冬の銘仙

増田朋美

冬の銘仙

冬らしく寒くて、いかにも寒波というのにふさわしい日であった。そんな日は、たいてい着るものに困るものだ。洋服という選択肢もあるが、それ以外のものを着用する場合、何が候補に上がるのだろうか。もし、着物と言うものが上がるのであれば、どうなるだろう。

その日、杉ちゃんたちは、みかんを食べていた。水穂さんも今日は調子が良いらしく布団の上に座って、みかんを食べるのに加わっていた。みかんは製鉄所の利用者が持ってきたものである。製鉄所と言っても、勉強や仕事をする場を貸すだけの施設であるが、最近また利用者が増えてきている。特に、農業をやっている家から、居場所が無いと言って、来訪するものが増えている。農家というものは、働かざるもの食うべからず的な傾向があり、居場所をなくしてしまう人も少なくないのである。みかんをくれた利用者もその一人だった。

杉ちゃんたちが、はあ、この蜜柑はうまいなあ、などと言いながら、お茶を飲んだりしていると、

「杉ちゃん、ちょっと相談があるんだけど、入ってもいいかしら?」

と、浜島咲が、玄関先でそう言っている声がした。なんだろうと思って、杉ちゃんが玄関先へ行ってみると、浜島咲は一人の女性を連れてやってきたのだった。その女性は、相談に乗ってくださいともいわず、杉ちゃんを見ても挨拶もしなかったので、もしかしたら、精神障害でもあるのではないかと思われるような女性だった。しかもその女性は赤い色に大きな菊の花が入った着物を着ている。こういう大胆なデザインは、着物に慣れている人が見たら、すぐに銘仙だとわかるようなデザインであった。

「まあ良い。二人とも中にはいれ。」

杉ちゃんがそう言うと、咲はお邪魔しますと言って、製鉄所の中へ入った。隣にいた女性も製鉄所の中に入ったが、なんの挨拶もしなかった。というより、挨拶ができない人なのかもしれない。すべての人が、正常に動ける人ばかりとは限らないから。

「まあこっちへ来い。」

杉ちゃんは、彼女たちを連れて、四畳半へ入った。

四畳半へ行くと、水穂さんが待っていたが、その女性が銘仙の着物を着ているのを見て、たいへんに驚いてしまったようで、すぐに咳き込んでしまった。幸い内容物は少しで済んだが、水穂さんは、

「よしてください。わざわざ差別されていた人の着物なんか着るなんて。」

急いでそういうのであるが、その女性は、水穂さんがなぜ咳き込んでしまったのか、理解していない様子であった。

「どうかやめてください。なんでわざわざ貧しい人の着物なんか着るのですか。あなたまで、人種差別をされてしまうようでは、たいへん困ります。どうかやめてください。お願いします。」

しまいには水穂さんは座礼までし始めた。

「右城くん。」

咲が、水穂さんにいった。

「落ち着いてちょうだいよ。あたしだってこの人に銘仙の着物着てほしくないのよ。今日はその事を相談に来たの。」

「そのことって何だ?かくさずに話してみな?初めから頼むよ。そして終わりまでちゃんと聞かせてもらうぜ、よろしくな。」

杉ちゃんにいわれて、咲は話し始めた。

「杉ちゃんありがとう、じゃあ、初めから話すわね。彼女は浜野楓さん。うつ病なんだけど、外へ出るきっかけがほしいと言って、いまうちのお教室に来ているの。」

「はあなるほどね。うつを治すきっかけに、お教室に来ているのね。」

杉ちゃんは、このときもそうだったのであるが、ヤクザの親分みたいな喋り方をした。それがちょっと浜野さんには怖かったようだ。

「何も怖がらなくても良いんだよ。お前さんは悪いことをしているわけではない。ただ、着物のルールを間違えただけだ。これから、訂正してあげるから、大丈夫。」

と、杉ちゃんはいうが、浜野さんはウンウンと頷くだけであった。

「それで、お琴教室に来ているんだけど、苑子さんが、着物を着てくるようにと言ったら、彼女、この銘仙の着物で、お教室に何度も現れて、其のたびに叱られるのよ。でも、彼女は改めようとしないのよ。それで、どうしたら、やめさせられるか、杉ちゃんもちょっと説得のアイデアを出してよ。」

