回し車

らいお

回し車

 これは、俺がまだ小学校低学年の頃の事だったと思う。


 その日は、両親にねだりにねだって買ってもらったハムスターを机の上に出してずっと観察をしていた。

 母からは「いつまで遊んでいるんだ」と怒られもしたが、子供の好奇心と探求心というものはとても深い部分まで突き刺さり衝動的なまでに駆り立てる。当時の俺はそのあくなき好奇心と探求心をハムスターにぶつけている真っ最中だった。いくら母から怒られようが、そんな事は知ったこっちゃないとでも言うかのように観察を続けていた。

 ベタベタと触られていたハムスターは、さぞ不快だった事だろう。時折「キーッ」と甲高い声を上げ威嚇していたがその頃の俺にそんな事が分かるわけも無く。

なぜそんな甲高い声を出すのか、なぜ噛むのか。噛まれた指先は小さい噛み痕と共に血が滴り、自分で指を噛むよりもなぜこんなにも痛いのか、そしてその小さな体からどうしてそこまでの力が出せるのか。ただただ不思議で仕方なかった。


「何してるのっ!?」


 手を噛まれすぎて血だらけになっていたからだろうか。母にまたしても怒られ、今度は身体を引っ張られ強制的にハムスターから距離を取る事となってしまった。


 母によりハムスターの観察を強制的に辞めさせられた日の風呂は、とても指先が沁みて痛かった事を覚えている。

 湯船に浸かれば痛み、髪を洗うと更に痛む。シャンプーは傷口に沁みると、改めて思った。


 風呂から上がれば、もう寝る時間だ。当時の俺は二十一時には和室に川の字で敷かれている布団に入り、母と父を待たずに眠りについていた。

 微睡の最中に、ハムスターが回し車をカラカラと回す音が聞こえた気がした。


 深夜に、ふと目が覚めた。部屋は暗かったが、窓から射す僅かな月明かりでかろうじて部屋の中の様子が見えていた。

 横には母が寝息を立てている。そして母の横からは、煩い父のいびきが聞こえる。父がもう帰ってきて寝ている事から、少なくとも今は深夜の一時を過ぎている時間だという事だけが分かった。

 そこで、違和感に気が付いた。身体が、動かない。ハムスターに噛まれた指先がズキズキと痛んだので擦ろうか、とでも思って動かそうとしてみたが、自分の意思と反してまったく動こうとしない。

 俗に言う、金縛りというやつだろう。

 身体は動かないが、目だけは動かすことができた。

 今の視界は、天井しか映っていない。当時の俺は、天井のシミが人の顔に見えたことがあり、それ以来天井を見ないようにして顔を横に向け寝ていた。だが、寝ている最中に天井を向いていたのだろう。そして、その状態で目が覚め、金縛りにあった。

 俺は、身体が動かない事と天井を見ている事に恐怖していた。声を出そうにも、空気が漏れ出ているような音しか出ない。

 母の寝息と父の煩いいびきが、かろうじて恐怖心を和らげてくれていた。


 どのくらい時間が経っただろうか。体感ではひどく、ひどく長く感じた。

 まだ、金縛りは解けない。この状況にも慣れてきて、恐怖心も薄まり次第に好奇心と探求心が沸き上がってきていた。

 この状況は、何だろうか?なぜ、身体が動かないのだろうか?

 ただただ湧き上がってくる疑問に考えても答えが出てくるわけも無く。

 そんな事を考えていると、ハムスターが回し車をカラカラと回す音が聞こえた気がした。


 考えても答えの出ない疑問を考える事に飽きてきた頃。

 視界の端で、微かに青白く動くモノが見えた気がした。

 俺は、顔は動かせないので目だけを必死に動かし、なんとかその青白いモノを見る事にした。

 見えたのは、ソリ。雪遊びで使うソリだ。宙に浮かび、宙を駆け滑っている。

 そして次に浮かんできたのは、馬。実際の馬のサイズではなく、とても小さい馬だった。宙を駆けているはずなのに、なぜだかパカパカと蹄の音が聞こえる。

 そして次に出てきたのは、妖精。いや、実際に妖精を見たことが無いのでそれが妖精なのかは分からないが、小さいながらも人のような容姿に、背中には薄く透き通るような羽。これを妖精と言わずに何と例える事ができるだろうか。

 次々と浮かんでくる。果物、お菓子、動物等々……浮かんでくるものにはどれも関連性は無い。

 とても綺麗で、まるで絵本の中のような現象だった。


 ――きっとこれは、夢だろう。


 そんな考えが、頭に浮かぶ。そりゃそうだろう。こんな煌びやかな現象が、現実なはずがない。であれば、この綺麗で素敵な空間を、もう少し堪能するとしよう。


 まるで遊園地のような空間も、もうじき終わりらしい。浮かんでいたモノ達は次々と消えていき、最後に残ったのは馬と妖精。

 妖精が馬の背に乗りだした。すると、先程まで青白い光に包まれていた妖精と馬だったが、色が抜け白く、そして薄くなっていく。

 少し、不気味だ。先程までは青白く発光していたから表情が見えなかったが、今は薄くだが表情が見えている。

 馬はよく知る表情だったが、妖精は目が無く、頬は痩せこけている。

 その馬に乗った妖精が、俺に向かって突っ込んで来た。

 避けようにも、身体が動かない。声も出ない。何故だか、母の寝息と父の煩かったいびきも聞こえなかった。聞こえる音は、馬の蹄と、妖精が発してるのだろうか。甲高い笑い声が聞こえた。

 目を閉じる事も出来ず、ただただ突っ込んでくるという状況を眺める事しかできない。

 目と鼻の距離にまで妖精たちが迫って来た時、ハムスターが回し車をカラカラと回す音が聞こえた。




 気が付くと部屋は明るくなっていた。身体も動く。横で寝ていた母と父はもうすでに起きていて、この和室には俺一人しかいなかった。


「さっさと起きて朝ご飯食べちゃいなさい」


母の声が聞こえた。聞きなれた、安心する声だ。

 俺は布団から起き上がり、朝ご飯を食べにリビングへ向かう。

 昨晩の見たモノは、現実だったのか、夢だったのかは分からない。きっと、母に言っても信じてくれないだろうし、夢だと片付けられてしまうだろう。この事は、誰にも言わずに俺の中に秘しておこう。

 リビングに向かう途中、ハムスターが回し車をカラカラと回す音が聞こえた気がした。

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回し車 らいお @Raio0328

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