4 識閾

 誇らしげな一葉は長物を縦に抱え直し、空いた右手一本で梯子を降りてきた。呆れと驚きが閾値を突破し佇むしか出来ない俺を他所に一葉はやけに御機嫌な様子、犬であったら尻尾がちぎれていただろう。

「ねえ、凄いでしょう! こんなに装飾がしてあるんだから元の持ち主はとても立派な方なんでしょうね、どんな人なのかしら? 作った人にも話を聞いてみたいわ、例えばここの紐、腰に固定するものだと思うんだけどそれだけのためにこんなに凝った刺繍がされているのよ。どんな願いが込められているのかしら、気にならない?」

「落ち着け、黙れ」

 壁に立てかけられたそれは近くで見ると更に大きく見える。俺の身長かそれ以上ありそうだ。作られたのは恐らく旧世紀末期、でないと鞘まで綺麗に残っているはずが無い。実戦で使うような物では無く、物好きが作った何かの模造品だろう。実際江戸時代までに実戦て使われていたものはこれほどきらびやかではなく、美しいもののほとんどは鑑賞用であった。旧世界末期の戦争では遠距離武器、つまり銃が主流で接近戦でも短い刃の剣を使う。長く重たい近距離武器などなんの意味も成さなかったはずだ。

 俺たちが向かう研究所戦でも似たような戦い方になるだろう。浮かれているところ悪いが、大太刀など使いどころがない。こんなものどうすると呆れるその一方で、これを使う姿を見てみたいという好奇心もあった。

 刀に目を取られていた一瞬で一葉は頭からベッドに倒れ込み寝息を立てている。

「かず……はぁマジかよ」

 名前を呼んだ程度では起きそうもなかった。こうなったら俺の寝床は叩き起して奪うか、諦めて床で寝るか。

 懐中電灯の光をちらちら揺らしても寝返りひとつ無い。足を振り上げたが、最近の何かを恐れるように夜更かしばかりする姿を思い出し、渋々許してやることにした。

 ……同じ空間にいるのは気が引けたので薄い月明かりを頼りに梯子をのぼり、辛うじて立っている家の柱にもたれかかる。空に浮かぶ光はひとつしかなく、天を覆うほど充満した灰が見えるようだった。そして、灰になった家族達も。

 どうして俺はあの時、皆を置いてきてしまったんだろう。無理やりにでも手を繋いでいれば、どちらにせよ皆灰になる運命だったにせよちゃんとお別れができたのに。無惨に殺されていく家族達を置いて逃げた自分が憎い。


 夜明け、日が昇った直後に起きてきた一葉の目元からは隈が消えていた。久しぶりに良く眠れたとか、他にも短いナイフを数本手に入れたとか、この刀は博物館らしい廃墟のガラスケースを苦労して叩き割り手にいれたんだとか嬉しそうに話す。こっちの気疲れなど知らぬ顔で、今を全力で楽しんでいるように見えた。お気楽なことで。

「待て、つーことはそれ重要文化財じゃないか?」

「分かってるけど、私これ使いたいの」

 明るくなった部屋でもう一度その大物に目を向けると、奪われると思ったらしい一葉はそれを両手で抱えた。そういえば家のどこかに埋もれている図鑑の中にこんな感じの鞘を持つ大太刀があった気がした。確か最後の刀鍛冶の傑作で億単位の値がついていた、と少し悩んでから考えるのをやめた。どうせ旧世界の中に埋もれていたものだ、千年前とは物の価値が変わっている。……多分、上振れしている。ひっくり返る前に思考放棄してしまうのがいちばん良い。

「でも錆びてるの。研いでよ」

「俺が!?」

「他に誰がいるの?」

 刃物を研ぐことはできるが、包丁やナイフとは訳が違う。しくじったら世界最高級の文化財をダメにすることになる。一般人が手を出して良い代物ではないのだ。

「終希、東京では包丁とハサミ以外の刃物は使用も所持も禁止されているわ、特別許可を貰わなければね。でも刀は問答無用で絶対ダメ。すごいのは分かるけど今は価値はゼロに等しいの。分かってちょうだい、私が使わなければただの鉄ゴミよ。貴方なら価値なんて気にしないと思ってたけど、意外ね」

 危険なものは全て排除する、ということか。そんなことしてもどこかしらで怪我はするし死ぬ時は死ぬだろうがそういう話では無いのだろう。

「でもな……」

 復讐とは言いつつも、旧世界に興味を持っているのは事実だ。奴らがどうして実験をしているのか、灰とは何か、それらを知ろうとすると自ずと旧世界を調べなければならなくなった。

「とりあえず、使ってみてもいい?」

 一葉の言い分にも一理あるが使いこなせなければ諦めるだろうと思い、大通りだったであろう開けたアスファルトの上で一戦することにした。一葉は鍔の真下を両手で掴み、構える。俺は寸止めのできない銃ではなくナイフを五本ベルトに差し込み、一本を引き出して握った。

 先に動いたのは一葉だ。右足を軸に腰を落とし、肩から遠心力を使って振り回す。とっさに軌道の下に潜り込んで避け、距離を取ってナイフを握り直したが相手の様子を見るために投げるのは止めた。勝とうとするなら重心を持って行かれて動けない間に決めれば良い。

