蒼天の弓 ― 病院―

 

 ICUの廊下で大輔は叔父の久世琢磨たくまから容態を聞いていた。


 朝出勤してきた家政婦の莢子さやこが、玄関ホールで、脇腹を刺された隆利が倒れているのを発見したという。


 刺された傷の深さより、凶器の花鋏が引き抜かれ、放置されていたことの方が問題だった。


 花鋏はホール脇の花瓶が置かれたテーブルの上に、莢子が置き忘れていたものらしい。


 そのことを莢子は随分気にしているらしかった。


「ところで、大輔。

 何処に行ってたんだ。


 家に居なかったそうじゃないか」


「叶一のとこです」


 それを聞いて、琢磨は嫌そうに溜息を漏らす。


「まだあんな奴と付き合ってるのか。


 もうあいつには充分なものは与えてあるんだ。

 わざわざお前が関わる必要はない」


 その言葉に大輔の顔は強張った。


「兄貴の意識はまだ戻らない。

 助かるかどうかは五分五分だ。


 もし万一のことがあったら、形だけとはいえ、お前が一族のトップに立つんだぞ。


 あんまり、ふらふらするな」


 気の利いた忠告にも嫌味にも聞こえることを言って、琢磨は大輔の肩を叩き歩き出した。


 通りすがりに、壁際に立つ美弥を窺うように見て、頭を下げる。


 美弥もまた、琢磨の顔を見なくて済むよう、深々とお辞儀をした。


「大ちゃん、美弥ちゃん」


 ふいにした声に振り向くと、廊下の向こうから、ひょろりとした年配の男がやってきた。


 美弥の父の同級生で、県警の刑事でもある三根敬三みね けいぞうだ。


 大倉とかいうこの夏配属されたばかりの若い刑事を連れている。


「大変だったね、二人とも。

 ところで大ちゃん、今朝、何処に居たって?」


「叶一のとこですよ」


 叶一か、と三根は眉をひそめる。


「あいつ今何処だ?」

と三根は大倉を振り返った。


「えっ、叶一って鑑識の叶一さんですか?

 さあ、今朝は見てませんけど」


「だって僕今日休みだからさ」


 大倉の言葉に割り込むように素っ頓狂な声が響く。


 いつもながらに何処かよれたような服装の叶一が立っていた。


 結構いいもの着てるのに、なんでこう見えるのかしらね、と美弥は場違いな疑問を抱く。


「で? なに?

 久世隆利が殺されたって?」


 妙に陽気なその声に、

「まだ死んでない……」

と、どうでもいいように大輔が付け足した。


「……叶一。


 親が―― いや、親族が死にそうなときくらい緊張感を出せ」


 三根が溜息まじりに言う。


 叶一は本当は隆利の愛人の子なのだが、世間的には、隆利の父親の子、ということになっている。


「だって僕、あの人とそんなに面識ないもんね。


 だけど、まあ、何かしなきゃあれかなと思って、ほら、こんなもの持って来たりして」


 突然、ポケットからスプレーを取り出し、辺りに振り撒く。


 わっと全員が後退した。


「こらっ、叶一っ。

 口に入ったじゃねえかっ」


 三根は慌てて、ぺっぺと吐き出していた。


「……ルミノール?」


 美弥が呟くと、そう、と叶一は笑う。


 叶一の奇行には慣れているはずの三根だったが。

 こんなときでもいつも通りな叶一に、最近めっきり後退してきた額を押さえ、苛々と言った。


「叶一!

 今朝、大ちゃんはお前の家に居たのか」


 ん? と叶一は同じくらい長身の大輔に向き直る。


「お前、うちに居たの?」


「居た。

 これ、お前の」

と、着ていた白い長袖のシャツを指す。


 指定のネクタイさえ締めれば、下のカッターシャツは何を着てもいいことになっている。


「お前居なかったから、勝手に入って寝た」


 あ、そう、と叶一は適当に聞き流すが、さすがに三根はそういう訳にはいかなかったらしい。


「大ちゃん、なんで家に帰らなかったんだい?」


「一度帰って飯は食ったけど。

 どうせ誰も居ないし、叶一がパソコン壊れたって言ってたから直しに」


「あ、直った? あれ」


 延々と続きそうな世間話に、三根が割って入る。


「叶一、お前は何処に居たんだ」


「僕は当直だよ。

 調べればわかるよ」


 そう言うと、まあ、夜の行動調べてもしょうがないんだがな、と三根はもらす。


「犯行があったのは朝だから」


 そんな三根の言葉に、叶一が眉をひそめた。


「まるで僕らを犯人扱いだね、三根さん」


 だが、三根は首を振り、

「お前らだけじゃねえよ。

 久世の家に関わるものは、みな容疑者だ」

と言う。


「社員から運転手に至るまで、どいつもこいつも、動機持ってやがるからな」


 そこで、三根は大輔に気づき、ああ、すまん、と言った。


「因業じじいの悪徳会社だからね」


 叶一は自らの親をそう罵り、あはははは、と笑っていた。


「さらりと言うな。

 一応、お前の家族だろ? まったく。


 ああそう、それから、お前らみんな、しばらく所在をはっきりさせとけよ。

 いつ話訊くかわかんねえから」


 美弥ちゃんも、と付け加えられ、美弥も頷く。




 美弥はそこを離れる前、ガラス越しに、眠り続ける久世隆利を見た。


 血の気のないその顔に覇気はなかったが。

 苦しみのためか寄った眉頭の皺に、倣岸不遜な普段の面影が残っていた。


 叶一も大輔も足を止め、自分たちを老けさせたかのような隆利の顔を、しばし、眺めている。










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