近衛探偵事務所 ―あの川原―

 

「なにしに来た叶一」


 河川敷の黄色いテープの張られた向こう側から、三根が仁王立ちになってこちらを睨んでいた。


「なにしに来たはご挨拶だね。

 ちゃんと前田さん連れて来てあげたんじゃない」


「お前は来なくていいと言ったろ?」


 三根が言い終わらないうちに、成人男子にしては甲高い声が上がる。


「あっ、叶一さんっ!」


 鑑識の仕事は終わったらしく、荷物を車に載せていた若い男が、こちらに気づいて駆け寄ってきた。


 小柄で可愛らしいその容姿に、なんとなく昔の浩太を重ねる。


「こんにちはっ。

 奥さんも、こんにちはっ」


 帽子を脱いで、ぴょこぴょこと挨拶する様が、白兎を思わせた。


 いや、奥さんはやめて……と思いながら、美弥が、


「こ……こんにちは」


 苦笑いして挨拶すると、彼も後ろに居た大輔に気づいたらしく、それじゃまたっ、と逃げだそうとする。


 その首根っこを叶一が捕まえた。


「水野くん、ちょっとちょっと~」


「おい、叶一!

 また余計なことすんなよっ。


 ってか、水野!

 そんな奴に懐いてんじゃねえっ」


 三根が怒鳴るのも聞かず、叶一は水野を連れて行ってしまう。


 銀色のケースを車に運んでいた鑑識の課長が、叶一を見て、びくりとし、何か言っていたが、相変わらず聞いていない。


 課長にも、大仰な仕草で何事が言い、誤魔化していた。


 まったく……と思いながら、それを見ていると、


「美弥ちゃん、ありがとう。

 悪かったね。せっかくの仕事」

と三根が申し訳なさそうに言ってきた。


 いえいえ、と美弥は手を振る。


「こちらこそ紹介していただいて、ありがとうございました」


 遺体の確認をさせるため、別の刑事に前田を連れて行かせたあと、ふっと近づいた三根が声を落として言った。


「前田さん、此処の人じゃないから、ちょうどいいやと思ったんだけどね」


 あは、と美弥は小さく笑う。


 警察がうちなんか紹介したとわかったら、大問題かもしれないのに。


 三根のやさしさが嬉しかった。


 大輔は現場の方を無言で見ていたが、

「殺人ですか?」

とふいに口を開く。


 うん、まあね、と三根は曖昧に言葉を濁した。

 その意味を察して大輔は言う。


「別に事件に首を突っ込んだりはしませんよ。

 俺は叶一とは違いますから」


「……大ちゃんはもっと、いろいろ首突っ込んだ方がいいよ」


 三根の忠告に、どういう意味です? と大輔はくそ真面目に訊き返す。


 いや、あんたのさ。

 その、今の状況をなんとな~く流して放っておく性格を言ってんじゃないのかな、三根さんは。


 ま、所詮、私も放って置かれる程度の女か、と美弥は三根にもう一度礼を言い、歩き出す。


 橋の袂が蒼いビニールで囲ってあった。


 あそこに遺体があるのだろう。


 そこに入っていく前、ちらりと縋るようにこちらを振り返った前田の姿が見えた。


 鑑識の中に入り込んでしまっている叶一のことは放っておいて、二人で川原の上の細い道を歩いて帰る。


 昼近くなり、少し温かみを増した水の流れる音がそこまで聞こえていた。


「懐かしいね」

「うん?」


 今は咲いていない桜並木を見上げて美弥は言った。


「あのとき歩いたじゃない、此処」

「……そうだな」


 なんとなく会話が途切れがちになる。


 何処で人生間違ったかな。

 時折、ふとそんなことを考える。


 子どもの頃には思いもしなかったことだ。


 自分が自分の歩いてきた道を疑うなどと――。


「でも、やっぱり、挫折のない人生も駄目よね」


 急にそんなことを言い出した美弥に、大輔は、はあ? という顔をする。


「いやいや、いろいろ失敗やミスや挫折がある方が、人の痛みがわかるようになるってこと」


「……お前はミス、犯しすぎだろ」


「いや、あんたに言われたくないわ……」


 二人は思わず睨み合う。


 だが、美弥は、すぐに、ふっと笑った。


 この場所のせいかもしれない。


「大輔」

「なんだ」


「手繋いで帰ろうか」

 いつも冷静な大輔が咳き込む。


「なに言ってんだ」

「いやいや、なんだか子どもの頃思い出して」


「だが、今、それをやると、世間様は不倫って言うんだ」


「手を繋いだだけで不倫って、なに?」


 そう言い返しはしたが、やはり手は繋がずに、二人は歩き出す。


 もう桜並木は途絶えていた。


 美弥は思わず、今は咲いていないそれを振り返る。


 あれからもう、何年経ったかなあ――。





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