5章 隠し事
1 侵略
「はぁ……」
「溜息をつきたいのは私の方よ、家の中に蟻の行列が出来てるのに今までどうして何も思わなかったの?」
黒い点々をひたすらテープで潰していく機嫌の悪い一葉を前に今日何度目かも分からないため息がついて出た。
毎日毎日しつこく「片付けろ」「掃除しろ」「散らかすな」と同じ内容を言葉を変えて繰り返し叱られた。しかしここは俺の家だから転がり込んできたお前が順応するべきで家主が居候に合わせるのは筋が違う。
明日香はキッチン棚をひっくり返して、手に取った殆どをゴミ箱に放り込みながら「片付けないとダメですよ!」と口を尖らせる。二人でいる時は未だに発砲されたことを根に持っているようだが、一葉がいるとやけに機嫌がよく、一緒になって俺を責める。
やってられるか。
俺はこの散らかった部屋に満足していた。服が放ってあっても問題無いし、そもそも床に置くことが汚いとも思ってもいない。片付けと称して変に荒らされる方が居心地悪い。歯痒さから逃げるため、置いたものがどこに行ったのか分からなくなるのも承知で自室に籠るか外に出るようになった。
生活が劇的に変わっている。
着いていきたくもない。
「お父さ、えと……」
「俺はてめぇの親父じゃねえ」
「ごめんなさい」
リビングから出ていこうとしたところを引き止められ振り向くと、明日香が肩を落としている。いつから俺はお前の親になったのかさっぱりだが、同じように「お母さん」と呼ばれている一葉は満更でもなさそうだった。
「でも、一葉さんがお母さんで、終希さんがお父さんだったら三人で家族みたいですてきだと思って……」
「黙れ」
意見を主張したいのに威圧感に負けてしまった明日香にとどめを刺すと、とうとう俯いて喋らなくなった。これでうるさいのが一人減った、というわけだ。
「終希、これよろしくね」
うるさい女のもう片割れが来て、抱えた本を渡してきた。前々から本の処分は委ねると言われているので一冊も捨てる気は無いと告げたら、片付けを押し付けられてしまった。こちらにはなかなか勝てないので、黙るのは俺の方になってしまう。
「そんなに冷たくしないで。明日香、何か言いたかったんじゃない? 怖がらずに言ってみて、終希が怒ったら守ってあげるからね」
一葉が綺麗になった床を満足そうに眺め、腰を落としては明日香と笑う。二人は親子というよりは年の離れた姉妹や友達のように見えた。その関係に俺が入る余地など全く無いのだ。
「……おふろそうじ、お父さんの番です」
水色の睫毛を伏せ、おずおずと口を開く。
「はぁ?」
「そうね、よろしく。お父さんって呼ばれて自分のことだってわかるんでしょ? だったらもう認めてるようなものよ」
「嵌めたなてめえ」
一葉が諭すように笑った。冬に会った時とは違って物腰柔らかになったが、知っているのとは違う一面が気味悪くて目を逸らす。散々嫌いだ出ていきたいと言わんばかりの顔をしていたのはなんだったんだ。
「お前はそれでいいのかよ」
話が逸れたのをいいことに部屋に戻ろうとしたが、結局風呂掃除をさせられてしまった。どうせ浴槽に浸かるのは女共だけなのにどうして俺が。
掃除中もやんややんや言ってくる女子に毒を吐き続け、生憎喉が痛くなってきたのでさっさと自室に戻った。ベッドに倒れ込み、ため息を盛大に吐き散らす。ここ数日は研究所の奴らや過去のこととは全く関係のないことで疲れが溜まっている。
明日香は嫌いだ。
一葉も嫌だが、あいつはまだ許せるところはある。命を助けて貰った恩があるし、そもそも仲間だ。しかしあのガキは気色悪い。ここに来た理由もよく分かっていない。
初日に「壁を壊したいんです」と言われ、一葉と壁を壊す理由だとか研究者を生かす意義だとか色々聞かされたが、それも胡散臭い。旧世界の全てが研究所の地下に眠っているのは確かに魅力的かもしれない。それを暴けば世界の発展に繋がるかもしれない、輝かしい旧世界を取り戻せるかもしれない。しかしたったそれだけのために奴らを生かす理由も壁を壊す理由も分からなかった。だって、自分のためじゃないだろう。
「いっぺん家族を皆殺しにされてみろ、偽善者が……」
ベッドに頭から倒れ込み愚痴をこぼす。
だるく重たい体が沈むのに任せていたら、いつの間にか眠ってしまったようだ。窓から差し込んでいた夕日は消え、部屋は闇に閉ざされている。両手をつき水から出るように起き上がると、伸ばしている後ろ髪が肩から前に流れ落ちる。
小窓の外で一番星ひとつだけが瞬いていた。
「……晴れるなよ」
いつもは灰が空を覆って月の兎すら見えない。
もう少し寝られればよかったのだが、耳に雑音が飛び込んできてしまった。毎日毎日こうだ、俺以外立ち入り禁止になったはずの自室に篭っても奴がうるさくて落ち着かない。
「一葉ァ」
唸るように起き上がると、一発殴ろうと思い半ば蹴破るように自室の扉を開けた。電灯の点いていない廊下を抜け、手探りでリビングの扉も見つけ、殴り開ける。わざと大きめに足音を立てて未だに起きている一葉に詰め寄ると、感想を混じえながら本を朗読していた彼女は肩を震わせて本をパタリと閉じた。明日香と心許ない発電機に配慮して部屋の電気は消していたが、燃料性のランタンをマスターした一葉は無敵だった。
