8 種子

 六月下旬、あれから二ヶ月以上過ぎてからチップのシャットダウンやしばらく研究所を空けてもバレないような工作が終わったと連絡があった。同時に地下の鍵も開き、旧世界の遺産を見に行くことになったのだ。

「人のことをデータでしか見ていませんから、簡単に言えば死んだとか失踪したことにしてしまえばいいんです。ただ、私も一葉さんも所長が一目置いている人ですから、データだけでは怪しまれる可能性がありました。結果的に一葉さんは精神を病んで自殺、私は失踪したことになっています。それが怪しくないようにバイタルデータを弄るのに手こずりまして」

 隣を歩く明日香はお待たせして申し訳ありません、と腰を折った。それはいいのだけど、夜中にノースリーブのワンピース。見ているだけで寒い。

 この二ヶ月間、私は壁の中に閉じ込められ何も出来ずにいた。暇なものだから毎日のランニングに加えゲーセン通いが定着し、体力がかなりついたおかげで大剣を担いでも遠距離型の敵にも何とか勝てるようになった。

 日記の方は読みすぎて暗記してしまうほどだ。ただ、内容はというとやはり作り話のように感じていた。旧世界のものを見かけたことはなく、壁の中は狭すぎて灰を感じるほど景色が霞むことも無い。薬のおかげで不調を感じることも当然ないのだから無理は無いのではないか。

 とにかく、今日死んだことになっている私としばらく帰ってこなくて忘れられている設定の明日香は、真夜中に研究所裏を捜索することになった。いつの間にか少し仲良くなり、親切にも部屋まで迎えに来てくれた。終希のことをほとんど伝えていないのは、勝手にトラウマのことまで話すと悪い気がしていたからだ。

「ここを探し終えたら出発しましょう。あまり居座るわけにもいきません」

「ええ」

 歩きながらふと西の方へ目を向けた。終希は今どうしているだろう。二ヶ月以上帰ってこない私に怒っているだろうし、失望しているに違いない。送ってくれた時も非常に不安そうだったのだから。

「早く行かなきゃ……」

「待っている人がいるんですよね。どんな人ですか?」

 独り言だったのに、聞こえていたらしい。答えるために終希の人となりを思うが、なんだかあまりいい思い出がなかった。

「一葉さん、もしかしてG型の人嫌いなんですか?」

「そうね」

「食い気味ですね」

 終希とはただ同じ目標があるから手を組んでいるに過ぎない。仲間であることと好き嫌いは別のことだ。無愛想で攻撃的な冷たい人だとしても、一緒にいることで実験体の悲願が叶うならそれでいい。

 少しだけそこに最後の居場所を求めてはいるけれど、完全に信頼しているわけでもなかった。

「着きました」

 懐中電灯を当てると、南京錠を嵌めていた場所まで高くなった山の向こうにボロボロの扉が埋まっていた。明日香が隠したのだろう。

「開けてもいいの?」

「はい。鍵は解除しましたし開けてもバレないようにしました」

 ふふん、と胸をそらす。あまりに可愛かったものだからつい頭をくしゃっと撫でてあげると、嬉しそうに頬を染めた。

 ガラクタの山を押しのけ、取っ手に手をかけゆっくり引く。

「ねえ」

 ビクともしなかった。鍵が開いているのだからもっとすんなり行くと思っていたのだが。

「開いてます……多分」

 少し自信をなくした明日香が腰に手を当てたまま少し声を震わせた。ならば錆びているだけなのだろう、と思い直しもう一度手をかける。

「わかった、こういうのはね、無理やりやれば開くのよ!」

 バキバキ、と音がして扉が開いてくれた。

「やっぱり一葉さんって力で解決しようとするんですね」

「そんなことないわよ」

 考えた結果無理やりやれば解決することが多いだけのことだ。何も考えずにやってる訳じゃない。

 開いた扉を照らすと予想通り階段が下に伸びていた。打ちっぱなしのコンクリートが先まで続いている。

 中は初夏とは思えない冷たい空気が充満し、少し湿っぽくてかび臭い。上着でもあれば良かったとぼんやり思いながら前を行く明日香のあとを真っ直ぐ下って行った。

 ここが旧世界と新世界を繋ぐ通路だと言う割にはとても簡素で夢の欠片もない。しかしそれが逆に現実味を帯びていた。シェルターは教科書にあるような煌びやかなものでは無いのだと思い知らされて、あの日記にあった人々の姿が鮮明になっていく。

