6 疑念混じりな授業

 山に囲まれたこの地では、日が昇るのが遅いぶん落ちるのが早い。七月半ばの今でも夜の方が長くて日が落ちたら寝るという生活をする訳にはいかなかったので、ランタンが必須だった。しかしそれは昨日までの話。照明のおかげで昼間が延長されたような錯覚に陥る。

 研ぎ終えたナイフを二本渡した。鏡のように光るそれが白い印を映し出し、壁に天井にと忙しなく動き回っている。

「もう一本は結局どうするか聞いてないから何もしてないぞ。刀の方は後でやる」

「ええ」

 一葉は受け取った二本のうち一本は元の愛用刀を収めていた皮のホルダーにしまい、もう一本は持ったまま固まっていた。錆びていた時は指を押し当てても切れなかったが今はそうもいかず困り果てている。

 ナイフケースも作った方が良いようだ。当然買える肉なんて無いので野生動物を食っていたから、皮なんて裏に山になるほど捨ててある。

「気をつけろよ、マジで切れる」

「そう言われると逆に……」

 箱から紙を一枚とって開くと、「唐揚げ」と書いてある。しかし揚げ物をするほどの油はもう残っていなかった。

「どうすっかな……」

「私が作るわよ、前の卵のお詫びってことで」

 研ぎたてのナイフで俺が持っている「唐揚げ」を割き、切れ味に目を輝かせている一葉を睨んで手を離した。落ちた紙切れを拾った一葉はそれを更に刻んでいく。

 唐揚げはもう無しだな。

「今日の夕飯は俺の番だろ」

「貴方レシピ通りにしか作れないじゃない。もうそんなに材料残ってないでしょ? 買ってくるしかないかしら……東京まで二日かかるのに」

 後半の独り言は声が沈んでいた。

 料理と紙吹雪の片付けを任せ、一葉の番だった風呂掃除をやることにした。とはいえ別に汚い訳でもないのでブラシで撫でてすすぐだけだが。あとは水を浴槽に入れて入る時になったら下に薪をくべて沸かせば良い。

「お父さん、ご飯出来ました!」

 明日香が迎えに来て、浴室のドアから顔を覗かせた。裸足の俺と浴槽を交互に見て、軽く息を吐く。

「うるせえ」

「まだ何も言ってないです」

 洗い直し、と言われるのが目に見えていた。

 食事は野菜炒めのようなものだった。そこにあったものを適当に放り込んで炒めただけのようだが、味はしっかりと付いている。これがアレンジ、ということだろうが俺に出来る気はしなかった。

「物知りなんだってな」

 明日香が足をばたつかせながら顔を上げ、肉が噛みきれないらしく言葉の代わりに数度瞬きをした。

「お前研究所の人間だろ」

「はい、生まれも育ちも研究所の実験体です。なんでも聞いてください!」

 俺が研究所に恨みを持ってるのが分かっていないのか、飲み込んでから一呼吸空いて悪びれもなくそう言った。研究所の人間だと言うだけで湧き上がる殺気を抑えるために暫し目を瞑り、呼吸を整えなければならないほどに動揺している。

「じゃあ、灰について」

 全て答えてやるという自信が早々に打ち砕かれたように口を尖らせ、ややあった後「分かりません」と拗ねた。灰すら分からないくせに全て答える気になっているのもすごいな、と思う。

「灰は科学では正体が分からないことがほとんど証明されてしまっています。どんなしやく試薬にも反応せず、肉眼以外ではどうやっても見えません。しかし現に何万人も殺した毒ガスです、あることは確かなんです。

 灰は生き物の体に呼吸によって侵入し、細胞を殺します。その目的は屍肉を使って増殖すること……だと思います。宿主が死ぬと末端から高温で焼くように宿主を分解していき、終わり次第黒い塊となって空中に散らばります。最初浮いた時黒く見えるのは灰がたくさん集まっているからとも、生き物の最後の破片だとも言われています。そして空気中に散らばった灰がまた生き物の体内に……という感じです」

「現象は分かるけど科学的な解明ができてないってことか」

「はい」

 分からないなら分からないなりに詳しく教えてくれた。御伽噺のようだが、灰は宇宙や別次元から来た未知の物質かもしれないと言うのだ。研究所がずっと灰のことを知ろうとしていることや、そのための実験体だということも、箸を動かしながら教えてくれる。

「研究所は灰のしくみをかいめいして、安全な地球に戻すことを目的としています」

「灰の除去か」

「そうです。旧世界の生き物を研究所の地下で凍らせてるのは灰がなくなったら育てるためですね」

「俺たちが今食ってるやつも外に生えてる木も灰に勝ててるだろ、そこまでして灰を無くす意味あるか?」

 灰が危険な物質だったのは過去の話だ。一葉と明日香のような薬を持たない奴らは無理だが、東京の奴らや辛うじて俺は灰があってもなんの問題もない。薬を持つ生物がここまで大量にいるこの世界は灰と共存できているはずだ。

「無くさないとだめですよぉ」

「なんで」

「だって、こわいじゃないですか」

 よく分からないがこだわりがあるらしい。灰に馴染みのない清浄な空気で満たされた室内暮らしをしていたからだろうか。

「薬は?」

「それも同じです。灰の働きを抑えることができますが、副作用がなにか、どうして抑えられているのかわからないです。でも、薬がないと死ぬことだけは確かです」

 珍しく口を開かずにずっと黙って聞いていた一葉が一足先に食べ終えた皿をまとめて席を立った。

「そんなことより、食料問題じゃない? 明日買いに行くわ。あとの話は二人でしてて、私死をそんなに淡々と話す人の話聞きたくない」

 今の会話に感情が必要だっただろうか。生が尊いものだとか死が悲しいものだとか、そういう話はしていないだろう。

「俺が行く」

「貴方東京のこと何も知らないでしょ」

 呆れたような顔にありありと「行きたくない」と書いてあるようだった。一葉は今でも東京が嫌いなんだろう、実家だけの話ではないようだ。

「俺が一度も東京行ってないとか思ってんのか、買い物の仕方くらい知ってる」

「そうなの? お金は?」

「奪う」

 えぇ……という声がふたつ重なった。呆れられても、生体データと口座を連動させて決算する東京のシステムを情報のない俺が使えるわけが無い。俺にとって買い物とは生体データが登録されていないことを悪用して強引に扉をこじ開け奪うことを意味する。それを何度かやってもから問題ないだろう。

「お父さんの偽データ作るので待っててください……」

「別にいい」

「あった方が楽ですよ。予約して取り置きしておくことも出来ますし」

 どうせ俺に薬を取らせるつもりなんだ、罠にはめて帰って来れなくするようなことはしないだろう。


 などと思っていた時期が俺にもあった。

「あいつ研究所と繋がってんな……」

 東京への道中、ほぼ十キロおきに置かれた丸い球を片っ端から木や石に叩きつけ踏みつけて壊した。最初見つけた時は何かと思ったが、電波の中継装置だ。

 俺を始末するつもりで着いて来たのか?

 死に損ないの実験体を始末するつもりだったら毒でも盛れば良かっただろうに、一体何を企んでいるんだ。成功作として研究者に売り渡す? ならもう家が研究者に襲われていても不思議じゃない。

 帰ったら一葉にバレないように脅して聞き出そう。

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