3.クリスマスは終わる。寝起きの悪い少女。首元にマフラーの巻かれたトナカイ。

 夢のような時間が終わり、ソリは元いた廃工場に着陸した。クリスマスによると、「とっくにクリスマスは終わったから、もうソリは出さない。まあ、終わったというか、私がクリスマスでもあるんだけど」とのこと。確かに、時刻はすでに深夜のゼロ時を少し過ぎたころ。二十四日は終わっていた。

 「ねえ、今日はありがとう、とても楽しかったよ」と、山月姫。念願のオカルトに触れる事ができた喜びもあるだろが、それ以上に得難い友人を得た、という気持ちが表れていた。クリスマスも、山月姫の事はそれなりに気に入ったらしい。二人はがっちりと握手を交わした。

 僕は彼女らが話しているところを見ながら、そりを引いていたトナカイを撫ぜた。喉の付近を撫ぜると、ことさら気持ちよさそうに声を鳴らした。

 話を負えたらしい山月姫もこちらの方へ近づいてきた。労をねぎらってたんだ、と僕がいう。山月姫はトナカイをしばらく撫ぜた後、自分の巻いていたマフラーを外してトナカイに巻いた。

 「キミも握手してよ」と、いつの間にか近づいてきたクリスマスが僕に言う。僕は差し伸べられた彼女の手を取った。その手はやっぱり厚い手袋に包まれいて、その奥にある肉体は一切の想像ができなかった。

 「そういえば、なんで僕に興味を持ってくれたんだい?」と、僕は手を繋いだまま言った。クリスマスは即座に答えた。

 「ピュアだったから」

 「ピュア?」

 「うん。キミは怪異を受け入れるための素養があった。その素養って言うのが、純粋さ」

 「僕ってそんなに純粋かな。その辺の子供の方がよっぽど純粋だと思うけど」

 彼女は口の端を吊り上げた。そのまま形の良い唇が動く。

 「子供っていうのは無知なだけ。例えば、キミは世の中が競争社会であることに胸を痛めているでしょ」

 僕は安藤と話していたことをピタリと当てられ、正直に驚いた。クリスマスの目は、良く動く唇に対し、全く動くことなく、僕を見据えた。

 「子供は世の中が奪い合いだということを知らずに、奪い合いの末に作られたものを与えられて生きている。キミは世の中が奪い合いだということをしっていて、奪い合いの末に手に入れたもので生きている」

 「でも、奪い合いをしている事実に変わりは無いよ。僕は肉を食べる主義でね」

 クリスマスは笑った。

 「胸を痛めているのに、変わりはない。その証拠に、キミはクリスマスを平和と博愛のイベントだと捉えている。クリスマス戦線みたいに、唯一、人々が競争することなく生きていける日であってほしい、と捉えている」

 僕はうなづいた。

 「なんで、そんなに僕の心がわかるんだい?」

 「クリスマスだからよ。クリスマスはあなたの心の中にもいるの」

 よくわからないことを彼女は言うが、そういうものらしい。怪異に理屈を求めても無駄なのかもしれない。僕は出掛かった疑問を胸に押し込めた。

 「また、会えるかな」

 「どうかしら。私、キミよりもピュアで、オカルトが好きで、可愛い女の子を知っちゃったの」

 「そりゃないよ。少なくとも、僕の方が可愛くはある」と、僕は言った。「人間ジョークも悪くはないね」と、彼女はいう。

 「あの、クリスマスちゃんはもう帰っちゃうの?」と山月姫が尋ねた。クリスマスはうなづく。

 「すでに二十五日に入っているもの。魔法が溶けちゃう」といい、彼女はソリの方へと向かっていった。

 僕らはソリに乗り込むクリスマスを見送る。

 「それじゃ、メリークリスマス」と彼女が言った。

 「メリークリスマス」と、僕らは言った。

 ソリが浮いた。


 山月姫は寝起きが悪かった。彼女は目を覚ますと、布団から上半身を持ち上げはする。必死で睡魔に抵抗する様はわかったのだが、しばらくすると彼女は全てを諦めて、また布団に倒れこんでしまうのだ。そんな光景が午前八時から一時間置きに繰り返された。よく眠れなかった僕は、三度寝をする彼女を目撃することになった。

 三度目に彼女が諦めてしまったときには時刻は十時の少し前だった。僕は彼女から十時には絶対に起こすように、と言われていたので、寝ている彼女を揺さぶった。

 起きてからしばらくして、彼女はようやく、本当の意味で目を覚ました。「おはよう」とだけ挨拶をされた。寝ぐせだらけの頭は普段のそれよりも数段ボリュームが増していて、手入れが大変というのも納得する話であった。

 僕らは朝食(時間的には昼食?)を食べるといそいそと支度をはじめ、やがて家を出た。

 「この後はどうするの?」と、駅に行く途中で僕は尋ねた。

 「出たい授業があるの。いったん家に帰ってシャワーを浴びてから、また大学へ」と、山月姫は至って色気のない返事を返した。

 「シャワーなら僕の家で浴びてけば良かったのに」と、僕が言うと、「それはなんか嫌だ」と返された。

 僕と彼女は駅で分かれた。また会おうね、という彼女を見送ると、そのまま家に帰る気もしなくて、僕も出ても出なくてもいい授業に出ることにした。


 「お、遅れてきたな。しかも手ぶらで」と安藤は言った。

 僕は適当に言葉を返しながら彼の隣に陣取った。

 「昨日はどうだったんだ?」と聞いてみる。昨日、彼の家にもいって、袋の中の何かを注ぎ込んだ。そのうえで、何か変化があったのか聞いてみたかったのだ。

 「朝起きたらな、枕元に一千万円がポン、と置いてあったよ。サンタクロースからのご褒美かな」と彼は笑いながらいった。

 「え? 一千万!? 本当か?」と、僕は言う。

 プレゼントで一千万!? 他の奴らは愛とか、寿命とかだったのに? 本当に文字通り現金な奴だなぁ! 僕は安藤を非難を込めた眼差しで見た。

 「冗談に決まってるだろ? 大丈夫か?」と心配された。言われてみると、確かに冗談以外の何ものでもないか。僕は下手糞な冗談を飛ばす彼に腹が立ち、次にそれを信じた自分自身に腹が立った。