 二人分の足音が下と上とどちらにも反響してとても大きく聞こえてくる。壁に電灯は無くて、明日香の照らすところ以外は真っ暗闇に覆われていた。

 五分ほど下ると、下の方にうっすらと明かりが見えた。

「シェルター!」

「びっくりです……まだ動いてますね」

 立ち止まって耳を澄ますと、微かに機械音がする。とっくに放棄されたと思っていたらしい明日香は私と向こうを交互に見て、震える手で私の裾にしがみついた。

「どういう原理で動いてるんでしょう、だって上にはここを動かすシステムなんてひとつもないんですよ。箱舟がひとりでに動いてるとしか思えないんです」

 幽霊を見たような蒼白な顔が上目遣いで私を覗き込む。私が先に進もうとしても怖がって動かないので、仕方なく抱き上げた。

「わ、大丈夫です一人で歩けます!」

「嘘つかないでちょうだい。震えてるわよ」

「寒いからです!」

「貴方寒さとか感じるの?」

「いえ……」

 薄着の割に平気そうだと思っていたが、ほんとうに何ともなかったとは。しかしゾンビだと自分で言っておいて幽霊ですらない機械が恐ろしいらしい。少し重いなと思いながらスタスタ降りていくと、肩にしがみついて怖がりながらも興味があるように先を見ていた。

 目がよく見えるようになってきて、音も強くなってきた。ドアなどはなく、一番下を階段から覗き見るとそこには驚きの光景が広がっていた。ガラスケースの中にいくつもステンレスのような缶が並んでいて、それを旧型の騒音を撒き散らすロボットが観察しピッ、ピッ、と音を立てている。とても二百年、いや、千年間過ごす場所とは思えなかった。

 終希が自信なさげに言っていた「コールドスリープ」が現実味を帯びる。こんな機械だらけの密閉空間で生活できるわけが無いのだから、長い間ここで寝ていたと考える他なかった。

「ノアの箱舟ですね」

「どういうこと?」

 明日香を下ろすと怖がっていたのが嘘のように興味津々で空間を覗き込んだ。

「恐らく……様々な生き物の保存をしています。灰が無くなったらここを解放すれば、旧世界の風景が戻りますよ。今は必要最小限の動植物しかいませんが、旧世界はもっとたくさんいたらしいです。例えば、あれはPasser montanus……雀ですね。茶色い小さな鳥です」

 ほう、と息が出た。ここを作った人達が生きた世界は、そんなにいいものなのか。

「かつての人達はそんなに旧世界を取り戻したかったのね」

「それは少し違いますよ。研究所自体が今でも、旧世界の復興を目的としているんです。色々見て回りたいですが、ここは何も弄らず機械たちに任せましょう。壊してしまったら大変です」

 そこまで先まで考えていたんだな、と感心した。何とか生き延びようと他人を蹴落とした非道な人であることには変わりないが、まさか地球全体のことを考えていたなんて思わなかった。

「研究所が無くなったらここにいる命も全て失われるという事ね」

「そうですね。遺産を手放すなんてできません」

 私たちはそっと壁から手を離し、回れ右して階段を登って行った。やるべきことは決まった。最終的に終希を止めなければこの先の未来どうなるか分からない。

 終希をちゃんと止めないと。研究者を殺して誰もシェルターの解放方法が分からなくなってしまったらこんなに貴重なものが全て無駄になってしまう。やっぱり研究所は悪いことをしている集団では無いのだ、人間を人と実験体に分けて差別していることを除けば未来のことをちゃんと考えている。

 しかし研究所の肩を持つわけでもない。シェルターを見て、日記に書いてあったことが本当なのだと、研究者達はあまりにも多くのことを隠しているのだと実感した。この世界は嘘だらけだ。

「ま、待ってください……」

「まだ少ししか登ってないわよ」

 まだ十数段しか登ってないのに息が切れている。この先が不安だな、と終希の家に行くまでの道のりを思ってため息をついた。

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