と、咲が言った。確かに銘仙の着物というと、可愛らしいし、着てみたいと思う気持ちが湧いてこないわけでもない。まあ、その気持は否定しては行けないんだろう。だけど、紬よりも順位が低いことはあまり公にされていなかった。それも本当は、しっかり伝えていかなければならないが、それをしてくれる人は少ないのだ。かといって、道路を歩いていると、いきなり格の低い着物を着るなと言ってくるおばさんもいるので、そういわれても困ってしまうだけなのは疑いないだろう。

「まあ待て待て、要するにだなあ。銘仙がなんで格が低いのか、それを言って聞かせることから、始めなければいかん。」

杉ちゃんは腕組みをした。

「決まってるじゃないですか。日常的に着ている僕達みたいに、人種差別されたくないからですよ。ましてやうつがあるんなら、その時のショックも大きいでしょう。それでは行けないから、気軽に着ようとは考えないでもらいたいんですよ。」

水穂さんがそう言うが、そもそも同和問題のことだってちゃんと教わったことは無いはずだ、人種差別があったことだって若い女性はあまり知らないにちがいない。

「そうなんだけどねえ。確かに可愛いという主張もわからないわけでは無いよ。だけど、お琴教室とか、そういうところには向かないよ。それはちゃんと頭に入れておいてほしいなあ。良いか、江戸時代までの日本は、士農工商の身分制度があった。これは知っているか?」

と、杉ちゃんは、浜野さんに聞いた。浜野さんは、それはなんとなく知っています、とだけ答えた。

「じゃあ、それならね、その士農工商より、もっと低い身分があったことも、知っているか?それは、学校でもあまり教わらないことだろうけどさ。インドのカーストだって、最下位以下と呼ばれる、不可触民とかいわれた人たちが居るよな。それと似たようなもんだけど?」

と、杉ちゃんがまた聞くと、

「いえ、それは知りませんでした。そういう身分があったなんて。私、学校で教わった事もありません。それは、何も知らないんです。」

と、浜野さんは答えた。

「そうなんだね。じゃあ、今覚えろよ。不可触民みたいな制度が、日本にもあったんだ。そういう差別的に扱われてきた人たちの着物が、銘仙と言うわけだ。だから、単に、室内着とか、そういうふうにしか認識されないの。」

と、杉ちゃんは、しっかりと説明した。そういうところはちゃんと伝えないとだめだと思った。

「そういうわけだから、銘仙を人前で着ると、変なふうな目で見られるの。苑子さんに叱られるのは、そういう理由があるわけ。うまく想像できるかどうか知らないが、最下位よりしたの身分のやつが、お琴を弾くことは、まず無いでしょ。だから、銘仙をお琴教室にはつかえないんだよ。」

「そうなんですか。なんだか、着物であれば何でもいいなんて言ってくれる人もいましたが、それは、」

浜野さんはそう言いかけたが、杉ちゃんはそれを否定した。

「ああ、それは大間違いだ。そんな事、どこの誰がそういう事を言うんだよ。着物って、そういうところがあるから困るよな。なんでも着ていればいいなんて、着物を着ない人が言うことばだよ。着ている人は、やっぱり、順位とか、着ていく場所とか、気にするよね。そういう明確な基準が無いから、困るんだよな。ましてや今は、誤った情報が流れ出ちまっている事もあるし、どれが正常で、どれが異常かなんて、よくわからないことが多いと思うけど、それは、自分がどのような立場にいて、どういうときに着物を着るのか、よく考えて見ると、わかると思うよ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「良かったわねえ。浜野さん。杉ちゃんが一生懸命説明してくれたから、ほんと、助かったわねえ。あたしじゃ、そういうことまで説明できないもん。杉ちゃんがいてくれて、本当に良かったわよ。杉ちゃん、ありがとう。」

