~、そうだねえ。
じゃあ、どっちかっていうと、あれか。
いつかなんとかと思って、捨てたいのに、その小憎らしい年賀状をずっと持ってて。
やっと念願果たせたからもう要らないっていう――」
「そうなの?」
「そうなのってどうなの?」
美弥は浩太のシャツの胸元を掴んでいた。
こうでもしないと、言葉も身体もつるつると逃げてしまうからだ。
「なーんか怪しいわ」
「だから何が」
「なんだかその曖昧な物言いには覚えがあるのよ。
あんた何かまた見えてんじゃない?」
「いやいや。
知ってるでしょ?
最近は滅多なことじゃ見えないんだって」
じゃあ……と少し考え、美弥は言う。
「あらかじめ何か見えてた」
「へ?」
「もしかして、過去に今回の何かが見えてたんじゃない?」
「うわっ、嫌だな、この人。
叶一さんよく結婚してるね!」
「あっ、やっぱりそうっ!?」
と叫んでみたが、ともかくっ、と浩太は手を振り解く。
「僕は今回の件にはこれ以上、首突っ込みたくないの。
それが最大のヒントだよ。
後は勝手にやってくれる?」
だが、背を向けて逃げようとする浩太の首根っこを美弥は引っ捕らえた。
「甘いわよ、浩太。
私がしつこいの知ってるでしょう?」
「やだな~。
ろくでもないこと考えつくのは叶一さんと一緒で。
粘着質なところは大輔と一緒だなんて。
話すまで、ぜーったい離さないんだからねっ!」
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