 「お前はどうだったんだ?」と、安藤に聞かれたので「山月姫と過ごした」と素直に答えた。彼とは同じ高校なので、当然知り合いである。

 「山月記を…………読んだ? ということ?」安藤は混乱していた。

 「山月姫を呼んだ、ということ。ほら、高校のときいただろう?」

 僕の言うことに合点がいくと、彼は喜色を明らかにした。

 「おいおいおいおい、本当に言ってる? 予定ナシって言ってたじゃないか!」

 「予定ナシとは言ってない。読書をして過ごすとは言ったが」

 「ま、とにかくおめでとう!」と素直に祝福された。僕は違和感を覚える。

 「安藤ってこういう時に嫉妬を表すタイプじゃないのか?」と、うっかり失礼な発言をしてしまう。

 「まー、そういう時期もあったけど、一皮むけたのよ」

 そういう時期って……一昨日あった時にはそのモードだった気がするが。

 「なんか、朝起きたらそういうことはどうでも良くなってたんだよね。人の不幸が自分の幸につながるわけでもないし。クリスマスが終わったから吹っ切れたってだけかな?」

 彼は飄々と言った。僕は思う。安藤にプレゼントされたのは博愛か前向き思考のどちらかだろう。




 大学から帰って暖かい自室でくつろいでいると、トナカイが窓をノックした。僕は非現実的な光景に思わず目をしばたかせた。

 一寸の時が立ち、トナカイの首元に巻かれていたマフラーを見て、昨日ソリを引いていたやつだと理解した。僕は窓を開けた。彼、あるいは彼女は部屋の中に首をいれ、ぐぅ、と鳴く。

 「ぐぅ?」と、僕は間抜けに聞き返す。トナカイはさらに、ぐぅ、ぐぅと鳴き続ける。

 お腹が空いてるのかな? と僕は推察し、冷蔵庫から食べ物を取り出すことにした。トナカイって何を食べるのだろうか。玉ねぎを消化できる動物は多くは無いと聞くので、今回はパス。じゃがいもは…………強毒のイメージがある。僕はとりあえずニンジンを持っていくことにした。

 ほら、と彼の前にニンジンを突き出すも、何の反応も見せない。困った。牧草なんて僕の家にはないぞ。

 とりあえず僕は彼を家に招きいれることにして、玄関を開けた。開けると同時に、トナカイの頭が室内に滑り込んできて思わずぎょっとした。どうやら僕の行動を予想して回り込んで来たらしい。トナカイは僕の着ていたニットの裾を咥え、引っ張った。お気に入りのニットをダメにされてはたまらない、と僕は慌てて玄関の外へ出る。トナカイはなおも僕を引っ張ったままだ。

 「どこか連れて行きたい場所があるのか?」と僕が尋ねると、トナカイはうなづいた。人語を解しているのかは定かでなかったが、僕はコートを羽織ると、トナカイの促すままに駆け出した。


 思ったよりも長い道のりに僕は息を切らした。先ほどからトナカイに連れられて走りっぱなしだ。彼の背中に乗せてもらえるんじゃないかと、密かに期待していたが、見たところトナカイは僕を載せるには小さかったし、鞍もついていなかった。大きなソリを一頭で引くくらいだから、馬力(トナカイ力?)の問題はないとは思うが、僕は乗りこなす自信もないので諦めた。

 走り続けているとだんだん雪が降ってきて、やがて吹雪いてきた。またこれか、と僕は思った。トナカイは吹雪の中でも視界を失っていないようで、一心不乱に目的地に向けて走り続けていた。しばらくすると、足元一面が氷で覆われているのが分かった。ただ、強い吹雪でここがどこなのかは一切わからない。不思議と、あたりの建物や、道、標識といったものはなくなっていた。

 やがて、トナカイは目的地に着いたようで、立ち止まった。そのまま、僕を促すように角で僕の背中を押した。僕はゴツゴツした角の触感を受けながら、前に進んだ。やはりというべきか、少し進んだところで雪は降り止み、中心にクリスマスが立っているのが見えた。クリスマスは吹雪の目に入ってきた僕を見て、驚いた様子だった。

 「とんだヒーローのおでましね」と彼女は言う。

 「ヒーロー? 僕が? こいつに連れてこられただけだよ」と、僕は説明する。トナカイが控えめがちに僕の後ろから顔を出す。

 「で、君は何をしようとしてるんだ。今度こそ玩具でも配るのか?」と、僕は尋ねた。

 「それはサンタクロースの管轄。私は、食事をしに来ただけ」

 「食事?」

 どういう意味なのだろう。このクリスマスを名乗る少女はこんな野外で食事をしようというのか。そもそも、この少女は食事をするのだろうか。

 「うん。あなたは邪魔するでしょうけど、たぶん」と、クリスマスは言った。

 そのまま彼女は何か指し示した。その指す方向を見ると、そこには山月姫が立っていた。

 「私、純粋な人間が一番の好物なの」と、彼女は臆面もなく言いのけた。

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