13 願いが届くまで
*
クソ、と口の中で毒づく。体に力が入らない。
灰の回りが思ったよりも早かった。想定ではまだ充血で済むはずだったのだ。半月前走れなくなり、一週間前には遂に杖無しでは歩けなくなってしまった。立とうにも足が頼りなく、自重を支える気力すら徐々に失せてきてしまった。あの時の叶と同じ症状。
しかしただでさえ衰える筋肉に拍車をかけるように引きこもってしまっては気が病む。そもそも一日中本を読んで勝手に終わるような毎日は本来俺には合わないのだ。流石に外の空気が吸いたくなって龍の好きだった場所に三時間かけて歩いてきた。
一葉を見た俺はまずその肩の上に目が行った。ホバリングする小指の先程の機械が俺を見ていたからだ。その瞬間、俺は裏切られたんだと思った。落ちたときは嵌められたと思ったから、一葉が俺を追ってくるわけが分からなかった。
しかし一葉は生きようとしていた。黒い海の中で道を示す光のようだった。
「……き、終希!」
嗚呼どうして、強くて、こっちまで足掻いて生きたいなんて思えてしまう。
「死ぬな! やることがあるんでしょ!」
声が出ない。体が動かない。息が吸えているのかも、心臓が動いているのかも分からなかった。
「やっと帰ってきたのに……」
胸に温かい物が触れたことで身体の感覚が戻ってきた。縋って、笑っていた。お前らしくないセリフだな。
「来てくれてよかっ……」
「え?」
信じていればよかったんだ。あんまり遅かったんで裏切られたとばかり思っていた。そんなこと出来るやつじゃなかったともっと前に知っていれば心配になることなんてなく、四六時中考えることも無く――
目を開けると目の前には広い灰色が広がっていた。すぐ隣から波の打ち返す爽やかな音がして、背中にはちくちくと砂が当たっている。
「おはよう、改めて久しぶり終希」
「……助かった」
左手をついて起き上がると、違和感に気がついた。いつもより体が軽いのだ。最近は怠さと闘いながら老人のように起き上がっていたが、今は少し気分がいい。
「薬を打ったわ。少し楽になったんじゃないかしら」
「薬……?」
「ええ。灰が効かなくなる薬、分かるでしょ。あとこれ。乾いたわよ」
潮でカピカピになった服が投げて寄越された。色も若干黒味がかっている。ただ、海から上がってきたのが嘘のように乾いていた。不快感はあるが濡れているものを着ているよりは良い。
俺は全裸とはいかなかったがほとんど身ぐるみ全て剥がされて、女物のコートがかけられている。ふと一葉の方を見ると、下着姿で枝にかかった服を回収していた。冬よりもさらに筋肉が着いていて、腹筋は割れていた。今の俺は灰のせいもあるとはいえ一葉よりも貧弱かもしれない。
「歩ける? というか……立てるかしら」
「舐めん……っ」
「意地張ってんじゃないわよ。肩貸すわ」
袖に腕を通しながら歩いてきた一葉は、立とうと足掻く俺の脇に頭を入れた。
「歩ける!」
「ああ、そう?」
砂の上に墜落した。上から笑いが降ってくる。
「てめぇ……」
心の底から嘲笑っている。差し出された手を取って引き寄せられるがままに立ち上がり、不承不承もう一度肩に体重を預けた。男性一人を海から引きあげてもまだ疲れた様子はないが、顔は歪んでいた。そりゃあ俺だって同じ立場だったらそうだろう。誰が好んで好きでもない奴を背負うものか。
「サンキュ」
「登りやすい場所は?」
「あそこの木の右側が比較的なだらかだ」
「分かった」
それでもかなりの急勾配だと言うのに、臆する様子がない。その体力が本当に羨ましく、そして仲間としては誇らしかった。
しかし伝わる体温は気持ち悪く、お互いなるべく接点を減らそうとして変な体勢で歩く。
「終希って左右の足の色違うのね」
「……よく気がついたな」
「ごめん。生まれつき?」
俺は右の足だけ、龍は左だけが他と比べて少し黒い。腿の付け根からなのでじっと見比べるか生え際の色の境目を見つけなければ分からないはずだ。……それ以上は考えるのをやめた。
「G型の実験だ。俺の右足は物心つく前に他人の奴に変えられた。こいつのおかげで灰の中でも生きられる」
「薬が作れるってこと?」
「少しは。だが少しだ」
移植だけでは足りなくて全員灰病にかかった。
右足を岩の上に乗せて、支えられながら体を引き上げる。色と機能以外は完全に自分のものになったこいつにはかなり助けて貰っている。
ただ、元の持ち主は生死の判別すら出来ないような状態で棄てられただろう。俺と龍の間にG-49という女子がいたらしいが、腹に縫合痕があったと聞いている。
「交換した? 何のために……」
交換ではなく全ての部位を他人に移植したのだが、黙っておこうと思う。必要なのは「灰に適応できない生命が」灰の世界で生きる方法であって、キメラを作る方法では無い。
「終希はさ、」
急勾配も終わり話すことも無くなって黙っていた道中、ぽつりと呟いた。歯切れ悪く少し哀愁漂う声音。東京で何かあったのだろうか。
「何?」
「ううん、なんでも」
「んだよ」
話の途中で止められるのは感じ悪い。何か言いたいことがあったから話し始めたんだろうが。
「終希って私の事嫌いでしょ」
「それが?」
「いや、それだけのことよ」
ふうん、と鼻を鳴らすと「安心したわ」と吐き捨てゆっくりと頭を引き抜いた。道ももう歩きやすくなって暫く経つ。いい加減自分で歩け、とイラついている様子だ。
薬が効いてきたのか、何とか立てた。しかし歩くとなるとふらつくので、一葉は杖になりそうな木の棒を投げて寄こした。顔面を狙って投げたなら相当コントロールがいいが、ごめ、と口から出たところを見ると手元が狂ったのだろう。
スタスタ先へ行ってしまい見えなくなった一葉を追って家の前まで辿り着いた。そういえば湖を見たのは初めてのはずで、家に入らず立ち止まっている。そして、隣には水色髪の少女がいた。
一葉が連れてきた、いや、着いてきてしまった研究所の手先だ。子供とは驚いた。
「G-50……呼びはフィフティですか」
振り向いたその子は開口一番そう言う。
「……」
「待って!」
銃を構えると一葉は両腕を広げて彼女を庇う。脇の下から覗く軽蔑の色をした目のスレスレに弾丸を撃ち込み、怯んだところを睨みつけてやった。
「二度とその名で呼ぶな」
銃声がやまびこする。こいつは早く始末しないと、全てが水の泡になる。そんな気がした。
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