咲は、杉ちゃんにお礼を言って、

「どう?これでわかった?お稽古に銘仙の着物を着てはいけない理由。」

と、浜野さんに聞いてみた。

「そうですね。私は、着物と言うものはよく知らないんですけど、そうなると、銘仙の着物を着ていく場所がなくなってしまうような気がするんですけど。」

と、浜野さんは答える。

「まあ、着る場所が無いんだったら作るしか無いだろう。それは、着物を着る奴らの宿命だからね。逆に、低い身分の人が、関係ない行事だったら良いかもしれないね。西洋文化だったら、そういう人は、関わらないよね。日本では、伝統と西洋文化が混在しているから、そういうクロスオーバー的なものを見に行くときでも良いかもしれないね。そういうことだったら、良いんじゃないの。そういうふうに、考えて、着物も活躍する場所を作ってやれや。」

杉ちゃんは、にこやかに笑った。

「大丈夫だよ。日本は、いろんな文化がごたまぜになっている国家だし、銘仙の着物を着ていく場所だって、必ずある。ただ、お琴教室は、それを着ていく文化でないだけでね。何を見に行くかとか、何をしに行くかとか、そういう事をちゃんと考えて着物は選ぶことだな。ときには、そんな事クソくらえの人もいるかも知れないね。でも、琴を習うってことは、それには当てはまらないだろう。そういうふうに、自分の立場とか、出かける目的とか、考えて着物を選ぶことだな。」

「杉ちゃん、本当にどうもありがとう。そうやって教えてくれて、本当に助かったわよ。やっぱり、そういう説明があって、はじめてわかるもんだわ。今日は私も、勉強になった。着物って、そんなに難しいのかって、私も知ったわ。杉ちゃん、教えてくれてありがとうね。」

咲は、杉ちゃんに礼を言った。例の、浜野さんも、そういうことなのか、という顔をして、杉ちゃんの顔を見ている。

「まあ、そういうことだな。今は、なんでもありの世界って言うけど、自分の置かれた立場とか、そういう事を、ちゃんとわきまえて、着物を着ると良いよ。周りの情報に流されるだけではだめ。伝統文化に携わっているやつが、そういう変な着物の着方をしていたら、それこそおかしいだろ?」

「わかりました。ありがとうございます。でも、杉ちゃんさん、訂正させていただけないでしょうか。」

と、浜野さんは杉ちゃんに言った。

「はあ何だ?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ。杉ちゃんさんは、銘仙が、悪いものだとお考えでした。でも、私は、銘仙というものは悪いものでは無いと思います。かわいいし、とってもおしゃれだし。それは、他の誰にも変えられない事実ですよね。」

と、浜野さんは言った。

「そうかも知れないが、お琴教室に、」

と、杉ちゃんがいうと、

「お琴教室なければ、着用しても、良いんですよね?」

浜野さんは言った。

「まあ、でも、日本の伝統文化に関わるときは、やめたほうが良いよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「よしてください。銘仙を日常的に着ていたら、それこそ、僕達と同じように、人種差別を受けることになってしまいますよ。」

と、水穂さんが言った。

「まあ、そうかも知れないんですけど、そういう身分のこととか、伝統文化とか、そういうときに着なければ良いってことでもあるじゃないですか。そういう機会だってあるって、杉ちゃんさんは仰ってくださいましたよね。私、今は思い浮かびませんが、そういうことだって絶対あると思いますよ。身分のことも、伝統文化の事も考えなくて良い世界。それは、きっとあると、思うんです。だから、銘仙は捨てないで取っておくことにしますよ。」

浜野さんは、にこやかに笑っていった。

「でも、」

と、水穂さんはまだ不安そうな顔をしているけれど、咲が

「右城くん、もう気にしないであげたら。そうやって古い考えに縛られていたら、彼女の気持ちも汚してしまう事になりかねないわよ。」

と、急いで言った。水穂さんは、そうですねと小さい声で頷いた。


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冬の銘仙 増田朋美 @masubuchi4996

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