7 灰と浄化装置

 東の方向が騒がしく、咄嗟に裏道に身を隠した。髪を握り陰からそっと公園を覗くと、倒れた人間が七名。うち五人は死んでいるのは確実で、父親らしき男も生死が怪しい。

 実験体なのに生かされ笑っているのに耐えられなかった。どうして俺の家族は殺されたのに、同じ実験体の東京の奴らは笑うことを許されているのだろうか。

 二人と今まで通りやって行ける気がしなかった。一葉は一体どうして妹を殺すという選択に至ったのか検討もつかないが、人殺しと付き合わない方が良いだろう。もう家族はいらない。ただの協力関係でいいんだ。

「お父さんって呼ぶのやめろよ……」

 呼び始めたときにもっとはっきり拒絶しておくべきだった。今更やめろと言ったところで変えて貰えるとは思えない。それと、明日香は無意識か意図してかは分からないが俺を「ジーフィフティ」ないし「フィフティ」で呼ぶ。家族でもない人にされるその呼び方は、思わず引き金を引くほどの嫌悪感と気持ち悪さが湧き上がった。

 都心から来た音はだんだん大きくなり、人の肩に浮いているのと同じロボットが数台視認出来た。死体回収ができるような腕も殺人鬼捕獲のためのロープも無いが、何をしに来たんだろうか。レーザーか、実弾か、ボールが猛速度でぶつかってくるか。どれも避けるには大変そうだ。

「エラーコード03 チップ情報の取得に失敗。犯人を特定できません」

「監視カメラが配置されていません。付近グリーザシステムのメンテナンスを要求します」

 単眼のようなカメラがこちらに向く。咄嗟に隠れ、暫くしてからまた覗くと、何も回収せず去っていった。

 助かったらしい。チップを取り除いた俺が来たのが功を奏したか? 前回三人殺したものの犯人を探そうとは思わなかったのだろうか。東京の中にチップを持たない人がいる可能性は皆無だと考えているのか? それならとても都合がいいが、近くシステムメンテナンスが入るだろう。東京に来る度殺人事件を起こしていたらいつか気が付かれてしまう。

「う、うう……」

 気を失っていた女がゆっくりと起き上がり、頭を押さえじっとしている。後ろでひとつに結んだ髪と整った顔立ち。意識を鮮明にすると腕の中の屍を抱き、倒れた男にじりじりと近寄った。二人の子供のことを後回しにしたのは自分の子ではないからだろうか。よく見ると鼻の高さや頬骨の出方が女にも男にも似ていなかった。

 家族は血の繋がりではないと思っていたが、自分と近い人がいる人間にとって血縁は優先順位の高いものなのかもしれない。関心が向かない子供二人には同情した。

 辺りに誰もいないのを念入りに確認して近づくと、彼女は重たそうに頭を回して俺を見た。優しく子を下ろし、膝をついて立ち上がって歩いてくるその目は深海のように暗い。

「なあ、俺以外の実験体を知らないか」

「この子が何したの!」

 首に手が当てられ、力が入る。しかし一葉には到底及ばないような非力で、本当に全力でやっているのか不思議なくらいだった。腕は骨と皮だけで、病的な青白さだ。生臭さに混じってほのかに花のような香りがするが、どの花とも違う人工的なものだった。

「ジー、ワンの……」

「答えろよ、人殺し!」

 聞く耳を持たないんじゃ情報収集は無理だ。

 暴言のように答えろと言う割には喉を圧迫しようとしているし、殺そうとしている割には弱々しくフライパンすら持てなさそうだ。平和で何でも揃う東京だからそれでも生きて来れたのだろうと思うと腹が煮えくり返るようだった。

 疲れてきたのか、細く息を吸うことが出来る。折れそうな手首を掴んで引き剥がし、捨てるように離した。

「……理由?」

 あえて理由を付けるとすればそれは「生かす理由がなかった」だけで、なにも盗みをはたらいたとか殺人したとかでは無い。G型は死ぬことを前提として作られてはシナリオ通り殺されて、納得のいかないまま過去になった。それと同じだ。

 それが実験体であるということだ。そうじゃなかったらこの格差はなんだ。成功作と失敗作という違いは研究者の人間の価値観であって、俺達には関係ない。

「人間は灰の中で生きられるのに俺たちはどうして作られて殺されたんだ? 答えろよ、あいつらが殺された理由はなんだったんだ!」

 心臓が痛み、手はもう添えられていないのに息が吸えない。こんなに辛いなら何もかも見なければ良かった。愛した人も好きだった景色も親友との思い出も家庭の味も心の奥底に封印してしまえた頃は言われたことだけを考えていられた。

