再会

 山を降りて町を歩く。

 生まれ育った町の風景であるはずだが、その様相は生前とは随分変わっているように見えた。


 町並みに変化があるわけではない。背の高いマンションは完成当初こんな地方都市には不似合いでは無いかと思ったことを覚えているし、最期にあの山に入る前、飲み物を買ったコンビニエンスストアもそのままだ。


 あの日の道を遡れば信号の位置も、名も知らぬ民家の雰囲気も変わらない。もしかすると時間的に仕事に向かっているのだろう自動車も同じような顔ぶれかも知れない。


 彼を疑う気持ちなど微塵も持っていなかった私の記憶が古ぼけた脳を苛み、後悔の念が口から零れる。

 今もし私と彼が乗った車が赤信号で止まったならば、全力でその車を引き留めるだろう。


 それほどに町は変化がない。思えば10年以上もこの町に住んで、その変化の無さに退屈を感じていたのだから、私が蘇るまでの間に変化がないのは至極当然の事だろう。


 ただ変わっているのはこの町に住む生き物たちだ。人間の姿がひとつもなく、そのくせ数だけは人間みたいに多い。

 先程公園で出会った見たことの無い珍獣の仲間だろう。皆一様に顔の前に手を出す同じような姿勢をして、私に対して手に持っている小さな物を向けている。


 昔見たSF映画の登場人物にでもなった気分だ。眠りから覚めた私は人間のいない何処か未来にでもタイムスリップしてしまったのでは無いかとすら思う。


 一刻も早く彼に会わなければ。悠久の時間の中で彼がどうなっているのかわからない。けれど出会わなければ何もわからないままだ。私をこんな目に遭わせた彼に対する怒りと憎しみを存分に伝えなければならない。


 走る。緩慢で鈍重だった体が嘘のように軽い。まるで羽でも生えたような心地になりながら私は慣れた道を走る。


 共同のごみ捨て場の位置も、アパートの駐車場に停まる彼の車も変わらないのは何よりも救いだ。かつては心浮かれた目印が、今では住む人の違ってしまった世界で、彼の無事を確かめる唯一の方法となるとは随分な皮肉が効いている。


 彼の居るアパートの階段を上がる。

 年期の入った階段も当時のままだ。天井にぶら下がっている、今にも落ちそうな照明も変わらない。


 心の痛みはきっと、彼との美しかった記憶が引き起こすものだ。沢山の幸せな気持ちをくれたのは彼であることは間違いない。

 海に山に、町の映画館や百貨店に。

 ゴールデンウィークに夏休みに、ハロウィーンにクリスマスに。


 いろいろな場所に、いろいろな季節に彼と過ごした記憶が眠っている。それほど多くの時間を過ごした彼が、なぜあのようなことをしたのか、彼の部屋の前に立っても一向に理解できなかった。


 ただ、鍵の掛かっていない扉を開くと、それもすぐに理解する。


 古びていないはずの鉄扉があげた大きな軋みは私の心が受けた衝撃をそのまま表現したかのように、ひしゃげて壊れて割れたような音だった。


 見慣れぬ女性用の靴。

 ああ私は彼にとって不要な物になっていたのだ。私という長年連れ添った恋人よりも新しく出会った何者かに心を奪われたというのか。


 それにしても、別れ話のひとつなく、命を奪ったのは何故だ。怒りが頂点に達し、冷えていく頭は、あの日の事を私に思い出させていた。


 あの日も同じだった。

 居るはずなのに呼び鈴を鳴らしても出てこず、インターホン越しに良くわからない言葉を並べ立てる彼、その態度に我慢の限度を超えた私は、合鍵を用いて閉じていた扉を開けたのだ。


 ご丁寧にチェーンまでかけていた扉だが、そこからでも女物の靴があることはわかる。人目も憚らず大きな声で争った私達は、彼の提案で少し落ち着こう、場所を変えようとドライブに出掛けたのだ。


 興奮を抑えられず涙する私に彼は飲み物を買ってくれた。優しい彼はその時点までは存在していたはず。鮮明に思い出せたその記憶は私の中で大きく育ち、怒りを膨らませる。


 動いていない心臓が弾み、意味の無い呼吸が慟哭のような音を立てる。


 ベッドルームの扉を開き、未だ眠る彼の頭を見つけた時、私の心は爆発した。おそらくは玄関を開けた時点で目覚めていたのだろう彼は、私と目が合うと珍妙に過ぎる悲鳴を上げてベッドから転がり落ちる。


 隣で眠っていた誰かも、その彼の狂乱ぶりにつられて目を覚ます。果たしてその誰かがあの日の女なのか別人なのか。そんなことはどうでも良い。懲りずに同じ相手と付き合っていても、違う女に乗り換えていても彼が最低であることに変わりはないのだから。


 脱ぎ散らかした服を踏みあらし、逃げる彼を追い詰める。かつて好きだったパーツを醜く歪め、口から異音を立てる姿は、むしろ彼こそがゾンビで私が人間であるような気になってくる。


 そうだ。そうにちがいない。

 私のなかで全てが繋がる。死の淵から甦ったのは自分だと思っていたが、むしろ他の人々が人外の存在に成り果ててしまったのだろう。


 だって彼だけではない。泣き叫びながらベッドから転がり落ちた誰かもまた、町で見かけた怪物なのだから。


 彼の姿をした生き物を殴りつけ、蹴りつけ、噛み千切る。幸いに私は生前から菜食主義者では無かったから、半狂乱で叫び続ける生き物を食することに抵抗は無かった、むしろ溢れ出す液体も、肉の歯応えも、わずかな温もりも、この怪物は何れも美味しい。


 初めての味覚に感動すら覚え、可食部らしきものを粗方片付けた私は、彼だった物を見下ろして、ご馳走さまと手を合わせる。その仕草が可愛いと褒めてくれたのも今では悲しい思い出だ。


 復讐を果たすとおなかが空いてきた。

 さっき食べたばかりだと言うのにはしたないと思うけれど、動いて思いを遂げて緊張から解放されたのだから無理からぬ事だと受け入れる。


 幸いにもう1体の怪物は私の食事風景をずっと見ていたのだろう。変わらずにそこにいて、彼に良くにた顔でそこにいてくれた。


 食事に困ることはなさそうだ。

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はじめてのゾンビ @kasumihibiki

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