5 二つ目の秘密
「相談ですが」
手招きした明日香に着いてキッチンを覗くと、最近の悩みの種が顕になった。ほとんど空の食料庫。今までの三倍の速さで無くなってきていることを考えると、持ってあと五日だろう。勿論山で何か採って来れば一月以上持たせることは出来るが、それではしばらく野菜中心になってしまう。日常的に走り回っている俺達には野菜中心の生活など言語道断、肉は絶対に必要だ。当然これが尽きるまでに東京に乗り込んで騒ぎを起こせるような準備はまだできておらず、少なくともあと三ヶ月分の食料は考えておかなければならない。
五日の間に俺と一葉で東京に取りに行くつもりだったが、そればかりやっていてはデカブツを研ぐ時間も火薬を作る時間もなくなってしまう。
「外でとってくることも考えましたが、それよりはかんたんに、そしてたいりょうに手に入れられる方法がいいと思いました。たとえば油、今までは種をとってしぼっていたようですが、それではひこうりつです」
「だろうな」
たどたどしく言う割には語彙力が高く、思考レベルも高い。そして、一葉に見せる無邪気な表情と裏腹に大人のような真面目さを兼ね備えている。つまり、気味が悪い。
「そこで」
「東京まで何時間かかると思ってんだ、それこそ非効率的だろ、人間一人で運べる荷物の量には限りがある。それに何回も往復すると怪しまれる」
「むう……先に言わないでくださいよぉ」
ただ東京で買ってきてください! と簡単に言っているのだと思ったが、まさか否定されるとは思っていなかった。これが子供の小さな頭で考えることなのか?
「お母さんはまだ帰ってきませんか?」
「知らねえ。あいつに知られたらまずいことでもあんのか」
「分かりやすく言うと、そういうことです」
実は、と口を開くと同時に玄関が開く音がした。
「おかえりなさい!」
話があったはずなのにそれよりも何よりも一葉に会いに駆けて行く。一葉が帰ってきたからもう話ができないというのは分かるが、だからってあからさますぎる。
ため息ひとつついてテーブルにポーチの中身をひっくりかえした。
拾った銃を分解して使えるパーツと手入れが必要なものとどうにもならないものを分けた。予想通りほとんど使える良い状態で、少しばかりサビ取りしたりバネを変えれば何とかなりそうだ。
用事を済ませて帰ってきた一葉は俺がしたのよりも遥かに明るい声で電灯を喜んでいる。そろそろこのうるさい日常にも慣れないと胃が痛みそうだ。
「一葉、持って帰ってきたやつ全部寄越せ」
「えっ」
急に明日香を撫でていた顔が凍った。ああ言葉が足りなかった、俺が人のものを奪う傲慢なやつに見えたのだろう。
「違う……研ぐから」
対人経験の乏しさ故の言葉不足が身に染みて、目を合わせることが出来ない。
「ああなるほど!」
玄関に戻って取ってきた武器は全部で四本。三本は今まで使っていたのと同じくらいのサバイバルナイフで、一本は何度見ても馬鹿でかい刀だ。ナイフは折り畳み式の一本を除いて裸のままホルダーもない。
「使えるようになるかしら。これとか大きさが良かったから持ってきたけど刃ボロボロだし」
言う通りうち一本は穴があきそうなほどボロボロに錆びて大きく欠けていた。欠けているところまで削れば使えるようになるが、そうすると随分小さくなってしまうだろう。
そこまで頑張ったところで出来上がるのは一葉の武器ではなく俺のストック。
「刃こぼれを完全に直さなければ大きさもそこまで変わらないが、当然切れ味は落ちるぞ」
「うーん……刃こぼれしてるとどうなる?」
「切れない」
「だよね」
切れても切れなくても痛いことには変わりねえだろ、というのは黙っておいた。
大太刀以外を持って勝手口から外に出て、紐のついた砥石を三種類湖に落とす。沈んだ石から小さな泡が上がっては弾けて消えた。これが灰の発生に、より身近なものでは家族が死んで黒い煙になっていくのと似ている。龍の時なんか特にそうだ、水死だったから。見つけた時には既に形を保っていなくて、揺れる上下の服から黒い泡が昇っては弾けた。
