9 知らない方が良かったこと
「謝って欲しいんじゃねえんだよ……」
殺した人を返せと言えたらどんなに良かっただろう。言ったところで叶うわけがない、願うだけ無駄。
今思えばあの髪色には最初から薄い既視感があった。そうじゃなかったらあの雪の日に拾うわけがない。仲間が欲しいというだけの理由なら東京に降りて人を攫ったって良かった。
別に一葉である必要など無かったのにそれをしなかったのは復讐を諦めかけていたからで、一葉を仲間にしたのは彼女を知っていたからではないか?
薄々気がついていた真実を見ないようにしたのは俺だ。馬鹿みたいに他人思いな一葉に限ってありえないと決めつけて、すぐそこにいる人殺しを知ろうともせず研究所を睨んだ。深緑は所長とその子供の髪の色だ。まさに村を粉々にした少女がすぐ傍にいたのに、俺は何をしていたんだろう。
嗚呼忘れるものか。悲鳴が、焦げた匂いが、地獄のような暑さが、口ににじんだ血の味が、そして白衣の研究者の歪んだ笑顔がこの日を迎える度に思い起こされる。弁解もせず俺を見上げる眉間に銃を構えた。もう居ない家族を瞼に映し、復讐を終わらせろと名前を呼ぶ声を思い返す。もう終わる、家族を置いてきた孤独からの解放を目前に感じるのに。
「なんで撃てねえんだよ……!」
十人も躊躇いなく簡単に殺せた左手は本当に使いたい時には震えるばかりで、人差し指に力が入らない。肩が痛いのが関係ないのは自分で分かっている。ただ指を握り込むだけで復讐はほとんど終わってしまうようなものなのに、ずっと願ってやまなかったこいつの死を他でもない俺自身が否定していた。
右手を添えて無理やり引き金を引こうとしたが、止めるように手首を握っていた。どうして一葉じゃなきゃいけなかったんだろう、何かの間違いではないか。早とちりで全く関係ない人を殺めようとしていないか。逃げる口実ばかりが浮かんでは消えていく。
一葉は眩しい光のようだ。強くて真っ直ぐで、こいつといたらなんでも出来るんじゃないかと思えた。特に理由もないくせに生きたいとか言って、今では俺までそんな馬鹿になっていた。
性懲りも無く仲間を信じようとして、自らの記憶に否定される。あの時火炎放射器を握っていたのは一葉で間違いない。だとしても。
「終希」
一葉が銃身を掴んで額から除けた。いとも簡単に離された銃は俺の手から滑り落ち、衝撃で俺と一葉の間を撃ち抜いていく。本能的に飛び去った二人の間が絶望的に広く感じた。
「信じて、お願い。ちゃんと話をするから」
「九人殺して笑ってたやつの言葉なんか……」
顔も見たくない。
撃てなかった自分に嫌気が差す。今まで必死に武器を集めて知識をつけて銃に慣れていたのが、たった少しの迷いで無意味になった。ああクソ撃てるかよ。
これ以上ここにいても無駄なので、暴発した拳銃を拾って直してホルスターにしまった。今日は殺せないから。
行く手を阻む雑草を蹴散らし左へ抜け、公園だった場所に辿り着いた。龍がこの日のためだけに作った花畑だが、今は荒れて野生に返りつつある。
目についた花をむしり取ることだけを考えれば一葉のことで悩まなくて済むだろう。龍のいない今行う必要も無い行事が今回ばかりは有難かった。
「ね、私もやっていい?」
振り向きざま肩をかするように引き金を引いた。弾を目で追った一葉があの状況で俺を気遣うように半歩だけ退くのがたまらなく癪に障る。殺されかけているんだから逃げれば良いのに。せっかく忘れようとしたのに、視界に入ってくるな、喋るな、足音を立てるな。消えろ。
「龍さんはここ、叶さんに喜んで欲しくて作ったんだって」
「黙れよ! お前のせいで叶は死んだんだ!」
怒鳴ることはできるようだったが、情けないことに、殺せない。本当に何をしているんだろう。
花束を持って家を回ることにしたが、ありがたいことに一葉はついてこなかった。考えるのはやめ、さっさと用事を終わらせて帰ろう。
