4.「クリスマス」は「神」でない。説得。競争の中でしか生きられない僕達。
「クリスマスちゃんの正体は」と、山月姫は口火を切った。
「正体は、人々の思念の集合。形を持ったイデア。擬人化された概念。現実となった胡蝶の夢。共有された杞憂。とか、そういうもの」
山月姫はそれだけ言うと、クリスマスを見た。睨みつけたという訳ではなく、何かを込めた視線を注いだという訳でもなく、ただただ分析のみをするようにして見ていた。
「まあ、私はクリスマスだから。本来、実態をもたないものが実態をもった存在ではある」と、クリスマスはなぜか胸を張る。山月姫はクリスマスを見つめながら、続きを言う。
「例えば、擬人化された空はゼウスと呼ばれた。雷は彼の武器であったし、雨は彼の恵みであり、霰は彼の課す試練であった。そういう訳で、空は彼そのものであった。
あなたも同じ存在なの? あなたはクリスマスそのもので、わかりやすくいうと、『クリスマスの神』であるの?」
クリスマスは笑った。呵々大笑だった。
僕らは、なにがそんなに可笑しいんだと訝った。彼女の胸の内はわからないが、僕は警戒心を持ち始めた。
「いや、大筋はあっているけど、私は『神』ではないの。神だったら良かったんだけど、あいにくそうじゃない。どちらかと言えば妖の類に近いかもしれない。私が神ではない理由は」と、クリスマスが言ったところで、山月姫は遮って続きを言う。
「人間なくして存在できないから。あなたは人間の信仰によって生かされている」
クリスマスは再び笑った。こんどは微笑む程度だった。
「よくわかったね。空は人間がいなくても存在できる。海は人間がいなくても存在できる。クリスマスは人間がいなかったら存在できない。」
それを聞くと、山月姫はクリスマスをジッと見つめるのみだった。
「どう、話についてこれてる?」と、クリスマスは僕に話を振る。
僕はというと、すっかり混乱してしまっていた。話をまとめると、クリスマスは山月姫を何かしらの方法で奪い去ろうとしていて、クリスマスは概念であって、神ではなくて、きっと無敵の存在ではない…………。
……とにかく、僕のやるべきことは一つだとわかった。
「なんとなくはわかったよ。なんとなくでしかわからないけど、僕の返答は変わらない。山月姫を返してもらおうか」
僕は山月姫とクリスマスの間に割り込み、山月姫を背中に、クリスマスと相対した。
「いや、返さないけど?」と、彼女は臆面もなく言いのけた。
「そもそも、この娘を食べなくちゃ、私は餓死してしまうもの。さっきも言ったように、私は人間なくして存在できないから。信仰だけじゃ、私を維持するには不足だから、彼女を食べるの」
「それは、栄養が足りないから? ファーストフードばかり食べている人が、サプリメントを飲むようなこと?」
「ざっくり言えばそう」
「でも実際は、君は本当は人間に害を及ぼしたいと思っているわけではないよね。人間を食べ物としか思っていないのから、なんで愛だとか、寿命だとかを人々に配ったんだ?」
「それは信仰を維持するため。別に、私は人間を食べて生きているわけではない。『信仰のある人間』を食べて生きているだけだ。だから信仰を維持する必要がある。そういう訳で、山月姫ちゃんは頂いていく」
取りつく島もなかった。
「そもそも、私は『食べる』と表現しているけど、より正確に言えば、『取り込む』が正しいの。彼女の精神を私の中にそのまま取り込むだけ。別に彼女は死ぬわけではなくて、こっちのものが、あっちへと移動するだけ、という感覚が正しい。それをキミが止める理由がどこにあるというの?」
僕はクリスマスを見て、それは心からの言葉なんだと、確信した。やっぱり、この世の中は奪い合いでしかないんだと、再確認した。