「終希。まだ起きてたのね」
「さっさと寝ろ!」
胸ぐらを掴むと、条件反射で頬を殴られた。
「あっ、ごめん」
手を離して恐らく赤くなった頬に手を当てる。本気ではなかったようだが、あと数十分は痛むだろう。
「……寝ろ」
「ええ……まだ眠くないし」
昨日もそう言って、朝起きてきたら机で気絶するように寝ていたくせに。そんな睡眠時間でよく昼間活動できるな、と軽蔑する。俺にも眠れない時はあるが、一葉のそれは寝ないように頑張っているようにしか見えなかった。
「せめて黙れ。うるせえんだよ独り言がキチガイかクソ」
「……」
「聞いてんのか一葉」
冬に会った時はこんなに物音を立てるようなことは無かったと思う。よく覚えている訳では無いが、少なくとも毎日熟睡出来たのだから。
「ちょうど良かった、貴方に聞きたいことがあるの」
一葉はランタンを持ってキッチンに向かい、そこから何かを引っ張り出して皿にあけた。寝るつもりは無いし、俺を寝かせるつもりも全くないようだ。
「一言で終わらせろ」
「ええ。話が終わったら終希は先に寝てて、これは私が食べる用だから」
「寝ろっつってんだろ」
光を携えて戻ってきた一葉の右手から一粒奪い、口に放り込む。最近ツマミの減りが早いと思ったら一葉が毎夜食べていたのか。
「変な話だけど、聞いて。今から話すことが夢か現実かを教えて欲しいの」
向かいに座ってナッツ類とランタンをテーブルの中央に置くと急に真面目に話し始めた。
「東京の皆の態度が一日だけ違ったの。いつもは私を見ただけで目を逸らして避けてた人達がね、急に優しくなって……」
「馬鹿だろお前、寝不足だ」
夢と現実の判断すらできないのか。
それよりも一葉の言ったある台詞が気になって眉をひそめた。「私を見ただけで目を逸らして避けてた」という部分だ。首に印があるだけで東京中の人に避けられるのか。俺たちG型が他の人間達とは違う扱いをされているのだろうというのは察していたが、焼印があるだけでそこまで大々的に嫌われるとは思いもしなかった。たまにどうしてもここにない物が欲しくて東京の端までは行くが、無人販売所を利用したことしか無く、現地人の顔を見たことすら数度しか無かった。
叶の遺書に書かれていた「森を越えて東にある街へ行け」つまり「東京に行け」を無視して良かったと心から思う。叶は東京が差別社会なのを知らないからそう言えたのだ。叶は東京に行けばなんとかなると思っていたのだろう、自分たちが人間とすら認識されていないことも知らずに。
「よくそんなとこで生活できたな」
「出来なかったからここに来たのよ。ちょっと、話逸らさないでよ」
納得する一方で、ここをそう言う意味で頼られても困るな、と思った。この家は東京から逃げるための場所では無い。
「それで、貴方も夢だと思うでしょ、でも絶対現実なのよ。貴方と別れてから皆が変になるまでのこと全部覚えてるし、未悠も変わってたし、その後研究所に帰るまでの事もちゃんと覚えてる」
あまり聞く気はなかった。やけに現実的な夢は存在するし、そういう物に限って自分に不都合なことや焦るものを見せてくる。しかし冷静になれば夢だと分かるはずだ。
「しかもナイフはその時置いてきて、今ここにないわ。物が無くなってるのに夢ってことは無いでしょ?」
「は? 置いてきた?」
ナッツを飲み込み損ねて噎せた。
「落ち着いて」
ソファーで寝ていた時は両腕で抱きしめるほど大切にしていたあのナイフを置いてきた、だと。そんな簡単に無くなったことをどうして受け入れているんだ、しかも紛失したのではなく自分から置いてきた?
「ええ。ねえだから終希、あれは夢だったのかしら」
「落ち着いてられっかよ。お前さ、ナイフないくせにどうやって戦うんだよ」
無いならどこかで調達するか俺の物を分けるかしないと話にならない。ただ、俺のは投げるのには適しているが切るのには向いていない軽いものばかりだ。一葉は的を狙って仕留めるより的に近づいて破壊する方が得意だろうから、刃渡りのあるものか、もしくは殴ることを考えたものである必要がある。
となれば、旧世界の遺跡に探しに行くしかない。
「……終希」
「明日お前の武器を探しに行く」
「ねえ終希、話を」
研究者は皆細長かったので戦闘の素人だろうが、寄って集って来られたら流石に武器でもないと無理だろう。
奴らが放棄した未開の地には旧世界のガラクタがゴロゴロ転がっている。銃も刃物も各家に必ずひとつは遺されているし、かき集めて組み合わせれば今でも立派に使える武器になった。切れればいい、殴れればいい、という話ならもっと楽に手に入るはずだ。
「だから今日はもう寝ろ、ここ最近寝不足なんだろ」
「……はい」
ランタンを持って二階へ消えていく一葉を見送り、俺もようやく眠りにつくことができた。
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