花を置くのが毎年この日の義務だ。届きもしない花を贈ろうとすること自体生者の自己満足でしかないと思うが、龍が生涯で俺に強制したのはこれくらいだった。感化された訳ではなく、そんなにしつこく言うならやろうと思っただけだ。どうせ数時間も経たないうちにしおれ、弱風で飛ばされてしまうのにそれでもいいと言っていた。重要なのはやることなのだと。
最初は確かナインの家だった。灰病が出てきた初期に死んだせいで、あまり関わった記憶が無い。恐らく俺が明日香よりも幼い時の話だ。死んだときの衝撃は大きかった気もするが、それから次々倒れていたから曖昧になっている。
隣は一つ年上の双子が暮らしていたので、花も二つ。相当一緒に遊んだが死ぬのも早かった。
だからなんだというのだろう。もう戻れない過去のことなんか思い出しても、二度と会えない現実を直視するだけだ。そんなことしてる暇があるならさっさと……一葉を殺せば良かったのに。
次の家の玄関に立ったとき異変に気がついた。来たばかりなのに既に花弁が全て揃った青い花が一輪あるのだ。ここはサーティーンの家だった場所だが、表札も無ければ地図も無い。龍が帰ってきたんじゃないかと本気で錯覚して、そんなはずはないと奥歯を噛んで首を振った。龍が海に溶けたのはこの目で見ていたのだから。
「余計なことしやがって」
一葉を村に連れてきたのは確かに俺達のことを知って欲しかったからだ。しかし研究者に殺された人がいるということを認識して貰えたら他に用事は無い。ましてや今更謝ろうとか弔おうとかしているのは許せなかった。そんなことしたってなんの意味も無いのに。
ちょうど六年前に死んだ九人を思い浮かべ、出来るだけ早くその家に着こうと花をばら撒きながら走った。こういうのは端から潰していかないと置き忘れる家が出てくるし、風で飛んでしまうので確認も出来ない。
案の定一葉は叶の家に手を合わせていた。玄関があった場所には
「叶さん、どんな人だった?」
涙声で目は瞑ったまま。膝の横に血だらけのノートがあった。それに叶の家も髪や目の色も書かれていたんだろう。同じようにサーティーンやババアについても、もしかしたら全員分あったのかもしれない。
「書いてあったんだろ」
それなら俺が語る必要は全くないじゃないか。龍の日記と俺の知識を擦り合わせて「それ知ってる」とでも言いたいのか。ちょっと読んだだけで知った気になって、泣きながらごめんなさい私が悪かったわ許してねとでも言うつもりか。今更死者を知って何があるというのだろう、後悔したってもう遅いのに。
しかし、一葉の口から出てきたのは考えもしないことだった。
「終希、貴方は忘れちゃだめよ。この人たちが生きてた証すら無くすつもり?」
「……」
息を飲んだ。
裏切り者のワンを除いて家族はいない。しかし死んでしまっても俺が覚えていさえすれば少なくとも存在したと言えるのだ。俺がいなくなったらここにG型という実験体がいたということすら森に呑まれて消えてしまう。それこそ旧世界が落ち葉に沈んだように隠され、無かったことにされてしまう。そう考えると、酷く苦しく胸が痛い。
「終希って名前の意味、よく考えるべきだわ」
「お前に何がっ……」
「ね、分かるでしょ」
考えたらだめだ、全てが一気に襲いかかってくるのが目に見えている。だから泣かなかった、無視した。そのせいで龍が死んだとわかっていても喪失に向き合うことは出来ない。やることは残っているのにこんなところで、心を壊して死にたくなかった。
「どうしてお前にそんなこと言われなきゃならないんだ!」
希望だとか、そんなこと俺に押し付けんなよ。重すぎるんだ。末っ子に甘えて遊び回ってたようなやつに全員の生きた証を背負えなんてさ。皆が生きててくれればこんなこと無かったのに。
「お前のせいで……嘘だって言ってくれよ」
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