込み上げる吐き気に口を抑え、酸の臭いを湖のほとりにぶちまけた。空いていた右手で石を遠くに投げ、気を失っても良いように重心を湖から離れる方向へ倒す。しかし一葉に面倒な説明をしなくて済むように意識を保ち続け、ナイフの研ぐ順番を考えて心拍数を強引に下げた。
(更新中)
石に水が染み込むのを待つ間比較的マシな二本を手に取り、ヤスリで傷をつけるように錆を落としていった。すぐに銀色の光沢が現れ、湖に入れて振ると錆色の斑点が目立つようになってきた。
侵食が進んでいるところに合わせて更に刀身を短くしていくと不安になるほどカスが出てくるが、我慢して続行。ようやく全て銀色になったところで今度は刃を作る作業だ。
とっくに水を吸いきった一番目の荒い砥石を水から引きあげて木の板の上に置き、ナイフをそっと乗せ滑らせる。これからは角度を一定に保ちながら全体をひたすら研いでいくだけだ。
「でね、びっくりしたのは終希が花の名前知ってたことよ」
「お父さんが? お父さん意外と乙女心分かっているんですね!」
「ねー」
うるさい。リビングの窓が全て全開になっていて、二人のはしゃぐ声が全て漏れてくるのだ。
二階に移動したらしく今度が上から声が降ってくる。一葉はまた以前のように弾丸トークマシンになっていて、時々ものを動かす音が聞こえてきた。本の整理でもしているのだろう、また一から場所を覚えなければならないからやめて欲しいのだが。
砥石を一段階細かいものに変えてもう一度同じ作業を繰り返し、さらにもうひとつにする頃には雑音が気にならなくなっていた。
パサ、と紙が一枚降ってきた。見上げると明日香が窓から身を乗り出して手を伸ばしている。
「ごめんなさい、落ちちゃいました!」
本の一部だろう、ページが抜け落ちた本なんて文字通り腐るほどあるのだ。とはいえ全て一度は目を通したもの、もしかしたらこれの出処が分かるかもしれない、と目を落とす。
――灰による症状は生物の血液から採取した薬の定期接種でしか防げません。私が盗んで持ってきた薬はあと二本、一月分です。私とお母さんは必須ですがお父さんも安全のため打つことを推奨します。
お父さんには東京に行って薬を取ってきて欲しいんです。精製は10分、5000rpmで遠心分離し、上澄みを取るだけで出来ます。必要な量は一人0.5mlで、全体の0.01パーセントしか含まれていません。よろしくお願いします。
「てめえ……」
一葉に言えないことをこうやって伝えるのか。本のページに見えるようにやや黄色く塗られた紙に文字が印刷されていた。態々縦書きにして紙の端を虫食いのように破れさせるほど手が込んでいる。見上げると明日香が笑顔で手を振っていたので、舌打ちしつつ指で丸を作ってみせた。
それはともかく、内容だ。生物の血液が必要というのは分かるが、これはどうしても人間でなければならない。というのも、量がかなり必要だからだ。一度に必要な薬の量と血液に含まれる割合から逆算すると、薬一回分作るのに必要な血液は人間一人分となる。その辺の動物では圧倒的に量が足りない。
つまり、明日香は東京に行って「人を最低三人殺して薬を取ってくるついでに」食糧を買ってきてくれと言っているのだ。
一葉のチップが発動するのが一ヶ月おきだったのは薬を打つためで間違いない。つまるところ一葉は一ヶ月に一人の命を犠牲にして生きていたということになるが、知らなかったから今まで簡単に薬を打って生きてきたのであって、真実を教えたらやめてしまうかもしれない。
明日香は知ってても抵抗ないんだな。
「俺も死ぬ訳には行かねえし打つけど……」
刃の状態を見て仕上げに表裏数回石を滑らせ、粉を水で洗ってから服で拭くと見違えるような美しさのナイフが出来上がった。指令書に刃を当てると力を入れずとも勝手に切れていく。
「血を集めるためには……」
撲殺してから首を落として足から吊ればいいだろうか、と想像し、その絵面が酷すぎて眉をひそめた。本当に俺がやるのか? 一人も殺したことない俺が?
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