6章 大好きな君へ

1 I型

「所長ー、報告ですー」

 所長室に入ってきた水色の髪に同じ色の瞳は、彼女が実験体であることを示していた。ホログラムで資料を展開し、指で弾くように所長と呼ばれた中年の男に投げる。所長は当たってもすり抜けるだけだとわかっていても反射的に目を閉じた。

「もう少し丁寧にしたまえ、I-07アイセブン

「やだぁ堅苦しい。ねね、H-01一葉が脱走したって、知ってた? 三番ちゃんが一緒にいるらしいんだけどご丁寧に死亡記録まで作ってたよ。ふふん、グリーザは騙せてもI型には筒抜けでごぜぇます」

 肩を竦めて所長の机に座る彼女は明日香I-03と同じ型の実験体だ。明日香が目覚めた時にはまだ水の中で寝ていたが、明日香が一葉と研究所を出ていった一週間後に覚醒した。同じ型なので髪の色も瞳の色も明日香と同じく空色だが、髪型や雰囲気は可愛らしさよりも大人っぽさのある少女だった。肩で緩く波打った髪の上半分だけを後ろで結わえ、フリルのついたシャツをスカートの中に入れている。

「そりゃそうだろう、グリーザはこの世界をあまねくネットワークの総本山、つまり人類の頂点だが所詮は旧世界のAIだろう。私が作ったI型は数値に変換された情報しか知らないAIではない、人間とグリーザを融合することでより多くの情報を手に入れた、高次元の神だ。旧世界の神に負けるはずがない」

「それグリーザとなんも変わらんのよ」

 小声で反論するI-07の声は所長には届いていなかった。明日香がグリーザ本体を騙せたのは書き換える前のデータを完全に消去したからで、I型が気がついたのは書き換える前を記憶していたからに過ぎない。同じことは旧世界でもグリーザが人間を騙すためにやっていたという記録がある。その嘘はグリーザにしか気がつけず人間はまんまとハマってしまったのだが、それすら知らない所長はただ人間の体にグリーザを移しただけの実験体を作り、喜んだ。

 I-07は所長を見下したような目で見やり、横髪をいじった。持っているデータを疑い常に正しい情報を手に入れようとすることに関しては人間よりグリーザの方が長けているし、旧世界の人間はグリーザに曖昧で正解のない問いも答えさせていた。所長がそれを知らないのはグリーザについて知ることが出来ないからだ。グリーザは人間が生み出したAIであるにもかかわらず人間の理解を超えた行動を繰り返した。それが結果的に人間社会を良い方向に持っていった「ように見えた」ために神と言われるようになったのだが、グリーザの思考に追い付ける脳を持ったI型でなければその真実にたどり着くことは出来ない。知らないことをいいことに、彼はグリーザよりも優れた実験体を作り出した気になり、グリーザを旧世界を自分より劣ったものだと決めつけていた。

 旧世界から何一つ進歩していない技術力には慢心する所長に賛同する素振りを見せながらも、I-07は腹の内でどう研究所を乗っ取ろうかと考えていた。先代までの所長は優秀だったと聞いているが、今代は「自分が思う狭義の人間を増やすこと」について考えすぎて視野が狭くなっている。I-07にとって人間の定義が灰適合の有無であろうと腹から生まれたかどうかであろうとどうでもよかった。

