チェタと機関銃

大枝 岳志

第1話

 砂埃の舞う乾いた土地だった。誰が残して行ったのかは分からないが、井戸のある朽ちた街にその部族達は新しい村を作った。その村を守るのはわずか十六歳の戦士「チェタ」だった。

 村の者達は昼夜問わずに木造りのゲート前に立つチェタを誇りに想い、頼りにしていた。

 子供達は機関銃を肩に掛けたチェタに憧れを抱き、彼を真似た立ち姿でポーズを決める者も多くあった。


 とにかく雨の降らない年だった。

 村の遥か遠くからジープの音が聞こえて来ると、チェタは咄嗟に音のする方角に銃を向けて身構えた。


 ジープが見えて来ると、運転手以外の男達三人が両手を挙げている。どうやら敵意はなさそうだ。砂煙を上げるジープが村のゲート前で停車する。彼らはこの村から五キロほど離れた隣村の部族の連中だった。


 車から降りるようチェタが銃で指し示すと、男達は黙って車から降りた。

 銃を構えながら、チェタが詰め寄る。


「用件はなんだ?」

「水とコイツを交換してくれないか? うちの村の井戸が枯れてしまったんだ。何度も祈祷をしたが通じなかった」


 そう言って男達がチェタに差し出したのは硬い葉に包まれた羊頭の燻製だった。葉から零れてごろりと転がったドス黒い羊頭を見下ろし、チェタは嘲笑いながらこう言った。


「分かった。その乗り物と交換って事でいいんだな?」


 その言葉に男達は目を見合わせ、首を揃えて横に振った。


「チェタ、それだけは勘弁してくれ。水を持って帰れなくなる。一度、村長と話をさせてもらえないか?」

「それはダメだ、俺がこの場を任されているんだ。置いて行くのか、置いて行かないかはおまえらが決めていい。ただ、その気持ちの悪い燻製は持って帰ってくれ」


 結局、彼らはチェタの要求を飲む事にした。後で返す、という約束で村に置かれていた日に焼けた水の入ったポリタンクを抱えながら、彼らは自分達足で村へと帰って行った。

 ジープを手に入れたチェタだったが、彼がそのジープに乗る事は一度も無かった。足腰が弱り始めた村長の為に、チェタはジープを手に入れたのだ。


 極めて暑い日が続いた。日照りとなった各地の者が村に水を求め、次々とやって来た。

 村の水が枯渇する事はなかったが、チェタの交渉術は日増しにその才能を開花させて行った。


 村の誰も履いていない「シューズ」をチェタは履いていた。裸足の少年達がチェタを取り囲むと、シューズを眺めながらその瞳を輝かせた。チェタは誇らしげにフン、と鼻を鳴らし「そんなに欲しいなら俺から奪ってみろ」と言って機関銃を青空に向け、白い歯を見せて微笑んだ。


 チェタの二つ下のマーレという少年がある日、ゲートの前を横切ろうとすると「おい」と声を掛けられた。声を掛けて来たのは門番のチェタだったのだが、その目にどこか虚ろな印象を受けた。


「どうしたんだい、チェタ?」

「マーレ。ここを通りたかったら金を払うんだ」

「それは、何故だい?」

「俺の前を横切ろうとしたからだ。早く、金を払うんだ」

「待ってくれよ。それなら大回りする」

「ダメだ。今すぐ、払うんだ」


 そう言ってチェタは村人にたった一度たりとも向けた事の無かった銃口をマーレに向けたのだった。

 マーレは突然の不安に襲われたが、チェタは虚ろな目のままマーレを見据えて引き金に指を添えている。

 本気で撃つ、というチェタの気迫がこれでもかとマーレの身体を震わせた。


 緩い風が吹き、マーレの額に粘性を失った汗が浮かんで黒い肌を滑り落ちて行く。


「時間切れだ」


 チェタが芯を失くしたような声でそう言うと、目を閉じたマーレの背後から大声がした。


「チェタ、やめるんだ! それでも村の戦士か」


 マーレが振り返ると、そこに立っていたのは村長だった。色とりどりの装飾品に身を包んでいるが、杖で必死に身体を支えているのが遠目でも分かる。

 村長の言葉に我を取り戻したかのように、チェタは静かに機関銃を下ろした。


 村長は頭を抱えているチェタの肩を叩くと、そっと何かを手渡した。

 何かの牙。あれは確か、ライオンの牙だ。マーレはそれに気付いたが、チェタは手渡された物を実に不思議そうな顔で眺めていた。


「これは、かつて戦士だったおまえの父が取って来た「王の牙」だ。この戦士の証を、おまえに授けよう」


 そう言って村長はチェタの手を両手で包み込み、王の牙を力強く握らせた。

 しかし、チェタは沈んだ目をしながら首を横に振った。


「俺は、もらえない。それに俺の親父は、戦いじゃなくて病気で死んだんだ。戦士なんかじゃない」

「何を言っているんだ。チェタ、誇りを失くすな」

「元々、俺にそんなものないんだ。俺にはそんなもの、必要ないんだ」


 吐き捨てるように言ったチェタは、王の牙をマーレに向かって放り投げた。マーレは慌てて手を差し出したが、上手く掴めずに王の牙は砂の上に音もなく落下した。それを拾い上げると、チェタが言った。


