7 同族嫌悪 1
一度だけ野宿し東京まで二日。一葉が通ってきた道は少々遠回りだが、中継器を回収するために枝が折れたところをなぞって行くことにした。最後の峠を越えると東京に近づくにつれて標高が下がっていき、だんだん灰が濃くなっていく。山の上より太陽の光が弱々しいが、植生に影響を与えるほどではないようだ。
灰は低いところに溜まりやすい。だから東京の方が家より視界が悪く、盆地にあるG型の村も山の上より少し灰が多かった。今でこそ上にいた方がまだいいと分かるが、旧世界の人間にはそういう発想をする人はさほど多くなかったようだ。どこも多すぎて濃度に明確な差がなかったとか、機械が灰を感知できず濃度測定ができなかったとかそういう理由だと言う。そんなわけあるか、と思ったが明日香の話を聞いた限り本当の事だったのかもしれない。
森が途切れるとすぐに外周のバリケードが見えてきた。バリケードとは名だけで実態はただのホログラムなのだが、不思議と東京人はこの外に出てこない。侵入者があっても警報が鳴るとか警備ロボが出てくるとかもない。最初からここを通って外に行く者がいるとは想定していないようだ。
バリケードの内側数百メートルはバラックになっている。そのうちのひとつに目星をつけて中に入るが、思った通り人の気配が全くなかった。壁には亀裂が入っていて、紙の剥がれた天井には蜘蛛の巣が張っている。薄暗い室内に寂しく置かれた机やソファには埃が被っていた。
真ん中に大きなヒビが走る学習机にリュックを下ろす。全体的に湿っぽい部屋は片付けられる前の自宅に近く、きちんとしなくても良いという開放感に溶け込んだ。
暫く上がっていた息が落ち着くのを待ち、腰ベルトにつけていた銃とナイフを上着の内側に隠す。こうしないと警備ロボットが飛んでくると助言されたからだ。更にリュックから取り出した黒いカードを胸ポケットに入れ、余計なものを取り出して机に置いた。明日香から貰ったこのカードは持っているだけでいいらしい。持ってさえいれば自販機でボタンを押すだけでものが出てくるのだと。
「……考えたくねえけど」
何となく嫌な予感がした。
廃墟を出てバリケードに背を向ける方向へ歩き出した。以前来た時と変わっていなければこの道を真っ直ぐ行けば無人の店が並ぶ商店街に出るはずだ。バリケードの近くは人通りが少なく、何をやるにしても都合が良かった。
「おうそこの金髪兄ちゃん! ……いや見ねえ顔だな……まあいいわ一杯呑もうや。あ? 若ぇな未成年か?」
と思っていた矢先、右側の路地から四十代程の男が一人で歩いてきた。人間に会うこと自体がそう無い体験でここでもまた銃を構えそうになったが、腰に手を当てるところまでで何とか思いとどまることが出来た。どうせ殺すが、他の人やカメラに見つかるわけにはいかない。理性が働いていてよかった。
さりげなく後ろ髪を左から前に流し、いい人を装って会話を返してやる。ついでに情報収集でもしようかも思ったのだ。
「いや、酒は飲める。なんか良い話でもあんのか」
どうやって人のいないところに連れ込むか、どうやって殺害してどうやって拠点まで連れていこうか、そう考えるもなかなか生身の人間相手に行動できそうにない。ここで躊躇っていては家族に顔向けできないのに。
「見る目あるなぁ兄ちゃん。名前は?」
「終希」
「いいねシュウキ! どっから来た?」
黒髪の、人の良さそうな男だった。笑うと細い目がさらに細くなり、薄い唇の端が頬の奥に引っ込んだ。
「向こうの……」
来たのとは真逆を指さし、言葉を失った。
バリケードを超えるまで見えなかった東京の中心、高く白い壁の上だけ空が奇天烈な色をしている。彩度の高い青色が天蓋を覆い、目がチカチカした。気味が悪いが、旧世界の資料に挟まっていた絵にクレヨンで描かれた空と同じ色だった。
灰が薄いのだとわかるまで少しかかった。だって東京の空が青く、山のが見なれた灰色なのは普通に考えて異常な事だ。研究所には灰の浄化装置でもあるのだろうか、いや……灰を視ることさえ出来ないのに浄化装置なんて作れるわけが無い。ならどうしてあんな色を?
「中央から来たのか? すげえなエリート様だあ!」
「そういうんじゃない」
彼は呆然と見つめる先に目をやることはなく、俺の顔を覗き込んで「すげぇなぁ、上級国民だぁ」と嘆息した。
覗き込まれては仕方なく男に目を移す。
スラムに住んでいるから、まともな一軒家に住んでいる人を全て上位存在だと思っているんだろう。しかし僻んだ様子はなく心から感嘆しているように見えた。なんて幸せな人なんだろう。落ち葉で足を滑らせて怪我をしたり、食糧が足りなくていらいらしたり、誰かを殺されたり、そういう不幸に一度もあってないような感覚麻痺した人間だ。
「あんたはここに住んでて嫌じゃないのか、差別とか、殺人とか、あるだろ」
尋ねると、彼は目を丸くして言った。
「んなもんあるわけねえだろ、東京で人命が関わるような事件が起こったのなんてそれこそ旧世紀の話だろうが。それにそんなん起こる前に警備隊がこうだ!」
頭から両人差し指を生やし、ガハハ、と笑う。
「……そうか」
スラム化するほど低所得か何かなのによく治安悪くならないな、と関心した。それ程警備隊のロボットは恐ろしいものなのだろうか。
「なあ、あそこは灰が無いのか」
やはり視界に入る青空に目を奪われ、つぶやくように尋ねると、彼は首を捻り、「なんつった?」と聞き返してきた。
「灰が無いのか?」
「はい?」
「ああ」
「ってなんだ?」
「は?」
中央に近いところから来た設定の俺が聞くのはおかしいかもしれない、と顔を引きつらせたが、彼はそれ以前の問題に直面していた。灰が分からないと言う。
「空が灰色になる理由」
「なんだそりゃ」
「……なんでもない、忘れてくれ」
心底軽蔑し、ハッとした。東京人はこんなにありふれているものさえ知らない興味無い馬鹿だと一葉で知っていたはずだが、随分昔の話で忘れていた。ああ知らないなら問い詰めても無駄だ、何も出てきやしない。
「お、おう……それよりあんた、ええとなんだっけシュウキか? あんた絵みたいな人間だなぁ」
もう一度俺の顔を満遍なく舐め回すように見ると、二度頷いて腕を組んだ。
「そんなに表情変わらんやつは初めて見たわ」
返事の代わりに首を傾げた。
今日はかなり嫌な顔をしたと思ったが、現れていなかったようだ。男に「笑ってみろよ」と言われてその通りにしたが、まるで変わってないとどやされてしまった。
いいんだ、お前らとは違うから。
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