5 目を背けて

十月十六日

 皆を失って二ヶ月が経った。依然としてフィフティとはろくに会話もできず距離感が開いている。


 フィフティが久しぶりに村に顔を出した。ポケットに両手を突っ込んだまま風化しつつある故郷を見渡している。

 俺の言葉が聞こえていないのか、それとも聞く気がないのか。彼は顔色ひとつ変えずに大通りの左側へと入っていった。住宅だった四角い囲いに先月と同じように花を置いていく。俺がやれと強く言ったからその通りにしているだけなのが、手を合わせようとも話しかけようともしないことに現れていた。

 目を瞑って青髪の青年を思い浮かべた。サーティーンにフィフティの態度を謝ると「気にすんな」って苦笑してくれたような気がした。

 フィフティが一人で鍛錬に明け暮れる一方、俺は亡くなった人たちの代わりに夢を叶えることにしている。花を植えているのは叶の夢。兄が作っていたジオラマを完成させ、大人達の代わりに畑を作って、ジョギングを欠かさず行った。やっているときは気分も冴えて、辛いことが離れていく。

 しかし、四十八つの習慣をやるのにひとつの体では足りなかった。それでフィフティに手伝ってもらおうとしたが、一言「馬鹿だ」と突っぱねられてしまった。「お前の自己満足に付き合うつもりは無い」と。

 考え方が違うのは仕方のないことだが、俺はあいつなりの償いの仕方、復讐には賛成できない。それこそあいつの自己満足だ。

 フィフティは俺みたいに過去に囚われているようには見えなかった。どうしても現実を受け入れきれない俺と違って火事を受け入れ、自分なりにケリをつけようとしている。そんなところを羨ましく思ったこともあるが、その方法が復讐であっていいはずがない。あいつらを殺しても何も変わらないんだから。

 フィフティは冷酷な人間になっていた。火事の次の日こそ村に来たが、その次にここを訪れたのはその一ヶ月後。今日だって俺が言わなかったら来なかったと思う。いつか八月にしか来なくなって、そのうち村の場所さえも忘れてしまうような気がした。

 最初は怒鳴ったけれど、もう放っておくことにした。何を言われても表情も変えずに立っているだけのフィフティを見ていられなかった。

 フィフティが花を置き終え「先帰る」と呟いた。あいつは俺が何をしても無駄だ。義務を終えたら村にはもう用がない。

 「フィフティ」と呼んだ時足を止めてくれただけでも有難いと思った方がいいのだろうか。

 踵を返すフィフティの左腕をつかんで引き留める。めんどくさそうに向き直るので、思わず手が出てしまった。俺が味方にならなかったら誰もあいつを支えてやれないのに、なんてことをしてしまったんだろう。

 怒られなかった。でも、「フィフティって呼ぶな」だったかな。そう言って帰ってしまった。

 終希って名前は復讐を望むと言っているみたいで嫌だった。本来そんな意味じゃないのに、フィフティは今でも絶望的な意味だと思っている。そりゃ「終」って字を入れたのはまずかったけど、俺が考えた名前じゃない。

 その名前が俺とフィフティ以外の家族皆で考えたものだというのは、火事の前日叶かなに教えてもらった。でも誰も一度も呼ばなかった。ナインティーンなんて特に声が大きいし、見かけただけで呼び止めてくるし、そもそも若干痴呆気味で口を滑らせてもおかしくなかったのに、彼女も頑なにフィフティで通していた。よくあの写真の嘘をついた時言わなかったな、と感心している。

 理由は至極簡単、「終」が後ろ向きだったからだ。叶の遺書には「フィフティは終希という名前を快く思わないだろう。終の希望という意味を言ったところであの頭脳に伝わるかどうか」と書かれていた。続けて「だから、フィフティを終希と呼ばない方がいい」ともあった。

 叶はあの時口を滑らせてしまったのだろう。焼跡から出てきた数々の遺書にも「終希」という名前がでてきたが、全て消しゴムで念入りに消されていたのだ。墓場まで持っていくはずの名前だったらしい。

 フィフティにどう伝えればいいのか分からないまま二ヶ月が経過した。フィフティ宛の遺書は一センチしか開けられていないし、他のも見た気配がない。

 どうすればまた笑ってくれるだろうか。



 龍さんは初っ端から苦労していたようだ。日記に書かれた終希は私が初めて会った時に似ていたが、それよりもさらに冷たかったんじゃないだろうか。言われたことしかやらないなんて、古典に出てくるロボットみたいだ。

 「終」という字は「終わる」を表すと共に「最後」でもある。本当に些細な違いだが、後者であるならばG型の末番でありたった一人の生き残りである終希には真に相応しい。「命の終えるところまで希望を絶やさず生きてくれ」という意味が込められていたら、尚のこと。

「二人を逃がすために計画してたくらいだし、それくらいあっても不思議じゃないわね……」

 あの終希じゃ伝わらないだろうな、と思ったところ不自然な音が聞こえた。ノートを閉じ、腰に手を当ててナイフを握る。蔦を切ったり動物を追いかけたりするのに便利だからと外に行く時は持ち歩くようにしたが、今使うとは思っていなかった。

 普通熊や猪だった場合は逃げる一択だが、やり方を間違えなければ勝てない相手では無い。いずれ来るであろう研究所襲撃の練習相手として数度使ったくらいだ。

 振り上げたナイフからは鈍い感触はなく、代わりに硬く甲高い金属音がした。火花が指に刺さり姿を盗み見ると、獣ではなく人間がそこにいた。

「気付くの遅せぇよ馬鹿」

 蹴りの初動が見えたので距離をとって躱すと、そこにすぐさまナイフが飛んできた。弾いて軌道こそ逸らせたものの、肩を掠めてしまい血が滲む。

「なんで来たの、東京は真逆でしょう」

 傷口を強めに押えて止血を待った。終希は後ろに飛んで行ったナイフを回収し、じんわりと血のにじむ左肩をじっと見つめている。

「そんなに深くねえな、押さえてれば治るだろ」

「ええ」

 痛みよりも、切れた服を縫わなければならないし血も洗い流さなければならないのが少々面倒に感じた。

「伝えたいことがあったから探しに来たんだよ。六日後の十六日、ここで待ってろ。連れて行きたい所が……ってお前それ、本当に読んだのか」

 八月十六日……どこかで聞いたような。

「もしかして、命日?」

「ああ」

 違和感の正体はそれでは無い。しかしG型の村が消えた日以外に特別なにか出来事があったかと考えても答えは出なかった。

「日記なんて面白くもなんともないだろ」

 血のついたノートから目を逸らし呟いた。終希はまだ死者から逃げている。火事を受けいれたのではなく、現実を直視できないのだと龍さんに教えてあげたかった。

「読みなさいよ」

「断る」

 復讐も十六日に村に行くことも家族に言われたことか、言われたと思い込んでいる事だ。「俺がやらなきゃいけない」なんて言ったが、日記からは復讐を望むような雰囲気は感じ取れない。龍さんの言った通り、私にも終希がそれ以外家族のためのことをしているように見えなかった。

 「死んだ」と軽く口にできるのは、それを他人事のように遠ざけているからだ。現実逃避は自分を守るのに最も良い手段だから。

「読んで」

「なんでお前に命令されなきゃなんねえんだよ」

「龍さんの弟なんでしょ?」

 終希は怒ったように口を噤み、北東へ行ってしまった。

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