桜花町殺人事件
nandemo arisa
第1話 小楠戸 由半
春風が勢いよく桜の花びらを掬い上げ、方々へと舞わせる。
そんな春の陽気漂う中、僕はある大学の法学部への入学を果たした。
大学一年生と聞くと、若々しい青春の日々と思われる方も少なくは無いだろう。
しかし、盲腸を患い、入学式に出席できなかった僕にとって、このキャンパスライフが上手くいくとは到底思えなかった。
周囲は既に友人の和を形成し、新たな客人を歓迎する雰囲気ではなくなってしまっていた。
僕は、授業には毎度一人ぽつんと出席し、食堂でもボッチ飯という悲しき事態に陥っていた。
そんな時、
彼との出会いは日本国憲法の講義が終わってからだった。講義が終わった直後、彼は僕に話しかけてきた。
「今から食事に行く気なら、一緒してもいいかい。」
あまりにも突然のことで、驚きによって僕は言葉が出てこなかった。何故、僕がそれほど驚いたかというと、その時の時刻は10時15分を迎えたところだったのだ。
「何故、僕が今から食事に行くと?朝食には遅すぎるし、昼食には早すぎる。」
「ああ、それなら君を見ればすぐに分かるじゃないか。リュックを背負っているのに、財布を握り締めているんだから。」
僕は静かに手に持った財布に視線を落とし、また彼を見た。
「もしかすると、文具を買いにいくのかもしれない。」
「いや、その選択はない。この新学期が始まったところで今から文具を買い足す人間は少ない。何故なら、授業開始から三週間は経つ。もう一通りの授業がどんなものか理解しているくらいの時期なんだから。あるとすれば、消しゴムかシャーペンの芯くらいのものだけど、先ほどの授業で何の問題もなさそうに見えた。」
「ガムや飴を買いに行くかも。はたまた、パンといった類の軽食かもしれない。」
「君はA定食を食べに行くんだろ? A定食は人気だから、1限の前に買わないと無くなってしまう。今日は朝から食堂の券売機に行くまでの廊下が水漏れで水浸しになって騒ぎになっていたって、廊下で噂していてね。君のズボンの裾には水が跳ねた跡がしっかりと付いていたし、その財布に食券が入っているだろうってわけさ。」
彼は細い目を頬の肉で柔らかく曲げ、笑顔を作った。そして、彼の人差し指と中指の間にはA定食と書かれた食券が挟まれている。
「因みに僕は、食堂のおばちゃんに顔が利くからA定食の食券はもらえるんだ。」
僕は自分のズボンの裾の水撥ねで汚れた部分を確認した後、降参してため息をついた。
「確かに僕は今から早めの昼食にに向かうところだ。けど、どうして、僕なんだい?他にもA定食を食べに行くやつはいっぱいいると思うけど。」
「君に友人がいないからさ。僕は大人数で群れを成すのは好みじゃない。だけど、折角の大学生活だからね。一人くらいは友人が欲しい。」
僕は心底驚き、眉を潜める。
「何故、僕に友人がいないと?」
「君はきっと、入学式に出ていないんじゃないか?」
「まあね。盲腸で入院していてね。」
「一週目には授業に来なかったが、二週目からは他の授業にも必ず来ていた。しかし、いつも一人で同じ席に座っていた。食堂でも同じだ。そして、君は授業中に一度もスマホを見ない。今ですらすっかりスマホをリュックの中にしまっている。最近の学生は、大体がスマホを手に持ち歩いている。もしくはポケットにでも入れているだろう。しかし、君といえば、一度たりともスマホを見なかった。勤勉で真面目な性格であることはもちろん、連絡を取る相手が大していないからだ。」
あまりにも図星だったもので、僕は力なく笑った。
「素晴らしいね。恐れ入ったよ。僕の悲しみの大学デビューについてのご解答ありがとう。」
「僕は、勤勉真面目な人間が好きなんだ。君なら素晴らしい友人になると思った。食事を一緒して良いかい?」
僕は、この癖の強い彼をすっかり気に入っていた。彼に求められた握手に、僕はしっかりと手を差し出した。
「もちろんさ。僕は、
「僕は小楠戸 由半。よろしく、史樹。」
こうして僕ら二人は、A定食の儀に出かけた。
これが彼との出会いとなった。
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