 幸せな家族なんて見たくない。

「家族を返してよ!」

「それが出来たらもうやってる! 死んだんだよ、もう会えない!」

 彼女は顔を真っ赤にして平手打ちをするが、やけに遅くしなやかさの欠片もなかった。一葉に殴られた十分の一にも満たない頬の痛みでは顔を顰めるまでもなく、気持ちだけが先行した暴力への鬱陶しさに足が出た。派手に転んだ彼女の歪んだ顔に気がついた時には、とうに息絶えていた。

 握ったハンドガンから煙が昇っている。生臭さと焦げ臭さはあの時と同じなのに妙に落ち着いていて、目を閉じても暗闇が覆うだけだった。

 予定通り買い物を終わらせた。相変わらず多いどころか五百万に戻った残額に絶句し決算する。今回は遠心分離機のような高価なものがなかったのでほとんど減っていないが、帰ったら明日香の仕業でまた戻っているのだろう。リュックに入らなかったぶんは新しく購入した手提げに入れ、ホットドッグを咥えながら空き家に死体を持ち込む。二回目ともなれば手馴れたもので、本を読み終えるまでに十分量の血液が採取できた。

 ボトルに十二、三リットルの液体を詰め、途方に暮れた。重さは何とかなるかもしれないが、とにかく多いのだ。それでも前回の拠点に持っていくしかないので見つかってはならないものをリュックに押し込み、代わりに重い機械のパーツや食料類等を手さげに入れることにした。

「さっきまでこんなに煙ってたか……?」

 外に出ると、山の方が霞んで見えにくくなっている。それ自体は不思議なことでは無いが、気のせいかそれが濃い気がしたのだ。

 疑問を抱えながら数十分歩いてようやくたどり着いた廃墟には白骨化した遺体が三つ残されていた。回収に来なかったのか、チップが無くなったから追跡できなくなったのか。場に合わない新しい機械に固まり始めた血液を入れ、外を見て回ることにする。

 東京人を東京の外に出そうとしないのは効率的な薬の採取のためとみて間違いない。一葉がチップをつけた状態で出れた理由については後々調べる必要があるが、他に出た人がいた形跡が無いので例外だろう。東の空はやはり穴が空いたように青かった。

「灰の仕組みは分かってない。じゃあなんで空が青くなってんだ?」

 綺麗な空気を壁の内側から排出するのであれば、その空気はどこから持ってきているんだという話になる。灰の大きさすら分からない現状で浄化装置なんて作れるとは思えないので、その説は一旦却下だ。

 バリケード沿いに歩くと視界がやや開けた。振り返ると確かに一箇所だけ霞んだ地域がある。すれ違う人々は俺を障害物としか見ていないように避けて楽しげな雑談を続けた。

「逆……灰を遮断?」

 壁をあれだけ高くすれば灰も入って来れないだろう。しかし元々中にあった毒ガスは結局どうにかしなければならないし、浄化が必要になる。浄化装置が無ければあの空の色にはならない。

 答えの出ないまま散歩は終わりにして、拠点に戻った。二回目の遠心をかけて、硬い床にそのまま寝転ぶ。目の前に骨が散らばっているのは流石に気分が悪く、腰を痛めながら寝返りを打った。G型のように灰で全部消えたら不気味さはなかったのに……

「そうか!」

 急に答えが浮かび、うたた寝から飛び起きた。金が入ったカードを持って玄関から飛び出し、慌てて三回目の遠心をかけに戻る。

 火薬を買おうとしたが、そんな危険物は置いてなかったので大量の花火を入手することとなった。拠点に戻り分解しながら、たまに薬の状態を見て継ぎ足すこと三時間。ようやく全ての作業が終わった頃には日が暮れようとしていた。

 この仮説が当たっていたら復讐は考えていたよりも百倍楽に終わる。不殺生を説く一葉の邪魔も入らない。

 次の日の朝、減った水分量以上に増えた荷物を抱えて東京を後にした。愚かな大学教授の表彰式でも見ておけばよかったと振り返るが、三日後には帰っていなければならないので急ぐ必要がある。一葉に会った時に肩と腰が壊れていなければいいのだが。

「日記の内容、聞かされるんだろうなぁ」

 足が重いのは荷物のせいだと思い込むことにした。

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