6 烏
*
一葉が血だらけの本を持って家から出ていくと、必要な材料を口頭で伝えていた明日香の話題は急に変わった。
「お母さんが帰ってきたら薬を打ってもらいます。そろそろ前回からひと月経ちますし」
器用なもので、話しながら材料の基板や小型コンピュータ等の型番をすらすらと記していく。英数字の羅列を見ただけではよく分からないものも多いが、中には見知った工具の名前もあった。
「それとこれはうちにある」
「本当ですか」
部屋に戻って机の下の引き出しからはんだごてと数メートル残っている導線を取り出した。ついでに使うかも分からない細々した部品を適当に掴み、明日香の前に落とす。それをひとつひとつ返したり回したりしてメモ帳に横線を引いていった。
「お父さんも灰が多い場所に行ってもらうので注射をおすすめします。今まで生きてこれたのは高いところにいたからだと思いますし……」
リストは次々と横線で訂正されていく。
「東京でも薬は必要なのか」
「うん? そうですよ」
目を丸くして首を傾けた。東京の灰が薄いというのは明日香も知らないことなのだろうか。研究所がある方向はここでも見た事のない青い空だったが、あれは幻覚だったのだろうか。
とうとう隙間にねじ込むように書き始めるので、新しい紙を寄越した。誰が読むと思ってんだ、見やすいように書いてもらわなきゃ困る。
「ありがとうございます」
床に紙を置いてラクガキでもしているような姿勢を取る明日香の頭に手を置いた。こんな大きさなら力を入れたら握り潰せてしまいそうだ。
少し滑らせ、立ち上がって東京行きの準備を始めた。言われなくても今回も薬を取ってこいという意味で東京に行かせようとしているのは分かっている。
家を出る直前に明日香に薬を打ってもらった。だからといって特に変わったことは無い。春灰で死にかけた時にも打って、劇的に回復した本物だ。
寄り道し一葉と会ったあとは足を早めて東京へ向かう。ズボンのポケットからメモを取り出し、上から順に確認しながら歩いた。それぞれは大きくないが、何しろ量が多い。旧世界の品物を自分で陳列棚から引っ張り出してくるシステムが廃れてよかったと思う。名前を打ち込むだけで品物が出てくる今でさえ面倒だ。
「本日のニュースです。大学教授の賢一さんが新エネルギーの発見をしました。政府は明後日十二日に表彰式を行うことを発表しました。『このエネルギーは人類の可能性を広げる画期的なものだと考えています。例えば空を飛んだり触らずに物を動かすと言った、魔法を可能にします』……表彰式以降、賢一さんは国立研究所に転勤し、より高度な設備を使って実用化に向けた研究を続けるそうです。次のニュースです……」
東京を囲むバリケードを超え、中心部へ向かう。すれ違ったロボットが喋っているのが耳に入った。インタビューを受けた大学教授はにこやかに答えているが、あれは薬の収穫だ。国立研究所なんて、壁の中に閉じこもって人体実験を繰り返すあいつらを指す言葉に決まってる。この先何が起こるかも知らず自分から壁の内側に赴く馬鹿もいるもんなんだな、と鼻で笑った。
再度見た東京の中心はやはり青空が開いていた。灰が薄いのは中心だけのようで、俺が今いる辺境は霞がかっている。確かに家にいる時よりも周りが見えにくいような気がした。
ホームセンターらしき看板を見つけて十字路を右に曲がった。左側の公園では三人の子供が丸いボールのようなロボットを蹴って遊んでいた。あれはそうやって使うものらしく、摩訶不思議な軌道を描いて逃げていく。一人が回り込んで蹴り返すと宙を舞うが、放物線を描かず保護者であろう大人達を目指して飛んだ。
「お父さん、ボール投げて!」
「おう、そっち行くかわかんないぞー」
――ごめん!
――次は取れよ!
「っ……」
あの五人組は俺とはなんの接点もない人だ。分かっているはずなのにどうも家族の姿が重なってしまった。もうとっくに死んだ人達を未だに引きずっている自分が嫌いだ。他人を重ねたところで会えるわけないのに、目が離せない。こんなことしてないで早く復讐を終えなければならない。寄り道なんてしないで俺の使命を果たさないと。
風が吹き、左首を隠していた髪が後ろに流れた。ガキの一人が「実験体だ!」と喚く。逃げる前に追いつき、銃を取り出し後頭部を殴打した。昔聞いたことのある音が手元から鳴り、悲鳴と怒号が四つに増えた。
「焼印見ただけでこれか……あいつも大変だったんだな」
血を流すわけにもいかないので、飛びかかってきた若い男の股間を蹴りあげ、蹲った首を叩いて気絶させた。死んだ子供に寄り添った女は亡骸を揺さぶって叫んでいたが、男が倒れたのを見て意識を飛ばした。残り二人は逃げようとして転び、腰を抜かして這って逃げようとしていた。
「覚えとけよ、てめえらも同じ実験体だ」
いや、生かしても俺二号になるだけだ。それも不憫に思えたし、復讐されても面倒なので額に発砲した。せめて苦しまずに死ね。
髪を前に戻すと新たな視線を感じた。振り向くと、悲鳴を聞いて駆けつけた大人が二人追加されていた。肩に浮かべた変なロボットで警察を呼ばれる前に額を撃ち抜いて殺した。明らかにやりすぎだ。こんな数どう捌けばいいのだろう。
死者を悼むようにカラスが鳴く。目に何か違和感があった。
「そういうことか……」
あいつが警備ロボだ。道理で一葉も見た事ないと言うわけだ。撃ち落とし、電気が漏れたような断末魔を上げる黒い鳥を拾い上げた。羽の下には金属の骨が仕込まれていて、目はカメラになっている。手遅れかもしれないが、両目に俺が映らないように潰して壊し、胸にあったバッテリーを外した。明日香に改造させれば使えるかもしれないと思ったのだ。
とにかく一刻も早くここから離れなければならない。目撃者は全部消したがこのカラスがリアルタイムで情報を上げているとしたらもう暫くで増援が来る。
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