7章 灰になった家族より

1 孤独の選択

 金属がぶつかり合う音が山々をこだまする。立て続けに何度も重なった音は森中に響き渡り、乱れた足音と調和して鳥のさえずりをかき消した。荒い息がふたつ重なり、鬱陶しく払った髪から汗が幹に飛ぶ。

 ずっと大木の下にいるのに、しつこくまとわりつくような熱気に体力がどんどん奪われていった。喉の奥に針を仕込んだような痛みを感じ、頭痛と目眩に倒れそうになる体を根性で立たせる。熱中症寸前の赤い額に浮かんだ汗を拭う一葉の顔には不敵な笑みがあった。

 弾き飛ばされた短剣を視界の端に入れ、横に大きく飛ぶ。着地点を狙った大太刀の横薙ぎを爪先で飛んで流し、体勢を崩さぬように右足に力を込めて着地する。その拍子に昨日切られた傷が開いた気がしたが、構ってなんかいられない。勢いでしゃがみこみ左手を伸ばすと、一葉の右足が頭上に見えた。転がり避けた時に一瞬触れた短剣を手繰り寄せる。しかし、かかと落としを避けきれなかった手の甲には靴底で引っかかれた痛みを感じた。

 踏ん張りの利かない仰向けで腹筋に力を込め体を固定。反撃として肩に短剣を投げると半袖のシャツを切り裂く鈍い音がした。一葉が顔を歪めた隙に跳ね起きて腕の傷を殴る。とうとう大太刀を手放した一葉が両手を上げて降参の意志を見せた。

「一葉……?」

 その顔がぞっとするほど冷たかった。表情豊かな彼女だが、最近はそうでは無い時が増えてきた。俺の喉が痛くなり表情筋が悲鳴をあげる毎に、一葉は反対に悩みを押し殺したような無表情を見せる。恐らく俺と一葉の妹、もといチップのせいだ。

 最近は家の外でしか会話をしていない。食事も別々になり、目を合わせることも無くなった。

 なんで怒ってんの、などと野暮なことを聞く必要はない。俺も一葉も怒っていないことはお互いによく知っていた。ただ「いつも通り」が分からなくなってしまっただけだ。だから、明日香が会話を始めれば俺たちは今まで通り話すことが出来たし、いつものようにくだらない言い争いもできた。今日この喧嘩だって、元はと言えば一葉が追いかけていた猪を同じく隠れて狙っていた俺が射殺してしまったという、それだけの事だった。俺が殺ったんだから俺の獲物だと言ったら逆上されたという、他愛もない言い争いが危うく殺し合いになるところだった。

 口論が長く続かなかったのは、俺が一葉の顔を見ていたく無くなったからだった。どうしてもあの時の緑髪少女が重なってしまう。あいつが一葉でも妹の誰かでも、結局は同じ顔で同じ血を持ったクローン体。しかも妹の記憶も一葉が持っていると言うなら、もはや一葉が放火犯だと言っているようなものに思えてしまった。違う、一葉は仲間……だ。

 一葉が負け惜しみのように傷を負った右手で大太刀を握り直す。顔を背けて軽く避けると、首の皮を一枚裂くようにして刺さった短い大太刀に酷い顔の俺が映った。

「大っ嫌い」

「待て」

 咄嗟に包帯を巻いた手で刃を握った。それが一葉が地面から抜くのと同じタイミングになってしまい、傷を覆った布が裂ける。せっかく治りかけた切り傷がまた開いてしまいそうだ。いい加減明日香も激昂するだろう。手当するのは誰だと思ってるんだ、と。龍の日記にも同じ愚痴が書かれていた。

「何」

 手を離すと、一葉は刀をそっと引き抜き、刀身に刺さった枯葉を破り捨てて鞘に収めた。引き止めたくせに顔があげられず、二本になった包帯を結び合わせて巻き直した。一葉はそんな俺を見下ろして、滲む赤に憂わしげな表情をする。

「いや……お前、変わったな」

 引き止めた理由が自分で分からなかった。用事は無い。意味のわからない文句しか口から出てこなかった。

「どこも変わってないわ。変わったのは貴方の方よ、私のことが憎いなら銃を使えばいいじゃない。優しすぎる。復讐なんて出来なさそう」

「今なんつった? 殺すぞ」

 心底面倒くさそうなため息が聞こえた。俺と話していたくないのだという気持ちがありありと伝わってくる。顔を見るだけで胃が痛む。吐き気がすることだってある。考えなければ良いのに、近くにいるから考えてしまう。つい、話しかけてしまう。

「貴方は家族に好かれていたんでしょうね。だからそんなに優しいんだわ」

「お前頭大丈夫か?」

 イヤミと分かってわざと真面目に返したら何も答えてくれなかった。

 首の痛みが思ったよりも強く、手を当てて傷をなぞる。見ると指に赤く粘性のある液体が付着していた。脛に手を当てると気持ち悪く濡れていたし、一葉もストールを解いて肩の止血に使っていた。お互いこれに懲りて戦うのを止めれば良いのだが、明日も同じ後悔をすることになるだろう。

 一葉は家にいる時は「誰も傷つけたくない」と理想を語った。研究所の人達もきっと変わるはずだと愚直に信じている。一方で、家から離れた場所にいる時はよく俺を探して戦おうとしていた。武器は愛用の元大太刀と短刀よりも短いナイフ。どちらも研いでいない、鋸のようなものだった。

「いってえな、刃がそんなだと治りにくいんだよ」

「知ってる」

「嘘だろ、わざとかよ」

「ええ。でも治ってないくせになんで戦おうとするかなぁ」

 一葉の右腕に巻かれた包帯は俺のせい、俺の手の包帯は一葉のせい。そのうちどちらかが死んだって不思議じゃない。一葉がもし……。いや、考えるのはよそう。

「楽しいから良いんだけどね」

 つくづく狂った人間だ。

「大丈夫よ、貴方はその程度なんともない」

「嫌な信頼のされ方だな」

「そうね。でも信じてる」

 くるりと踵を返し、付け足すように呟いた。

 俺のことを特別視しているのは最近薄々勘づいていた。俺の前ではたまにストールを外してH-01という焼印を露わにすることがある。同じ実験体でも明日香が居る時は絶対に外さないのに、だ。自分のことを話すのも俺の前だけ。

 勝手にすればいい、どうでもいい、俺は何もしない。

「信じてるから」

「知らねえよ、また明日」

 最近、一葉の頬に光るのが本当に汗なのか分からない時があった。でも、俺はそれを知って何をすればいのか分からない。一葉は微妙に話したくせに「放っておいて」とか言うから意味がわからない。

 あいつは面倒臭い。家族じゃなければ友人でもない。仲間だっていうのも今だけだ。だから気にかける必要もない。自分にそう何度も言い聞かせた。繰り返し言い聞かせなければならなかった。

 顔すらまともに見れないのに、俺は一葉に頼らざるを得ない。あの強さから目が離せない。

 日に日に奥歯がすり減っていく。


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