10 告白

 一葉は口を一文字に結んでいた。ここで嘘でも違うって言えば助かるのに、愚かな奴。仕方が無いので最初の「信じて」を都合良く信じてまた回答を後回しにすることにした。

 手向けられた花に目を落とす。

 研究所にデータが残っているだろうが、それはあくまでも実験体の観察用で人間らしさを証明するものでは無いだろう。ともすれば、俺が忘れたらG型がここで生活していた証が消え失せてしまう。絶対に覚えていなければならないのだ。ぼやけ始めた彼らの顔や聞こえない声を思い出さなければならない。

「叶は」

 どんな人だっただろう。それを口に出そうとして眼前が揺らぐ。とうとう疲れと暑さにやられたかと手をつくと、雫が一粒黒い染みを作って消えた。

「すげえ良い奴だった」

 声が震えている。

 俺の悪戯に苦笑する姉の姿が昨日の事のように鮮明に浮かぶ……わけではなかった。薄い金色の髪やいつも着ていた袖口の広い服、女性にしてはややぶっきらぼうなのに思いやりのある口調。狂おしいほどに鮮明なそれらを思い出すだけで胸が痛い。しかし逆に曖昧にしか浮かばない目元の印象と全く思い出せない声色も、情けなくて懐かしくて悔しかった。

「すげえ細かいことにも気が利くし、明るくていっつも誰かと話してた。大人っぽくて……」

 しかし今は俺の方が年上だ。きっとあの時の叶より物を知ったし読んだ本の冊数では負けない。料理ができるようになったし、簡単な日用品なら自作できるほど自立した。たまに負けていた鬼ごっこも今やったらいくら頭を捻られようが一瞬で勝てるだろう。

 俺と死者との差は年々増しているし、これからも増えていく。これが皆を置いていってしまったことのツケだった。俺は皆と同じ時代を生きられない。

 一方でいつだって気配りが上手くて皆に好かれていた叶の性格はどう考えても俺には真似出来ないところだ。それはいつまで経っても変わらない大切な人の好きなところで、それを思い出せた自分にほっとした。

「そっか。叶さんは貴方の憧れだったのね……終希、泣いてるの?」

「見んじゃねえ」

 言葉にすると、あの時燃える村に残してしまった家族がもう一度近くに感じられたような気がした。

 肩と腰に手を当てて立ち上がる。

 叶の家を離れ、置いていない花を供える流れで皆を簡単に教えることにした。手を合わせるなど今までやった事がなかったが、目を瞑ってひとりひとりを思い出すのはすっきりするのだと知った。六年もたっているからか、やってるうちにだんだん会いたいという気持ちは薄れていき、散々自分に言い聞かせた「死人は戻らない」をようやく受け入れることができるようになっていた。戻らないから諦めるのではなく、戻らないから大切にするべきなのだ。

「帰ろう」

「まだサーティーンさんのこと聞いてないけど……」

 そういえば花を供えたのが叶の前だったから忘れていた。

「いや、帰ろう、モタモタしてると日が暮れるし明日香が待ってるだろ。それにサーティーンだし。聞きたいならまた今度教えてやる」

「私だったらそんな扱いされたら……」

 大丈夫、サーティーンの事もだいたい覚えている。今思えば四十幾つだった彼だが、歳の近い兄貴のようでよく遊んでくれたものだ。しかし大人達はサーティーンを一目置いていたらしい。ガキには分からないような何かしらの才能があったのだろう。

 一葉は顔を顰め、深くため息をついて家の方へと歩き出した。数歩歩き、振り返って遠くの入口を見つめ、視線を足元に移す。考えることは色々あるのだろう、俺にもあるように。

 一葉から聞かなければならないことは多い。ずっと言わないままにはさせないが、なるべくなら聞きたくはなかった。


 帰り道は俺が先で、一葉は俯きがちに着いてきた。いつもの倍の距離を開けて、呟くように言葉を投げかけてくる。それを聞きながら、一切反応せず無視するように前を見た。

「名前、龍さんがつけたんじゃないんだって」

 フィフティから終希になった時のことだ。龍は一緒に生き残ったはずなのに、俺一人に復讐を押し付けたのだと思っていた。俺は嫌だからフィフティがやって、と言われたと思って、相当頭に来ていたのだ。なんでお前は名付けたくせに何もしないんだと何度も当たった。

「日記に書いてあったの。他の人たちの遺書にも『終希』って名前があったって。龍さんは叶さんから聞いたって」

 何年も勘違いしたまま復讐を心に誓っていたらしい。家族が俺に望んだことは復讐して研究所に同じ思いをさせることではなく、生き永らえることだった。龍はそれをずっと知っていたから死にに行くような俺の行為を止めていたのだ。俺が聞いていないだけで、何度も皆の言葉を伝えてくれたのだろう。復讐は望んでいないと。

 右の拳を固く握った。

 これからは大切だった人達が望んだからではなく、俺がそう望むから研究所に復讐しよう。そうでもしないと生きていける気がしないからだ。家族を奪ったあいつらがいる世界で生きるなら死んだ方が良い。しかし、家族には生きろと言われているのだ。だから俺は生きなければならない。生きるためにはあいつらを殺さなければならない。

 一葉は怯えるように少しずつ日記の内容を話した。

 龍が俺にたいして向けていたのは失望でも嫌疑でもなく、火事以前と同じ感情だった。復讐に躍起になる俺を心配していたのだ、俺は村を掃除しては研究所に行くなと言い続ける龍を非難していたのに。

 帰ったら一葉から日記を取り返し、読んでみてもいいかもしれない。どうして死んだのか、どんな思いで生きていたのか、今なら向き合える気がした。

「終希……あのね」

 息を大きく吸う音がした。ひと呼吸おいて徐々に続きを話す。

「私妹がいたのよ。十九人いて、全員同じ顔だった。H型って全員所長の娘のクローンだから。でも、皆死んじゃった……殺し合って、残ったのは私だけだった」

 一葉は全ての元凶である所長の血を引いているのだと告白した。また銃を握ろうとするのを留めようとあえて腕を組む。歩きにくいし肩が張るが、殺すよりいい。

 動揺したが、十九人殺したというのは語弊があったようだ。実際は人殺しなどした事の無い二十人が生き残ろうと必死で殺し合ったのだろう。一葉が殺戮を望んでいないことは分かる。

 村を燃やした奴はもう死んでるのかもしれない。所長の娘とはいえ大量にいる実験体なのだから、用済みを廃棄するのに躊躇いなどないだろう。一葉ではないであろうことに安堵したが、俺が殺したかった。

「前に終希は私に言ったでしょう、幻聴が聞こえてるんじゃないかって。その通りよ、あの日からずっと妹達の声が聞こえるの。十三歳までの記憶も二十人分持ってる。非科学的すぎて誰にも信じて貰えないから言わなかった。終希も信じなくていいわ」

 チップの影響だと何故誰も言わなかったんだろう。特定の場所で聞こえ、離れると聞こえなくなる幻聴にそれ以外の理由などないのに。H型の実験がなんのために行われたのか想像もつかない。幻聴や記憶の共有は研究者の想定外なのだろうか。

「貴方の家族達を殺してしまったのは、H型の殺し合いの直前よ。だから、あの事件の日生きてたのは二十人いるの。誰の記憶か知ることは出来るんだけど、思い出そうとするとその後の死んだ記憶まで思い出すことになるから……ごめんなさい、私もう死にたくない」

 死にたくないと言ったその意味をようやく理解できた。一葉はH型十九人分の死に様を自分の事のように覚えているのだ。それがどれほどの苦痛であるか想像の余地もなかった。

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