「たとえば、今喋っている私も取り込まれた精神の一つなんだよ。別にクリスマスという怪物が人間に対抗しているわけじゃない。人間の信仰の集合体、つまり元々は人間のクリスマスちゃんが、こっちに来ませんか? 来れば幸せになれるから。ってお誘いしてるだけなんだよ。」
僕は考える。そして、彼女の言っていることは全て正しくて、道徳に背くものではないとわかる。
だって、クリスマスが果たそうとしていることは人間が普段していることと変わらないのだから。人間は自分たちが生きるために、幸せになるために自然を拓く。野山を焼き、生物を追い出し、我らのための畑を作る。家畜を飼う。畜殺する。俺たちのために死んでくれって言いながら、涙だけは流しながら、他者を殺す。
「僕は、奪い合いばかりをしているこの世界が嫌いだ」と言った。クリスマスは僕を見定めているようだった。
自然を掌握し始めると、人間は人間から奪うことを始めた。人間が持っている資本で人間を働かせる。資本者は労働者の労力を吸い上げて、さらに資本を蓄える。そうして、労働者の必死の労働を基に資本者の資本だけがぶくぶくと膨れ上がっていく。先進国は途上国の労働力を吸い上げる。
「だから、一時的な休戦をしよう」と、僕は言った。クリスマスはまだ、何の反応も見せない。依然として冷たい視線を僕に降り注いでいた。
今でこそ、奴隷販売のようなはっきりと目に見える形では残っていないが、強者が弱者から吸い上げる構造は変わっていない。複雑化してゆく社会の中で「弱者は努力不足の自己責任で吸い上げられているにすぎないのだ」と述べながら、生まれ持った資本で社会を回す人間がいる。
「僕はクリスマスが好きなんだ。唯一、人々が幸せそうにしている日だからだ」
クリスマスは美しかった。外側で荒れ狂った吹雪のを背景に、彼女の輪郭がはっきり見えた。
僕は、強者が悪いとは思わない。弱者が必死でいるように、強者も必死でいるからだ。『強者よりも強い人』はたくさんいて、『強者よりも強い人よりも強い人』もたくさんいる。それに、弱者は日々強者のために労働しながらも、次は自分の番だと、強者のポストを虎視耽々と狙っている。
強者も弱者も決して安泰ではないのだ。
結局のところ、競争社会というのは全ての人が、全ての無益な争いを通じて、日々疲弊しているだけの場所なのだ。
競争社会で幸せは作れない。でも、決して競争社会を止めることはできない。我々は競争を止めた瞬間に喉を掻き切られる。
「クリスマスは平和と博愛の日だって、君だって自分自身で言ってたじゃないか。だから、山月姫を奪っていくのはやめるんだ。今日だけ、今日だけは止めてほしいんだ。今日は、まだ二十五日だ。クリスマスの日に奪い合いなんてしちゃいけないんだ」
僕は、絶対に山月姫を失いたくなかった。僕は、山月姫のような人を他に見たことがない。彼女を失って、その思想を、その叡智を、その美しさを絶対に失くしたくなかった。だから、山月姫を守るというためだけに、クリスマスは競争社会の中で、唯一の安寧の日だから彼女を奪うのはダメだ、ととってつけた理屈で対抗した。
クリスマスは考えていた。僕の言葉に対し、目を細めていた。
そして、彼女は「いいよ」と言った。
外側では、吹雪の勢いが次第に弱まっていった。斜めに降っていた雪は、垂直に降っていく。垂直に降っていた雪は、やがてふらふらと左右に揺れながら降ってゆく。
「わかった。山月姫を奪っていくのはやめるよ」
僕は思ったよりもあっさりとしたクリスマスの言葉に拍子抜けしてしまった。
「本当か?」
「本当だよ。こんな時に嘘はつかない。だけど、ひとつ聞きたいことがある」と、クリスマスは張りつめた表情のまま、言った。
「なんだい?」
「私は、山月姫を食べない代わり、他の人を食べることになる。きっと、それはキミの全く知らない人だろうけども、誰かしらを奪っていくことに変わりはないの。つまり、キミも誰かを奪っていくことに加担するわけだけど、それでもいいのかな?」