「んで、どうするの一葉ちゃん。貴重な人間でしょ」

 新しい画面を出して明日香の現在地を確認しようとした彼女と裏腹に、資料にざっと目を通し終えた所長は欠伸をした。

「ふぁぁ……ああ一葉か。放置で構わん」

「娘さんじゃないの?」

 深緑色の目が鋭くなった。今の常識からも外れた事をしたと自覚はしているのだ。しかしそれこそが彼の理想、大量生産したH型のうち最も気に入った者を娘にすることだった。

「クローンならあいつ以外にも作れるだろう」

「クローンも人間なんだねえ」

 旧世界とはまるで違う価値観だ、と旧世界の資料を思い出した。結局倫理的な問題が残り最後まで実用化されなかった技術が今はありふれたものとなっている。

「何度も言っただろう、灰に適合してるかどうかが重要なんだ!」

 理想を否定されたと思った所長は息巻いて早口になる。I-07は「そんなんだから逃げられるんだよ」とたいして興味なさそうに独り言つと、すぐに別の話題に切りかえた。

「そういや四番君覚醒したよ。起きた瞬間三番ちゃんに会いたいってうるさいんだよね、気絶させていい?」

「だめだ」

「ちぇ」



***

 家の裏手で素振りを終え、顔を滝のように流れる汗を服で拭う。頬に張り付いた緑色の髪にも雫が付いていて、首を振ると飛び散ったいくつかが手についた。ふと上を見ると二階の窓から身を乗り出し、家の周りの湖を見ながら明日香が不貞腐れていた。

「どうしたの?」

「あついぃ」

 窓縁の跡が顎についていた。この気温は病にかかるほどでは無いが、快適ではない。とはいえ八月なのだから当然の気温で、むしろ水に近く森もある分東京より随分涼しかった。

「クーラーが恋しいですぅ……」

「この気温だったらいらないわよ」

「やだぁあついぃ溶けちゃいますぅ」

 そんな会話をダラダラと続けていると、明日香がふいに後ろを向いた。ちょっと何か言葉を交わした後、こちらも機嫌の芳しくない様子の終希が明日香の上から顔を出す。

「一葉、そっち投げるからな」

「何を」

 すると明日香が身長より高く持ち上がった。

「ふぁい!? ちょっとお父さん、何するつもりですか!」

 慌てふためく明日香を軽々お姫様抱っこした終希は、二度家の中と窓の外を往復するように揺らし、三度目で明日香を窓の外に投げた。

「いやあああああああ!」

「なにやってんのよ!」

 綺麗に放物線を描いて飛んでいく明日香。水色の長髪が顔を隠してしまったが恐怖に怯えているのは間違いないだろう。

 大太刀を置いて着地点に駆けるも、湖畔にたどり着いてしまって先に行けなかった。一瞬水に入るか躊躇した刹那、明日香は背中から湖に落ちて大きな水柱を立てた。

 靴を岸に脱ぎ捨てて湖に飛び込む。目を開けて泡の中の明日香を抱えると、水面から顔を出して息継ぎする。すぐに意識を取り戻した明日香は大声で喚きながら肩にしがみついた。二階を見上げると、終希は窓枠に腰掛け読書の続きをしていた。

「なんてことするの終希!」

「体冷えただろ」

 涼しげに言うが、彼には泣く明日香が見えていないのだろうか。

「そうじゃない!」

 怒鳴ると本を閉じ、そばにあるであろう棚に置いてもう一度窓から顔を出す。しかし悪びれた顔はせず、それどころかまた奇行に走った。窓枠に足をかけ、両足を揃えると手を離して思い切り飛び上がる。明日香とほとんど同じ放物線を描いて飛んできた終希は頭から水に吸い込まれていった。明日香よりかなり小さいとはいえそばに居ると盛大な水柱をもろにくらい、せっかく拭った顔にまた水がかかった。

 器用に泳いで自分から水面に上がった終希は口に水が入らないよう強く息を吐き、顔を振って水を飛ばしてから目を開けた。

「一葉こういうの好きだろ」

「……今は私の感想の時間じゃないわ」

 めちゃくちゃ楽しそうだな、と思ったのは確かだが明日香はさっきよりも顔を暗くして私の肩に顔を押し付けていた。涙はほぼ収まっていたが、時折ぐずって終希から目を背けてる。終希はまた水に潜っていた。海で私にしがみついて死にそうな顔をしていたのはなんだったのか、達者なものである。

「終希」

 近くに来た終希の腹を蹴った。水の中なのでそれほどダメージがあるような威力では無いが、大きな泡がぶくぶく上がってきて弾けた。また上がってきた終希が水面で腕を回し水を飛ばしてくる。

「水ん中で攻撃すんな」

「明日香に謝りなさい」

 終希が明日香をのぞき込むと、睨んでいた片目と目が合ったようだ。

「……すまん、怖かったか」

「お父さんきらーい」

 どうもこの二人は波長が合わないようで、すぐ喧嘩する。しかしどうしたものかと考えているうちに終希が手で水鉄砲を作り、明日香にやり方を教えて二人で遊び始めていた。

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