「マーレ、おまえにやるよ。戦い方は自分で覚えろ」


 チェタは村長を押し退けるようにして、ゲート前に戻って行った。村長は顔を顰めながら頭を抱えて族長の家へ帰って行く。乾いた地面のいくつかの砂粒が、風に吹かれて飛んで行った。


 真夜中。マーレはナイフを研いでいた。

 チェタの寝込みを襲い、機関銃を奪って村の戦士になろうと覚悟を決めたのだった。


 思えば遥か東のテロリスト達が水を求めて村にやって来てから、チェタの様子は段々と変になっていった。

 ゲートの外でうわごとを呟きながら突っ立っていたり、子供達に対して怒りっぽくなったりもしていた。その癖、シューズを褒められると子供のように無邪気に喜んだりしていた。以前のチェタならそんな風に表情を一変させる事など無かったはずだ。彼は誰から見ても一人前の戦士だったのだから。


 チェタはテロリスト達から与えられた「白い悪魔」を使っているんだと、マーレは気付いてしまったのだ。


 他の部族の者達が水を求めてやって来る時は銃を突き付けながら怒鳴り声を上げて交渉するのに対し、テロリスト達にはそんな素振りすら見せずにあっさりと水を与えていた。


 彼はもう、戦士なんかじゃない。


 ナイフを懐に忍ばせ、家を出たマーレは一目散にチェタの家へ向かって駆け出した。

 月明かりが砂地を青々と夜に浮かび上がらせ、木造りのバラックの屋根を照らしていた。  

 マーレはゲートから一番近い家の前へ立つと、息を殺しながら傾いた木の扉をゆっくりと押し開いた。


 昼とは違い、急激に冷えた空気が家の中へと流れ込んで行く。 


 懐からナイフを取り出し、真っ暗な室内に目を這わせる。そしてベッドの上で仰向けになっているチェタを見て、マーレは呆気なく言葉を失った。


 チェタは口から泡を吹き、目を見開いたまま息絶えていたのだ。

 すぐに揺り起こそうとしたのだが、いくら揺すってもチェタの意識が戻る事は無かった。


 小さな丸テーブルの上には白い粉が飛び散っていて、扉から射し込んだ月明かりがそれを幻想的に浮かび上がらせていた。

 マーレが怒りを込めてテーブルを蹴飛ばすと、粉は羽ばたく蝶の鱗粉のように輝きながら部屋を舞い始めた。


 部屋の片隅に立て掛けられた機関銃を肩に背負ったマーレは、チェタをそのままにして裸足で外へ飛び出した。

 月明かりの下で機関銃の弾数を確かめようとして、マーレは思わず目を見開いた。


「そんな……嘘だろ」


 チェタが日頃携帯し、村の子供達が憧れていた機関銃には弾が一発も入っていなかったのだ。

 マガジンは空で、急いで戻ったチェタの部屋からも弾の予備は一切見つからなかった。


 マーレは寒さに震えながら、涙を零し続けた。

 それは決してチェタを失った悲しみから来るものではなかった。

 チェタが最期の最期まで戦士であった事を知り、その誇りに涙が零れ落ちたのだ。


 その一週間後。 


 テロリスト達が再び村を訪れると、機関銃を抱えたマーレが彼らに向かって銃口を向けた。

 テロリスト達は一斉に顔を見合わせ、マーレに詰め寄った。


「おい小僧。チェタはどうした?」

「彼は死んだ」

「死んだ? 何故だ?」

「彼は戦って、死んだんだ」

「そうか……それは残念だった。おい、水をくれよ。粉を作るのにも必要なんだ。おまえも粉が欲しいだろう?」

「俺は要らない。だから、おまえらは今すぐここから出て行け」


 機関銃を抱えたマーレが一歩前へ出る。その気迫を感じ取ったテロリスト達が一斉に武器を取り、マーレに突きつけた。戦いの経験ならテロリスト達の方が圧倒的なのは火を見るよりも明らかだった。しかし、マーレは武器を手にした彼らの前で少しも怯まなかった。


「撃ちたいなら撃てば良い。その代わり、俺を撃った瞬間に井戸の中には毒が投げ入れられる。俺と村人達は一心同体なんだ。さぁ、やるならさっさとやれよ」


 マーレの真剣な眼差しの前にテロリスト達は抵抗を見せず、すぐに武器を下ろした。そして小声で話し合った結果、マーレに金を差し出す事にした。

 それを一枚一枚数えるマーレに安堵の表情を浮かべたテロリスト達だったが、マーレは金を数え終わるとそれをポケットに仕舞い、今度は左手を差し出した。


「あと三枚だ。チップを貰っていない」


 そう言って白い歯を見せて笑うマーレに、テロリスト達も思わず声を立てて笑い出す。


 こうして、決して人を殺めない戦士がこの村に再び誕生したのであった。

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