13 声 1
数時間後に目を覚まし、近くの沢で顔を洗って帰り、言葉を失った。家が明るいのだ。明日香が誇らしげに玄関まで迎えにきたので事情を聞き、思いっきり抱きしめてやった。その間も妹の声は止まず胃は荒れていたが、それさえなければもっと興奮していたと思う。電気があるって、なんて素晴らしいことなの。
食糧不足のために東京へ買い出しに行かなければならないと聞いた。これなら家から離れて少しは声の小さい場所に行けると思ったが、終希が気を使って家にいるよう言ってくれてしまった。確かに東京も東京で気味が悪いし会いたくない人も多いが、声の大きさはあっちの方が小さい。大して変わらないふたつを比べたところでどちらも辛い場所だが、どちらにいてもそこから逃げたいと思った。
終希がいない間は一睡も出来ず、一日二、三度吐いた。明日香に気が付かれないように外にいることが多くなり、ナイフ片手に山を駆け回り辛うじて知っている山菜を採ったり終希が仕掛けた猪罠を見に行ったりした。ほとんど収穫がなくても体を動かして少しでも気を紛らわせていないと、今すぐにでも首を吊って死んでしまいそうだった。絶対やらないけど。
ここまで来ても尚他人に相談しなかった。こんな耳鳴りどうせ私にしか分からない現象で、理解されることは無い。言ったところでまた戯言だと突っぱねられ、寝不足が原因だとかで眠れもしないのにベッドに強制送還される。睡眠導入剤で無理やり寝たとしても回復しない。
五日目の夜、ヘッドライトの小さな光が窓の外で一瞬煌めいた。やっと帰ってきた、と息を吐いたが、彼が来たところで何も変わる訳では無い。むしろ隠さなければならない人が増えて苦労する。
温かいお茶を入れたがなかなか玄関が開く音はしなかった。お喋りを楽しんでいたもののとうとう目を擦り始めて呂律が回らなくなった明日香をなだめて寝かし、冷えきらないお茶を飲み干す。私だって眠いのに、倦怠感と頭痛が酷くてとてもじゃないけど眠れない。
外を見ると白かった光は朱色に変わっていた。カーテンを開けるとこちら向きに座って焚き火をしているように見える。首を傾げ、何かあったのかもと研いでもらったナイフ一本をホルダーに入れて腰に提げた。ランタンに火を入れて玄関を開ける。
「終希?」
私が近づいたのに気が付かない終希にランタンを持ち上げて照らすと、ようやく顔を上げた。充血は、無し。
「大丈夫? また灰で動けなくなったのかと思ったわ」
「何でここが分かった?」
「こんなわかりやすい信号出しててわからない人いると思う?」
酷い顔をしていた。虚ろな目にほつれた髪で串に挿した肉を炙っている。瞳に映った火が少々黒ずんで見えた。きっと東京で何かあったのだろうとカマをかけると、予想通り治安の悪い返答が返ってきた。金という概念から教えた方がいいかしら。
他愛のない話に入り込んでいたが、突然目の前が風でしなる木のように揺れた。何とか続く会話を普通にやりすごしたが、目眩がどんどん強くなり、火花が飛ぶ。終希はいよいよ私の体調が悪いのに気がついてしまった。顰められた眉、いつもの「寝ろ」が飛んでこない。
目を釘付けにしている焚き火の燃えカスを踏み潰し、ランタンを終希の手元に置いて寝転んだ。少しも楽にはならないが立ったまま気絶するよりはマシだ。それより、終希を帰らせて一人にならなくては。
――他人を守りたいなら
うるさい、そんなことはずっと前からわかってる。私のせいで妹は死んだ。私が居るから東京の皆は楽しい話を終わらせなければいけなくなる。一人が好きな終希は私と私が連れてきた明日香に振り回されているし、明日香だってそう、あんな子供を戦いに巻き込むべきでも無いのだ。
――死ねばいいのに
黙れ。私にだって生きる権利がある、死ねと言われたからはいそうですね死にますねなんてなるものか。
有難いことに、ゆっくりとオレンジ色の光が遠ざかっていった。もう自分を偽る必要は無い。
世界中の人に嫌われてても、生きる意味さえ分からなくても、私はここに居ていいはずだ。他でもない私が生きたいと思っているから、理由なんてなくたっていい。
これ以上迷惑をかけないように一度声から逃げて立ち直るのを待つべきだろう。
立ち上がり、力の入らない足を引きずるように歩き始めた。三歩歩いて何も無いところでつまづき、気絶していたことに気がついてまた立ち上がった。
何も考えないようにした。頭が割れるように痛くて、さっき食べたばかりの串焼きを戻し、手探りで道を探して木に真正面から激突した。どうせ寝れないのだから休んでも良くなることは無いし、ここにいては悪化するだけだ。しかしあの椿の所なら。
目的なく歩いていたあの雪の日よりずっと楽なはずなのに、見えているゴールも夏の夜の涼しさも歩きやすい落ち葉道も全く有難みを感じない。寒い、真っ直ぐ歩けない。逆に、なんでここまで辛いのに……
「ッう」
急に頭痛が強くなり、思考が回らなくなった。ただ進め、生きるために逃げろ私。
「一葉……一葉!」
肩を揺さぶられ目を開けると、いつの間にやら夜が明けていた。明るい目の前に見慣れた顔がある。
「よかった」
「……終希」
起き上がり肩に置かれた手を払い除けて辺りを見渡す。高木の葉の隙間から漏れた光が水中のように揺れ、艶やかな葉がそれを反射していた。夏の音を引き連れて涼しい風が歩いている。
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