 しかし振り切った一葉はよろけることも無くすぐさま逆回しで一閃を放ち、ステップを踏んで距離を詰めてきた。反撃に飛ばしたナイフを身を捩って避けては更に踏みだし縦に振り下ろす。

「っ!」

 ナイフで受け止めようとしたがあまりの重さに軌道を逸らすことしかできなかった。

「わ!」

 逸れたことでようやく体勢が崩れ、空いていた右手で引き抜いた三本目のナイフを首元へ突きつける。

「あら……貴方の勝ちね」

 緑色の瞳と視線が交差した。この戦闘狂、楽しんでやがる。

 あんなに長くて重い武器を、自分の腕のように振り回している。認めるしか無かった。一葉はあれを扱える。

「なんで使えるんだよ」

「ゲーセンで練習した!」

 どんなゲームだ。それはそうと一葉が大太刀を使うということに関して文句を言うことは出来なくなってしまった。

「意味わかんねえ、つか研究所室内だぞ」

「邪魔になったら折るわ」

「お前言ってる意味分かってんのか」

「大丈夫、折られたことも刀の歴史になるでしょ」

「詭弁だな……」

 まあ、いい。戦力になってくれるなら手段がどうであろうと。それにあんなに楽しそうな一葉には何を言う気にもなれなかった。

 本と同じように、ここにあっても人の目に触れなければ細長い鋼でしかない。価値を気にするなら多少管理がずさんでも人の目に触れさせることが大事だろう、と自分を納得させた。


 それぞれのリュックやポーチに戦利品をいっぱいに詰めた帰路。東京にいる間壁の外に出ることも出来ず暇を持て余していたのでゲーセンに通っていたのだと話した一葉は、時折鞘からほんの少し出して錆びた刀身を見ては口角を上げている。

「お前さ、人殺したことあるの?」

「……」

 音を立てて鞘に戻すと、それきり黙って足を早めた。それが答えだった。

 一葉は絶対人を殺せず傷つけさえできないような人に見えたが、殺せるなら心配することは何もない。待っててくれ皆、もう少しであいつらを皆殺しにできるから。

 特に話すこともないまま木漏れ日の中を三時間ほど歩いたところ、見覚えのある景色が先にあった。

「……終希は?」

「何が」

「人殺し」

 言い淀む。本来戦力になるかどうか不安なのは俺自身なのか、と衝撃を受けた。例えば俺はこいつを殺せるだろうか、相応の理由があればできると思っているのは殺したことが無いからじゃないのか。命を獲った感触に怖じ気づいて逃げ出したりしないだろうか、俺の生きる意味さえ捨てて。

 考えながら歩いていたら一葉を置いてきてしまった。振り向くと灰に隠されそうな程遠くに緑と赤が見えたが此方に歩いてくる気配は全くなかった。

「一葉!」

 戻って腕を掴もうと手を伸ばしかけた。違う、こいつは俺の家族じゃ無い。助ける理由も義理も、無い。

「行くぞ」

「うん」

 それからは一葉は俺の後ろをついてきた。相変わらずずっと黙ったままだが息が荒くなっていた。疲れたのか、と振り返るがそういうわけでもなさそうだ。うつむいて目を隠し、赤いストールを暑いだろうに鼻まで上げて右手ではずっと背中に括った刀の鞘を握っている。

「龍、分かるか。同居人がいたって言っただろ」

「ええ。亡くなったって」

 そう言葉にされた瞬間、言おうと思っていた言葉が口から出てこなくなってしまった。以前だったらもっと簡単に死んだことを受け入れられていたと思うが、どうしてか胸が痛む。

「お前は死ぬなよ」

「……うん」

 話をすり替えてしまった。

「先行ってて。ちょっと用事があるの」

 振り向くと一葉は背中を向けて歩き出してしまっていた。一体なんの用事があるのか、だいたいもう家は見えるところにあるのだから一度荷物を置いて言ってからでも良いだろう、と思うのだが早足で森の奥に消えてしまったので結局追うのは止めた。

 家の様子が何かおかしい、と思うのは錯覚では無いと思う。よく知っている場所のはずが他人の家のようなよそよそしい雰囲気を感じさせている。

 数発だけ持っていた使える弾を銃に詰めてセーフティを外して握りながら恐る恐る湖に浮かぶ石を踏んで玄関に近づき、ゆっくりと開ける。

「おかえりなさ! ……なんだ、フィフ」

 明るい声が急にげんなりして真名を呼ぶ。はっと我に返ると廊下の向こうから顔を出した明日香が恐怖で怯えていた。

「お、おとうさ……ごめん、なさ……」

 にこ、と無理矢理笑顔を作っているその横の壁には今さっき俺が撃った銃弾がめり込んでいた。やってしまった、と固まっていると明日香があの、と言っておずおずとドアの向こうで何かのスイッチを押す。

 リビングが白い光で包まれた。セーフティをかけて靴箱に銃を置き、靴を脱いで家に上がる。玄関扉のすぐ横にある飾りもののスイッチを押すと廊下にも白い光が灯り、リビングに入ると昔家を見つけて二人で直したときのような明るさが戻っていた。

「やるな」

 小さな頭に手を乗せると明日香は小さな胸を反らして誇らしげに笑った。

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