4 別々行動

「はなれても研究所や東京のことを知るために、来るときいくつか電波の中継機を置いてきたんです。でも、前にお父さんが買い出しに行った時にこわしちゃって……」

 リビングを出て、終希の部屋へ向かう。明日香は怒られに行くように身を縮めていて、つられて私も怖くなった。

 何も分からない敵地に乗り込もうとするのは、無茶に無謀を重ねたようなものだ。私と明日香しか知らない研究所も時間が経てば経つほど知らないことが増えていくだろう。情報不足が原因で怪我人を増やしたり被害を受けたりしてしまってはいけない。それに、私たちがここにいる間に研究を終えて壁が消えているかもしれないのだ。もしそうなれば、ただのテロリストでしかなくなってしまう。

「それは困るわね!」

「はい。また置けばいいだけですが」

 明日香はドアの前で立ち止まり、手を胸の辺りに上げて固まった。二、三秒間妹の声以外何も聞こえなくなる。ドアノブに手を伸ばすと、ようやく扉を叩いてくれた。気が狂うほどではなくなったにせよ、静寂は今でも嫌いだった。

「あの、お父さん、お話が……」

 明日香は静まり返った部屋に眉を下げていた。「何」とでも言ってくれれば良いのだが、聞こえていないのか聞く気がないのか、返事がない。

「……東京に行った時、中継機こわしましたよね」

 勇気を出して続けた明日香になにかご褒美でもあげたくなる。もっとも東京じゃあるまいし何も無いのだが。

 明日香は「絶対入るな」という忠告を律儀に守っていた。用事があるときでさえ終希に怒られるのが怖いようだ。

 ややあって終希が中から長くて大きい銃を持ってでてきた。明日香はぎょっとして私の後ろに隠れ、上着を強く握りしめている。てっきりハンドガンしか持ってないと思っていた私も思わず半歩下がった。

「今更? そりゃ情報収集もあるだろうけどお前信用無かったんだよ。こいつもバネがイカレてるから買い出し行かねえといけないし、ついでに部品買ってこようか」

 銃を掲げて色々な箇所を動かした。私には弾がどこから出るのかとかどこが引鉄かくらいしか分からないのでどのへんがおかしいのか知る由もなかった。こんな複雑な武器私には扱えないだろう。ハンドガンくらいなら使えるかもしれない、と言われて握らせて貰った時はセーフティロックの外し方すら分からなかった。私は持ち手で殴るくらいしか出来ないだろう。

「それ、何?」

「何って……お前馬鹿だろ、ショットガン以外なにかあんのか? それとも型番まで聞いてんのか」

「それだけで十分だわ」

 ショットガンと言われてもそれが他とどう違うのか。その長さがあれば遠心力を使えるので威力を出せそうな気もするが、加減しないと殺せてしまえるかも。

「長物の方がいいだろ、拳銃でもいいんだけど威力がな」

「ながもの?」

「……デカい銃」

 壁に銃を立てかけ、手を離してドア枠に寄りかかった。明日香は怖々後ろから出てきたが、目線は銃に行ったまま硬直していた。

 終希は私の陰に隠れる明日香を苦笑していた。明日香は目を合わせないように俯いていたので、ずっと終希が機嫌悪いと思っていることだろう。

「明日香、大丈夫よ?」

「……新しく作り直したいので、材料を買ってきて欲しいです」

 声が震えて、裾を掴む力が増した。銃が壊れているとしても、終希が持っていると言うだけで恐ろしいのだ。

「……お前は?」

「私?」

「食材は買ってくるけど、他。お前は行きたくないだろ」

 ああ、そういう事か。

 今回は量が多くなりそうなので遠慮した。パーツがなにかは分からないが、もし金属製だとしたら相当重くなるだろう。

「行ってもいいわよ……大変そうだし」

「待ってろ」

 即答されてしまった。東京に戻りたくない私の気持ちを汲んでくれているのは素直に嬉しかった。街に行くなら知り合いに会うことは避けられないだろう。

「そう言うなら」

 終希は部屋に戻り、紙と万年筆を持ってきて明日香に渡した。

「必要なものを書け」

「はい」

 ようやく裾を離してくれた。見ると、予想通りしわしわになってしまっている。

 話し始めた二人を見やり、手に持ったノートに視線を落とした。読むなら部屋の中より風の音がする外の方が集中できるだろう。窓の外は幸い晴天で、夕立の恐れもない。

 そっと玄関に向かい、靴を履いて外に出た。ドアを閉める時に終希と目が合ったが、ノートを見た途端逃げるようにそっぽを向いた。そんなに龍さんと距離があったのか。

 湖を渡って沼津の方向へ踏み出すと、後ろから声がかかった。明日香が玄関から顔を出している。

「お母さん! いつ帰ってきますか?」

 寂しいのだとすぐにわかった。父親とも上手くいかないのに私がいなくなったら心細いのだ。私はそんなのいつもの事で、子供の頃から親が近くにいることはほとんどなかった。でも、だからこそ知っている辛さもある。幼ければ幼いほど誰かにそばにいて欲しくて、ひとり遊びをしている時でも家に誰かいて欲しいのだろう。

「日が暮れるまでには帰るわ。ちょっと体動かしてくるだけだから。お父さんと遊んでて」

「はーい」

 手を振って森へと走った。

 明日香が私に好意を向けてくるのが恐ろしくもあった。あの子は私と同じ実験体だし私が所長の娘と同じ血を持ってることも知っているが、それでもいつか未悠や師匠のように急に態度を変えるんじゃないかと思ってしまう。明日香は可愛くて頭が良い子だ。いつか裏切られたらその時はその時。それまでは仲良くやっていきたい。

 ひと月前に艶やかな葉を広げていた椿は五つほど玉のような実をつけていた。日陰に吹く風も暖かく、何もしなくても汗が滝のように顔を流れる。椿の下にノートを置いて山を少し下り、沢で顔を洗うついでに透明な水を掬って飲んだ。冷たさが喉を潤し、火照った身体が落ち着いていく。

 夏。嫌な季節が来た。何度経験しても六年前の思い出が消えることはなく、妹の代わりに未悠やクラスメイトの声があちこちから聞こえてくるようだった。誕生日も今月だが、ケーキが食べられるとかそう言う楽しみさえかき消すほどだった。

 椿は下から細い木が生えていて寄りかかるのには不向きだったので、隣の広葉樹の元に座ってノートを開いた。

 紙に落ちたのは血だけではなく、涙もあったのだろう。しわの寄った紙を全て分離してから読もうと思ったのだが、後半があまりに酷い有様だったので途中でやめた。

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