第二章 インチキ探偵事務所とインチキ霊能者
近衛探偵事務所、最初の(まともな)事件
事務所には美弥が好む薫り高い紅茶の香りが溢れていた。
だが、カップを手にした依頼人前田は、なかなかそれを口にしようとはしない。
営業廻りで珈琲ばかり出されるから、他の物がいいと言ったので、紅茶を用意してみたのだが、もしかして、嫌いだったのだろうかと思っていると、前田は困ったように、
「あの……」
と言った。
「は、はい、なんでしょう?」
勢い込んで訊いた美弥に、
「いえ、なんだか飲みにくくて」
と照れたように言う。
前田のその言葉にようやく気づいた。
彼の前のソファに座る自分も大輔も、前のめりになって彼を見つめていたことに。
「すす、すみません」
慌てて身を引きながら、美弥は苦笑いして言った。
「まともな依頼人初めてなんで」
はあ? と前田は小さな目をしばたたく。
「あの、今回、何処でこちらをお知りになったんでしょうか?」
まるで怪しいアンケートのように美弥は揉み手で問うた。
「それが県警に相談に伺ったら、警察ではそんな話は受けられないと言われまして。
たまたま受付近くにいらっしゃった三根さんて刑事さんが此処を紹介してくださったんです」
「ああ、三根さん……」
ようやく納得がいった。
「探偵事務所とか興信所とかってよくわからないもんですから。
警察とお付き合いのあるところだったら、まあ、信用できるかなと思いまして」
確かにお付き合いはあるが、それは『ご近所さん』としてのお付き合いだ。
だが、そのことは黙っておいた。
前田はとりあえず、前置きと言えるものを言って、安心したのか。
こちらのほっとした空気が伝わったのか。
ようやく紅茶に一口、口をつけた。
前田は小太りだが妙に爽やかなイメージのある男だった。
営業なので、そういう雰囲気を身につけているよう努力しているのかもしれない。
年の頃は三十代後半から四十代始めくらいか。
象のような小さな優しい目をしていた。
「ところで前田さんは、この辺りの方じゃありませんね?」
そう美弥が言うと、反射的に返事をしたあとで、前田はひどく驚いた。
「あ、はい。
どうしてです?
あ、もしかして、見ただけでいろいろわかるんですか!
さすが探偵事務所ですね!」
確かに見ただけで何やらわかる男は此処に居るのだが、そういう意味でではない。
前田の新鮮な驚きに、なんだか申し訳ない気がして、美弥は慌てて付け加えた。
「いえいえ、たいした理由ではないんです」
前田が此処の人間でないことがわかったのは、本当にしょうもない理由で。
そして、その理由を彼に言うわけにはいかなかった。
恐らく、言った途端、依頼はなかったことにされてしまうだろうから。
せっかく三根が気を利かせて紹介してくれたのに、依頼内容を聞く前にそれではあまりにも情けない。
そう思ったとき、大輔が溜息まじりに言った。
「美弥、言った方がいいと思うぞ。
これじゃ詐欺―」
大輔が言い終わる前に、笑顔のまま、その足を踏む。
彼は無言で痛そうにしていた。
「此処の備品、ガス、電気水道!
一から十まで!
全部浩太からの依頼とおじ様の厚意と、あと、
いつまでもこのままでいいと思ってんの!?」
おじ様というのは、義父、久世隆利のことだ。
あんまり父とは呼びたくないので、普段はつい、昔のまま『おじ様』と言ってしまう。
わかったよ、と大輔は小さく言って、依頼人に向き直った。
「で? その警察で断られたって依頼の内容はなんですか?」
真面目だが、愛想もクソもないその口のきき方に。
やっぱり客商売には向いてないなと思う。
「実はうちの社長が行方不明でして」
と前田は写真を取り出す。
「……見たことあるな」
その四角い顔をした年配の男の写真を手に、大輔が呟いた。
「え?」
「ああ、いえ、続けてください」
「社長はちょっと放浪癖がありまして。
よくふらっと居なくなるんです。
それで全国各地にある行きつけの旅館とかゴルフ場とかを皆で当たってるんですが」
「そりゃ、警察は捜してくれないでしょう?」
「ええ。
おまけに社長が出てったのおとついですから」
それでどうして? と美弥が口を挟んだ。
そんな状態で、警察に捜索願いをという話はおかしい。
「それが急に社長の決裁が必要なものが出てきまして。
いつもなら連絡くらいはなんとか取れるんですが。
今回は携帯も繋がらないですし。
この辺りで社長を見たという話を聞きまして、営業でこちらに来ていた私が捜しに来たんですが」
大輔は写真を見たまま何やら考え込んでいる。
見たことあると言っていたから、そのことを考えているのか。
写真から何か、例のあれで読み取っているのか。
美弥にはわかりかねた。
「この社長……」
大輔が重い口調で言いかけたとき、バンと派手にドアが開いた。
携帯片手に叶一が姿を現す。
事務所に入ってすぐ、電話がかかって出て行っていってしまっていたのだが。
「やあやあ、貴方が前田さんですね」
名乗りを上げる武者のように叶一は、赤い携帯を開いたまま呼びかける。
「どうも、初めまして。
所員の近衛叶一です」
「ああ、先程、お電話差し上げたときの」
と莫迦丁寧に前田は腰を浮かそうとする。
叶一は大仰にそれを手で制した。
「いえいえ、結構です。
僕はただの平社員ですから。
どうぞ、そのまま。
所長はそこに居る妻の近衛美弥」
誰が妻だと思ったが、実際その通りなのだから、文句も言えず、美弥は笑顔のまま、ぐっと堪えた。
「そちらが所長代理の久世大輔。
妻の愛人です」
叶一さんっ、とさすがに美弥は立ち上がる。
誰が所内の内幕をいちいち依頼人に話せと言った~!?
ってか、愛人ってなによっ。
と心の中で叫んだが、叶一はもう素知らぬ顔で、前田に向かって言う。
「すみませんが、その依頼は受けられません」
「は?」
「今、三根さんから電話が入りました。
前田さん、すぐさまそこの河川敷へと向かって下さい」
え? と前田だけでなく、美弥たちも腰を浮かして、叶一が指さした方を見る。
それは窓から見えるビルの向こうの川原を示していた。
「お宅の社長、
河川敷で遺体で発見されたそうです」
もうちょっとなんとか、ソフトにオブラートに包んで……と思ったときには、もちろんもう遅かった。
前田は小さな目を見開き、茫然とその場に立ち尽くしていた――。
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