蒼天の弓 ―弓道場―

 


「大輔―っ」


 初秋の朝、下にある弓道場が一望にできる高校のグラウンドから、小さな階段を駆け下り美弥は叫んだ。


 手前から二番目の的に向かい、弓を引き絞る大輔の姿が見えた。


 呼びかけても、彼の目は的の中心だけを見据えている。


 その手許から離れた矢はしなりながら、放物線を描き、的の中心に刺さった。


 側まで来ていた美弥は息を切らしたまま、小さく手を叩く。


 大輔はまだ的を睨んだまま弓を下ろす。


「危ないから駆け込むなと言ったろう」


 美弥たちの高校の弓道部は強い。


 一応朝練は自由参加なのだが、結構な人数が出ていた。


「あ、ごめんごめん――


 って、そうじゃなくてっ。


 大輔、大変。

 おじ様が刺されたのっ」


 美弥はようやく何をしにきたのか思い出し、咳き込むように言う。


 おじ様? と大輔は眉根を寄せてようやく美弥を見た。


 見慣れていても、一瞬身を引きたくなるほどの鋭い双眸。


 だが、それは別に美弥の口から語られる物騒な話を聞いたせいではなかった。


 大輔の視線はいつも鋭い。


 人の心の奥底まで射抜くように。


「何処の?」

と美弥は問い返される。


 いつも大輔に、お前の話は肝心な部分が欠けていると言われる美弥は、できるだけ丁寧に説明しよう、と思いながら付け加えた。


「あんたんちの」


 ……なにも丁寧じゃなかったな。

 やはり、動揺しているのかもしれない、と思った美弥は言い直す。


「あんたんちのお父さん。

 久世会長よ」


 大輔の父親久世隆利は、此処岡山県に本社を置く、久世グループの会長兼社長だ。


「うちの親父?」


 此処でようやく会話が成り立ったようだった。


 大輔はあまり感情の見られない顔のまま美弥を見る。


 その能面の迫力に、美弥はただ頷いた。


 だが、大輔は落ち着いた仕草で弓を仕舞い始めただけだった。


 美弥はその後ろを付いて歩きながら言う。


「慌ててんのよね? 大輔」

「慌ててるのはお前だ」


 振り返りもせず言う大輔の背に向かい、美弥は思わず叫んでいた。


「慌ててよっ」

「なんでだ?」


 振り向き問うた大輔に、いやその、と口ごもる。


「容態は?」


 一応、そう問いながら、大輔は奥へと歩き出す。


 会話を漏れ聞いていたらしい部員たちがこちらを窺っていた。


「けっこう危ないらしいの……あ、いや。大丈夫だと思う。


 思うんだけど」


 さっきまで、大輔が不安にならないよう、どう言おうかとそればかり考えていたのに、彼のあまりの落ち着きように、自分の方が慌ててしまった。


 こちらに背を向けている大輔が少し笑ったような気がした。


 大輔は振り向かないまま、ポンと美弥の頭を叩く。


「落ち着け、美弥。

 大丈夫だ」


「いや、だから。

 それは私の台詞なんだってばっ」


「病院は何処だ?」

琢磨たくまおじさんのとこ」


「あそこに運び込まれるとは、運の悪い。

 逆に殺されかねんな……」


 物騒なことを呟き、大輔はスポーツバッグを開ける。


「そんなことないと思うけど。

 早く行こうよ」


「うん。

 そうだが、それにはな、美弥―」


 なになに? と身を乗り出すと、


「お前が外へ出ることが先決だ」


 大輔は美弥を廊下へ押し出した。ぴしゃん、と更衣室の戸が閉まる。


 大輔に付いてずっとしゃべっていた美弥は、いつの間にか一緒に入り込んでいたのだ。


 閉まった戸に向かい、美弥は叫ぶ。


「なによ、いいじゃないっ。

 幼なじみなんだからっ」


 男の癖にーっと言うと、中から大輔の落ち着いた声がした。


「俺はそういう安っぽい男じゃないんだ」


 逆でしょっ、それっ、と美弥はドアに蹴りを入れる。






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