14 声 2
「なんで来たの」
昨日よりは良くなったものの、まだ消えない体のだるさと猛烈な空腹感で話す気力がない。
終希がポーチから包みを取り出して開いた。差し出された掌に乗っていた乾パンを受け取って顔を上げると、彼は当然のように紙を丸めてポーチへ押し込む。ありがとうすら言えず、小さく齧って唾液に溶かした。しかし次いで出てきた水筒には流石に吹き出した。
「貴方こんなに気が利く人だった?」
「一葉、前に後のやつはどうしたって聞いただろ」
「なんて?」
まったく、本当に人の話を聞かないで自分先行で話を進める。興味のないことを真面目に聞いたことなんてないんじゃないだろうか、何に興味があるのかも分からないけれど。話が跳躍するものだから時間をおかないと言葉が理解できない。
「……もしかして会った初日に聞かれたアレ?」
終希は私の隣に腰を下ろし、ポーチからまた別の包みを取り出して食べ始めた。そちらはやや潰れていて、紙に落ち葉の粉が着いている。
あの時の質問を私は理解出来ずに無視してしまった。あれからほとんど忘れてしまっていたような問いだが、今ならわかった。後とはH-02より後ろの人達のこと、つまり妹たちだ。
「あれは全員殺した、が答えだ。違うか」
口に入っていたものを嚥下してもそうだと言えなかった。
終希にも人殺しだって言われてしまった。終希にとっての私は村を滅ぼした研究者と同じレッテルを持つ人だ。どんなに着飾って誤魔化していても二度と払拭されることは無い。私には殺された記憶しかないが、妹達を殺したのは十中八九事実。
「そんなの知って何になるの」
また無視した。しかし終希の中ではなにか繋がっているようだった。
「お前にはなにか見えてる、いや、目じゃないな……何かが聞こえてるだろ。うるさいって言うのはその幻聴に対してだ」
なんで分かったの。
「変なこと言わないで」
声が震えて歯が鳴った。過去の誤ちがどんどん暴かれて積上げてきた「普通の人」の証が呆気なく崩れ去っていく。私は殺人者で幻聴が聞こえる精神異常者でありたくは無いのに。
首に焼印があったから東京に居られなくなり、それから人前ではマフラーやストールなどで首を隠すようにした。私のことを全く知らない人であれば最初はそれで誤魔化せていたが、実験体だという事実は私の知らないところであっという間に広がってしまった。しかし首に焼印があるだけの普通の人間でいれば同じ実験体の中で生きることができた。
そう、大量殺人鬼でなければ。……所長の娘の血を持っていなければ。
「俺は真面目に聞いてる」
「聞かないでって言ってるの!」
つい大きな声を出してしまい、反射的に「ごめんなさい」と小さくなった。終希は私を腫れ物とは見ていないようだけど、それでも私は普通でありたかった。
「……すまん」
まだ半分も食べきらないパンを少しかじり、水筒の冷たい水で溶かす。甘いが、少し塩味が効いていた。隣の終希はとうに食べ終わり、紙を丸めて森へ捨てた。
「一葉、龍のこと前に聞いたろ」
どこまでも自分勝手だ。それに「お前は死ぬなよ」なら前に聞いた。
頭の上で小さな音がした。葉を叩く微音は不規則なリズムを刻み、激しくなったかと思うとまばらに戻る。鼻に水滴が跳ねた。
「龍は俺が殺した」
「え?」
時間を置いて親友であり兄であるはずの最期を淡々と告げた終希の顔には何も浮かんでいなかった。
それが「俺も同じだから気にするな」という意味なら無理やり仲間になろうとしているようで感じ悪いが、そういう意図では無いようだ。私のことを暴いた謝罪として自分のことを公表したのだろうか、それともずっと言葉にしたかったのだろうか。私と共有したかった? 私はそこまで心を開ける相手になったのだろうか。
「でもお前には脱落して欲しくないんだ、俺が困る」
「貴方もうちょっと言い方あるでしょ、それじゃ龍さんが必要ないみたいに……」
いつも自分のことしか考えてない。戦力にならなければ終希にとって家族であろうと邪魔者なのか。でも裏を返せば途中までとはいえ協力関係のある私の肩書きがなんであろうとも気にせず受け入れてくれるような気もした。それが十九人を殺害した狂人であっても、G型の村を滅ぼした所長の血族であっても、私自身が終希にとっての味方であればどうでもいい事だ。
「帰るぞ」
「分かったわよ、だいたい今日だって別に死にたくてここに来たわけじゃないわ」
濡れた肩を借りて立ち上がると終希は胡散臭そうな目で私を見た。
「少し声が大きすぎただけ」
驚くほどあっさり耳鳴りを肯定してしまったけれど、終希になら話せると思った。妹の声なんていう非科学的なこともちゃんと聞いてくれる気がする。もちろん明日香ではだめだ、あの子のような科学で全てを解決できると思っている子はオカルトチックなこれにも知識と数字で立ち向かえると思ってしまうだろう。これはチップとか化学とかで解決するような話では無い。
どこにも存在しない妹達の残留意識が私と和解しない限りこの声は響き続ける。そして、和解とは私自身の記憶が戻ることと死ぬことだった。そのどちらも心臓が握りつぶされる。
「どうにかするから、もう聞かないで」
「話もしないくせに俺を頼るなよ」
「私がいつ貴方を頼ったのよ!」
「俺が来なかったら帰るつもり無かっただろ馬鹿!」
濡れた髪から雫が飛び散った。そんなことは無いし治まったら帰るつもりだったのだが信頼されてないのかもしれない。でも、もし終希が来なかったら帰るのはいつになっただろうか。
「頼むからお前は死なないでくれ」
手を引かれて一歩踏み出すとやっぱり「死ね」と自分の声が聞こえた。しかし雨の音に消えそうな小さな叫びだった。終希の声の方がよっぽど強く、心に響く。
これならあの家にいられる。
「終希、大丈夫よ私は死なない。死ぬとしたら貴方のせいよ」
貴方が私を受け入れられなくなるまでは。でもその時は来ない。
体調は随分と良くなって、寝不足も頭痛も八割方消えていた。
声が聞こえないところにずっといればいいというのも一理あるが、そうすると気にならなかったはずの声が気になって二度と東京に帰れなくなってしまう。冬にここに来たからそれ以降声が気になってしまったのだ。
それにあの声は聞かなければならないものだ。自分の首を絞める行為だとしても、心のどこかでは妹達だけが苦しいなんて不公平だと思っていた。
「それと終希、私の心配もいいけど、貴方を助けたお礼をされてないわ」
「ああ、帰ったら作る」
「助けたお礼がオムライスだけでいいと思ってるわけ?」
「それでいいって言ったのはお前だろ」
久しぶりにふわふわオムライスが食べられる。二人笑って雨の中を歩いて帰った。
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