3 新しい武器

 前を走る一葉に道を伝え、黙れば良いのに永遠と続く無駄話を適当にいなしながら峠を二つ越えた。だんだん億劫になり、相槌も打たず聞き流すことにしようとしたが、特に目新しいものもない景色に囲まれては他に考えることも無いので仕方なく聞いている。しかしそれは喋らなければ良いのにと思わずにはいられない内容の希薄さだった。あまりに内容が無さすぎて覚えていられないほどに。

 途中から草が少なくなり、地面には何百何千年分の落ち葉が敷き詰められていた。火事から逃げたときの、足を掴まれるような感触は同じだが、あれから何千日もそんな道を歩いていたらいつの間にかなにも思わなくなっていた。時が経ったのだと気が付いて忘れかけた嫌な感触を思い出そうにも、上手くいかず挫折する。しかし家族たちは着いてきてくれなかったのだという実感だけは湧いてきて意味もなく振り返るが、当然誰もいない。あんなに俺を気にかけていた龍ですら。

 「終希」と呼ぶ声で我に返る。「なんでもねえよ」と返し、霞む灰の中一葉を見失わないように歩く。忘れたわけじゃない、今の仲間があいつなだけだ。

 大昔だったら舗装路があったであろう細長くて平らな面を進んだ。当然これだけ落ち葉が積もれば道など跡形もなく埋もれてしまい、足音は柔い。

 両崖下が灰でよく見えない恐怖を与えてでも木々の間を縫って稜線を歩くよう指示したのは、急な斜面を歩くと転落しかねないからだ。少し滑るだけなら復帰出来るが、以前落ちたときは全身を打って暫く動けなかった。

「明日香はすごいのよ、植物も虫もなーんでも知ってるの」

 一葉は相変わらずうるさい。気が散って怪我すると伝えたが意味が無かった。

「例えばこれは……ええと」

 指の先に目を向ける。今はただの木だが、寒くなると赤い花を咲かせるものだ。あまり好きでは無いが、思うところがあって毎年冬になると自室の机の上で生けていた。

「椿だろ、山茶花サザンカじゃない」

「貴方花の名前なんて知ってるの? 意外だわ」

「そうか?」

「花なんて興味無いと思っ……」

 一葉の言葉が途切れ、急に立ち止まった。分厚い葉を茂らせた低木を見ながら駆けていたので危うく当たりそうになり、避けた時に足がもつれて広葉樹の幹に手をついた。

「おい!」

 一葉は謝る余裕も無く不安げに周りをゆっくりと見渡し、振り返って俺の遥か後ろの霞を見つめた。しかし目線の先を追っても何も気になる物は見当たらない。

「――」

「なんもねえだろ、行くぞ」

 一葉の声は小さく、俺の言葉とも被ってしまったのでなんと言ったのか分からなかった。きっと俺は聞き取るべきだったのだ、それ以来一言も話さなくなってしまったのだから。一葉は本当に必要最低限の、道案内を求める質問以外口を開くことは無く、あまりの急変ぶりを流すことなどできなかった。

「体調でも悪いのか」

「別に」

「……そうか」

 さっきだったら「ううん、むしろ元気すぎるくらいだわ。私森には何にも無いって教わってたから旧世界の遺産があるなんて知らなくて、」くらい聞いても無いことを多量に喋るだろう。こうして黙ってくれるのは非常にありがたいが、だからって急に態度を変えられたら何かあったんじゃないかと心配になる。何より不気味だ。

「静かなのって良いわね」

「お前が言うな」

 風の音やかすかな動物の鳴き声が聞こえる。大股で駆ける二人分の足音は静寂を破るほど大きく、そして速い。張り付いた横髪を後ろに回し走る一葉の足取りはさっきの何倍も軽かった。


 その後休憩を一度挟み、三時間ほどほぼ無言で大きな坂を下がりきると緑と霞に飲まれた廃村があった。目的地、沼津だ。

 度重なる地震によってビルが傾き、コンクリートが大きく割れている。木造住宅は風雨にさらされ蔦に締め付けられて朽ちたため大黒柱すら残っていない。コンクリートのものも四角い屋根を突破って巨木が生えており、穴の開いた金属板を天高く掲げているものもあった。