彼女の言うとおりだった。僕が山月姫を守ると、他の誰かは奪われる。
「それでも、いい」と、僕は言った。
「平和と博愛の日なんて建前で、結局僕は山月姫を守るために、なりふり構わず喋っただけなんだから。僕の言ってることが完全に正しいとは思ってなくて、山月姫を守るためならなんだってしたい、と思っていただけだから」
僕は競争主義者の一面を覗かせた。
クリスマスは、やっと笑った。外の吹雪は完全に収まり、良く晴れた空が見えた。と、同時に我々の立っている場所が凍り付いた川の上だということをやっと理解した。
「私だって、キミのスピーチに感動して山月姫を諦めたわけじゃないの。ただ、キミは言ったでしょ。『クリスマスは平和と博愛の日』だって。こんな日に奪うのはやめてくれって。アレ、妙に納得しちゃったんだよね。私は概念だから、自身の存在と矛盾するような行動をとったら消滅してしまうことになる。つまり、キミの言ったことに納得しちゃった時点で、私はどうあがいても山月姫を奪うことは出来なくなってしまった」
クリスマスは僕の手をとった。そして、山月姫の手も取る。
「私たちの間で休戦を結ぼうか」と、クリスマスは言った。
僕らはうなづいた。クリスマスは飛び切りの笑顔を見せた。それを見て、くすくすと山月姫が笑う。さっきまで食べられそうになっていたのに呑気な奴だ。と、思いながらも僕の口角も自然と上がっていた。
「それと、この子にもお礼を言わなきゃね」と、山月姫は言い、トナカイを撫でた。僕もありがとう、となんどもお礼を言いながら、トナカイに抱き着いた。その間、クリスマスだけは職務違反だ、とか官を侵すの害だ、とかトナカイに向かってぶつぶつ言っていた。
「じゃあ、私は行くから」とクリスマスは言った。
「また来年」と、僕は言った。彼女はうなづいた。
「次は人の姿をとってあらわれるかわからないけどね」
「構わないよ。自慢じゃないけど、僕はクリスマスが大好きなんだ。姿なんて関係なく、ね」
「よく言うわ」
クリスマスは笑った。そして、「食べようとしちゃって、ごめんね。あなたのような素敵な人に会えてよかった。ありがとう」と、山月姫に言う。
「ううん、大丈夫だよ。それより、私の方こそ、ありがとう」と山月姫は言った。
クリスマスは意外そうな顔をした。
「だって私、今までずっと怪異に憧れていたから、会えてとても嬉しかった。まるで夢のようだったし、ちょっとだけ、食べられてもいいかな。怪異になってもいいかな、なんて思った」と、山月姫は意外な心情を吐露した。
「まあ、今は絶対にそちら側に行くわけにはいかないんだけど。私の事を必要としている人がいるから」と、山月姫は僕に目を向けた。僕は思わず顔を赤くした。
「じゃな、ノロケには付き合ってられないわ」と、クリスマスは笑いながら言い、ソリに飛び乗った。その発言はクリスマスとしてどうなんだ。ソリは浮き、高くへと昇って行った。
「またね!」と頭上から声が飛んできた。
僕らは、飛び立つソリを見つめながら、ずっと手を振っていた。
溶けかけで崩れかけの薄氷からやっと降りて、川岸についた僕は安堵の息をついた。見ると、山月姫は緊張の汗をぬぐっていた。
「お腹もすいたし、どこか食べに行かない?」と、僕は提案した。山月姫はうなづいた。
「だって、倉田くんは私を必要としてるんだもんね。それは断れないよね」と、彼女は僕をからかった。
「よく言うよ。君だって実は僕を必要としてる癖に」僕は赤くなった顔で必死に言い返した。
今日は十二月二十五日。街はどこまでもイルミネーションに包まれ、通り過ぎる人々はみなが幸せそうに見えた。僕ら二人も例外ではなかった。
クリスマスを"愛して"過ごせ iiota @iiota
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