12 幻視
新しいナイフは確かに終希が絶句するほど大きい。
三本のナイフを手に入れて帰ろうと思ったところ、アクリルケースの中で夕焼けを反射する鞘を見た途端目が離せなくなっていた。どうしても欲しかったがケースは旧世界のものとは思えないほど硬く、素手ではどうにもならない。どうしたものかと悩む間もずっとこれを使う自分の姿に心踊り、廃墟からこぼれ落ちたコンクリートを振り下ろした時は動悸が止まらなかった。
一度呼吸を沈め、中指で柄に触れた。旧世界から保存されているとは思えない状態の良さだ。今度はしっかりと掴み、持ち上げる。
「重っ」
支えられるものの、思った三倍はあった。鞘を少しずらすと少しだけ茶色い斑点のある綺麗な刀身が現れた。そのまま鞘を投げるように抜ききり、両手で構える。輝きはやや失われているが、歴史の重さが刀にのしかかっていた。
「……でもいけるわ」
手に馴染む。壁の中のゲーセンで使った大剣と同じ重さ、少しだけ長細い刀身。
鞘に戻すと肩に担ぎ、急いで拠点に戻ったところまでは覚えている。あとはそのまま寝落ちしたのだろう。起きた時の終希の呆れ顔と言ったら!
帰る前に終希と戦うことになった。人に向かって武器、しかも真剣を構えるのはあまり好きじゃないけれど、終希は全力を出しても絶対死なないだろうという安心感と、逆に全力を出さなければやられるという緊張感があった。その緊張感が、ああ心地よい。
しゃがんだ終希の後ろ髪をギリギリ切り損ねた。峰に左手を当てて回し、斜めに風を切る。
飛び去って避けた終希は右腕で額の汗を拭い、笑った。笑われてもなぁ。
別に人殺しがしたい訳では無いし、むしろその逆だ。「お前はそういう奴だ」なんて訴えられてもそんなの終希の思い込みにしか過ぎない。確かに戦うこと自体は楽しいが、殺し合いを楽しんでいる訳では無い。
そもそも私がやりたいのは……あれ、なんだっけ?
終希の小さなナイフと私の身長ほどある大太刀がぶつかり合い、派手に火花が散った。と、剣筋が逸らされて手首を軽く捻ってしまう。その隙を狙われ、首に鉄の鋭い冷たさが掠る。
「貴方の勝ちね」
眉を顰められた。私の顔に何か付いていただろうか。
「お前さ、人殺したことあるの?」
帰りの道中、その質問をあえて無視した。
あまりに現実味がなくて相手にされないだろうと思い誰にも言ってないことだが、私には記憶が二十ある。ひとつは私のもので、十九は妹のもの。妹たちは全員死んだからそれまでの十二年間しかしかないが、私の記憶の十八年と比べて累計二二八年はとても多かった。その一つ一つは生まれてからずっと牢屋から出たことがなかったり同じ作業を七十二時間連続でさせられたりと辛く、その全てが殺されて幕を閉じている。
思い出そうとすることすら最近は避けている。どうせどの記憶を辿っても死ぬ未来しか無かったので、自分のものだという確信がないものには思いを馳せないようにした。それにあのいじめのような印象の大きい過去はほとんどなく、どの十二年を辿れば私だけの六年間に辿り着くのか分からないほど似通っている。どれも登場人物は私と同じ顔、同じ声の少女だ。特にH型全滅の日。全員がそこにいるのだからもはや誰が誰なのかわかったものじゃない。
その事件の記憶は妹を殺したか一葉に殺されたかのふたつしかないはずだが、妹を殺した記憶だけがなかった。これだけ妹に呪われているのに私にその実感がないなんて無責任と言われても仕方ない。
「終希は?」
「何が」
自分が振った話題をもう忘れている。全くもう、無言の時間もかなり長かったけど……。
「人殺し」
返答は無かった。ある方が珍しいのだ、このご時世。きっと終希は家族を殺されたのみで研究者を殺したことはまだないし、家族を殺したこともない。復讐のことしか考えてなさそうだけど、本来彼は優しい人のはずだ。
殺した時の記憶が無いからと言って同じだと思うことは出来ない。殺された妹の記憶にはしっかりと返り血まみれの私が映っていた。首にH-01の焼印がある、同じ顔の少女が。
――あんたはいつも逃げてばっかり
「っ!」
急に妹の声が聞こえた。道のはずれには艶やかな葉が陽の光を反射して輝いている。
よりによってこの人が出てくるなんて。H-02、
後退りして声が聞こえなくなるとそれから一歩も進むことが出来なかった。右手で大太刀の鞘を掴み、どんどん遠ざかっていく終希の背中に声をかけることすら出来ない。
楽しかった静寂はこの先には無い。耐え難い地獄が続いているに違いない。また亡霊に酷く罵られ死を願われる日々が。
「一葉」
冷たい瞳が私を見ていた。少し私の方に近づいて手を差し伸べかけたが、何を思ったか下ろして踵を返してしまう。ただ手を繋ぐのが嫌だったようにも見えるが、自分で決めろと言われているようにも思えた。
「行くぞ」
「うん」
行かない選択肢もあったのに、私はまた地獄へ足を踏み入れる。気の強い二葉に「馬鹿」と罵られても振り返らないようにした。大丈夫だ、今は刀があるし。
――あんたまだ気がついてないの?
何が。
――あの人。
終希がどうかした?
――いーや? 気がついてないならいいや。今の状況最高に面白いし。
どういうこと?
感じ悪い笑い声が脳を支配する。なんてことない会話だったが、何か私にとって都合の悪いことを知っているようだ。気がついてないとは、なんのことだろう。悪いけど記憶をまさぐるのは不愉快だからやらないわ。
「龍、覚えてるか。同居人がいたって言っただろ」
「ええ、亡くなったって」
終希から口を開くのは今でも大抵私に重要なことを伝えたい時だ。そうでも無い話題だったら伝えないで私があたふたするのも知らん顔することさえある。
亡くなった理由でも教えてくれるのかなと思ったが、いつものように十数秒沈黙した後出てきたのは「お前は死ぬなよ」という呟きだった。何かと思えば。
……終希、そんなこと言ってくれるの、貴方だけよ。いつかきっと貴方も私に「死ね」って言い放つのでしょうけど。
――思い出して、六年前の誕生日
二葉がつまらなそうに言い、誰かの記憶を引きずり出して引っ込んでしまった。交代したのは誰だろう、二人か三人の声が聞こえる。全員あの日と同じように憎しみを込めて「気持ち悪い」「死にたくない」「助けて」と繰り返した。やばい、死ぬ。口の中に血の味が広がり、頭が締め付けられるように痛む。
「先行ってて、ちょっと用事があるの」
精一杯の「普通の声音」でなんでもないように振る舞い、返事も待たずに森の奥へ駆けた。
「その日を思い出したくないのは貴女たちも同じでしょう……!」
終希がちゃんと先に帰ってくれているかなんて気にする余裕もなく、細い木の根元に嘔吐した。喉から胸に鋭い痛みが走って意識が遠のき、何も見えず聞こえない暗がりに落ちていく。体には全く力が入らなくなって、次第に体があるのかどうかもわからなくなった。馬鹿だなあ、記憶を辿らなければいいって分かってたのに。ああもう死を体験するのは懲り懲りよ……
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