 しかし地上部の劣化の程度は俺には関係無い。ある程度頑丈な地下室が殆どの家に装備されており、そこに状態のいい資料が残されているからだ。

 一葉は初めての光景にただでさえ大きめの目を丸くしていた。

 これは事実旧世界が存在し、滅んだ証拠だ。なんの苦も無く暮らしていた東京人には刺激が強いだろう。

「日本の都市のひとつだ。戦前三万人がここに住んでいた」

「……そんなにすごい街だったなんて」

「大都市じゃねえぞここは。最盛期はもっといたらしいが」

 廃墟を見つめた頬に涙が伝っていた。そういえば一葉は歴史が好きなんだとか言っていたような気がする。連れてきて正解だったかもしれない。

「終希、今笑ったでしょう」

「……こっちだ、俺が使ってる拠点がある」

 余計なことを考えてしまった。息を吸って頭を切り替え、以前見つけた寝泊まりがかろうじて出来る場所に連れていくことにした。

 街に降りて十分ほど、コンクリートの短い柱で囲まれた更地の真ん中でしゃがみ、地下室への入り口を開けた。金持ちの家だったのだろう、他よりも強度が高く中のものも比較的綺麗に残っている。数年前ここを見つけた時に武器類を始めとする小物は全て持ち帰ったので今は寝泊まりするのに最低限必要なものしかないし、それも俺の分しかない。

 ひとつしかないベッドをかけて戦うしかあるまい。

「へええ、地下室なんて研究所以外で見た事なかったわ。どうして作ったのかしら」

 この街に来てから一葉はずっと辺りを見回しては寄り道したそうにしていた。新しいものに出会って興奮する様は子供のようだ。

「シェルターだ、灰から逃げるための」

「そ、そうよね……」

 気まずそうに目を落とした。黙ってリュックを下ろし、中から服や食料を取り出しまた背負った。床に畳んでおかれた洋服に飾りは無く、質も高くない。今着ている物も似たような雰囲気で、冬から変わったのは赤いマフラーがストールになったことと長袖が半袖になったことくらい。

「……こんな感じで地下室がある家が多い。好きなやつを見つけたら戻ってこい。盗んでも誰も咎めない」

「わかった」

 一葉はイメージトレーニングなのか右手を真横に二度振って出ていった。俺はナイフを投げる用にしか使っていないので、街には重めのナイフなら何本も落ちているだろう。気密性の高い地下室があったらもしかしたら錆びずに残っているかもしれない。

「日が落ちる前に帰って来いよ。なんも見えなくなるからな」

 手を振った一葉の背中を見送り、俺もポーチを整理した。新たな武器は必要ないが、弾を補充しておきたい。弾は一発だけにして他は床に並べ、代わりに手のひらサイズの円柱を入れた。地図を広げ、探索済みの丸がついていない場所を探した。今日は南の方へ行こう。

 地上に上がり、探索し尽くした地域を通り過ぎて最初は灰で見えなかった所までたどり着いた。拠点はもう見えないし、どこを見てもコンクリートと樹木の海でどこから来たのか分からなくなりそうだ。

 手当り次第元々扉があったはずの枠をくぐり抜け、色々な破片を踏みながら家の奥に踏み入れた。やはり地上部分はほとんど朽ちて何も残っていない。二階へ続く階段に足をかけると、小さな音を立てて崩れてしまった。うっかりコンクリートの下敷きになりかねない危険がここには溢れている。

 一方地下室の扉は頑丈に閉じられ、今でも鍵が機能している。

「仕方ねえな……」

 扉に筒を置き、テープで床に貼り付けて火をつけて走って家から出た。間髪入れず大きな爆発音と煙が上がり、屋根でくつろいでいた鳥が一斉に飛び立つ。

 戻って見ると二階建てだった建物は平地になって、爆弾の真下にあった扉は破壊されていた。瓦礫の下に太い枝を差し込んでテコの原理で持ち上げ、地下室への道を開いた。ぽっかり開いた穴から黒い煙が上がり、消えた。

 煙が収まったのを確認して覗き込んだ。煙の発生源はあの服だろう、さっきまで千年以上灰のまま閉じ込められていた人間の物だ。中から灰が出てくる地下室は珍しく、そして貴重だった。それだけ密閉性が高いということだから。

 金属製のはしごも、机の上の拳銃も綺麗に残っている。これは良い物を手に入れた、とマガジンと中に残っている弾丸を別々にしてポーチにしまった。机の引き出しを開けると更に多くの弾が残っていたのでそれも貰っていく。

 他の家も見て回り夕方拠点に帰ったが、日が暮れても一葉は帰ってこない。怪我をして動けなくなるような馬鹿では無いと思うが、何かあったのだろうか。

 真っ暗な中探しに行こうか迷っていると、ご機嫌な一葉が帰ってきた。懐中電灯で照らして道を示すが、浮かび上がった影は想像していたシルエットと大きくかけ離れていた。

「……は?」

「みて、かっこいいでしょ」

 右から左肩に長い刀を担いでいた。所謂大太刀と言う奴だろう、二、三千年前馬で戦っていた頃大男が使っていたという、あの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る