11 離別

「だから……」

 聞いているのか定かでない俺に構うことなく弁解を続ける。ふと空を見上げると木々が葉を揺らし大合唱を轟かせていた。恐ろしさを感じるが、この世界の壮大さに感動すら感じる。

 葉の隙間から覗く空は依然として黒に近く、薪が不完全燃焼を起こした煙と似た色を呈していた。火事の日もこんな色の黒煙が上がっていたが、あの煙の方がもっと黒かった。

 夕日と炎を反射して真っ赤に光る街並みを覚えている。あの禍々しい赤色に夕焼けの美しさはなかった。人を焼き払った恐ろしい色は大自然が作り出せるものでは無い。

「貴方の家族を殺してしまったのが誰なのか分からないの。いつもはどれが誰の記憶だか前後を思い出せばわかるんだけど、あの日の記憶は誰のものとも繋がってない。その子、それ以外忘れちゃったのかもしれない」

 半分聞き流しながら、西の空に目を向けた。あのくすんだ橙色はいつまでも見ていられる。

「ごめん、変な話して」

「……」

 本当のことを馬鹿正直に話されたって、俺にどうしろって言うんだ。記憶を辿れば誰だか分かるというのも意味がわからない。記憶は曖昧な上に嘘も混じって時系列さえあやふやになりかねないものだ。違うのか?

 兎に角、一葉が加害者の記憶を持っているのなら元凶だが、しかし加害者自身でないのなら部外者でもある。両立しないそれをどうするかなど考えたって答えは出ない。何も考えたくなかった。いつか決断しなければならない時が来ようとも、それは今では無い。今は憎しみの向かう先を消し去ることだけを考えたい。いや、何も考えたくない。できることなら今まで通り絶妙な距離感の仲間でいたい。

「一葉」

 振り返り、距離をとって歩く一葉を待った。しかし声が届く限界の距離を保ち……いや、俺達の間は初めて本気で戦った時と同じだった。俺が一歩近づくと、その分だけ後退る。

「お前は……」

 自分が愚かなことをしようとしている自覚は大いにあった。また大笑いされるかもしれない。

「どっちがいい? 研究所を潰しに行くか……死ぬか」

 俺の味方にはなり得ない一葉に今このタイミングで聞くべきではないのは分かっている。聞き方も悪いと言うのも理解しつつある。しかし俺にとっては重要なことだ。

 一葉のことだからと分かりきった答えを想定したが、予想に反して彼女は地面を見つめたまま淡々と告げた。

「私に選択する権利は無いわ」

「え、」

 生きたいと、そう言うと思っていた。至極真っ当な返答が返ってくるなんて思わなかったのだ。下唇を噛む力が増すが、復讐に協力しろというあの時と同じ言葉が喉につっかえて出てこなかった。

「じゃあ一葉、お前の過去とか妹のことは聞かなかったことにする。そしたら!」

 無かったことにすれば今まで通りになるはずだ。

「ううん、覚えてて。貴方の復讐先を忘れちゃだめ」

 沈みかけた日が一葉の緑髪を赤く照らしている。顔を上げた一葉の濡れた瞳はさっきのが見間違いだと思うほど真っ直ぐ俺を見つめ、糾弾するようにナイフを向けた。頬の薄い傷痕を涙が伝って落ちていく。

 一葉は生死を迷っていた訳ではなく、俺の怒りを受け止める気でいたのだ。その強さは眩しく、吐き気がするほどに胸が痛む。応えようと銃に手を伸ばすが、動かすことすら叶わなかった。

「ねえ終希、龍さんが言ってたわ。貴方はとても寂しがり屋で、とても家族想いの優しい人だって。家族想いってところ以外は全っ然信じられないけど、そうなんでしょうね」

「善人じゃねえよ」

 そう言うと、瞳の強い光が曇って長い嘆息が聞こえた。もう一度構えられたナイフが俺の心臓に向かっている。挑発だと?

「だから、撃ちなさい」

 一葉は腰を落としていつでも避けられるような姿勢をとった。俺が撃とうとも死なないつもりなのだ。以前と同じように全て避けられる自信が伝わってくる。一方俺はやはり腕を上げられなかった。

「私を貴方の家族にしないで、貴方だって望んでないでしょ。謝ることは出来ないけど、これくらいしないと納得できないわ。なんで撃たないの!」

 俺はこいつとも明日香とも距離を取らなければならない。しかし簡単に決断できるほど易しい問題ではなく、いっそのこと全て放り出してなかったことにしたかった。いっそのこと、家族でいたいと思いたかった。

「帰ろう」

「逃げないで」

 言ってはならない言葉や思ってはならないことが幾つも存在した。俺たちは家族じゃない、仲間かどうかもあやふやで希薄な関係だ。ただの一時的な協力者でしかなく、辛うじて残った縁も切れてしまえば一瞬で敵となる。

「……帰ろう、明日香が待ってる」

 一葉はナイフを仕舞い、駆け足で近づいてくる。まさか並んで歩くことになるかと思いきや、追い抜きざま後頭部を思いきり叩かれた。


「行かないのか」

 一葉は家が見える場所ではあるが向こうからは見にくい距離を取って俺を待っていた。微かに甘い香りがする。確かこの辺には花など咲かなかったはずだが。

「終希、私貴方と一緒に行かなきゃ」

「はぁ?」

 歩き出した一葉の瞳にはまた涙が滲んでいた。どうして急に考えを変えたのかさっぱり検討もつかないが、俺にとっては都合が良い。

 一歩進んで二歩下がるように坂を下る。早く部屋に引きこもりたいがゆえに抜かそうとすると、阻むように歩幅を広げて立ち塞がるのでのろのろ後ろについて行くしか無かった。

「おい……」

「研究者は私が知ってるのの何倍も卑劣だった」

 一葉はたまに予測できないタイミングで突飛なことを言うことがある。例えば急に仲間になるともう一度宣言したこと。

「思い出したのよ、今日がなんの日だったか」

「お母さん、お誕生日おめでとうございます!」

 玄関を勢いよく開け放った明日香が、出来たてのケーキを持って笑っていた。

「ね、終希。ありがとう明日香、でもちょっと疲れたから明日頂くわ」

 頭が真っ白になった。

 一葉は今日何があったのか何も悟られないような清々しい笑顔で明日香を躱し、二階へと一直線に消えていった。

「えと……おやすみなさい……」

 明日香は高く掲げた皿を彼女なりに強く握りしめて肩を震わせる。傾いたケーキを代わりに持ってダイニングに向かい、テーブルに置いた。壁に色とりどりの紙が貼られて、一葉であろう人物を描いた絵や「誕生日おめでとう」の文字も下がっている。そこには確かに八月十六日という日付けがあって、G型の事件は存在した事実さえなかったようだった。部屋の明かりにかき消されそうなか細い火を灯した蝋燭は半分以下に減っている。

「おかあさ……おいわいしよって……おもったのにぃ」

 拳を握り締めて玄関に戻ると、明日香が床に幾つも染みを作って崩れていた。

「今日が何の日か知らなかったのか、G型の処分が……」

 小さな背中が一際大きく震えた。所長の傍にいた明日香が知らないわけが無い、娘の誕生日プレゼントに失敗作の殺戮イベントを準備したことを!


 それから二日、部屋から一歩も外に出なかった。壊した肩の痛みは増すばかりで、永遠に涙が止まらない。布団を頭まで被って背中を丸め、明日香がドアを叩くまでずっと家族の名を呼び続けていた。

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