7 地下
度重なる敗北にむしゃくしゃしながら部屋に帰り、椅子に座って日記を開いた。あんな目にあったのに、今はこれを読んでいるとなんだか落ち着くのだ。
灰の発生、死に行く人々、箱舟。次第に政府に逆らい真実を伝えだしたメディア。太古まで続く本当の歴史。
そして箱舟。終希が言っていた言葉を思い出した。確か「恐らくそいつらが研究所の初期メンバーだ」だったか……
「はじまりはここの……下にある」
地図を開くまでもなく、ここが旧世界で言う皇居、つまり「箱舟」だ。千代田区の大半を占めている特別な土地。無論天皇がいたのは旧世界までで、今は歴史だけが語られていた。壁の外の人達は少しくらいは名残があると思っているのだろうが、写真で見たような大きな堀も庭園も建物も面影すら無かった。完全に研究所に食われてしまったのだ。
旧世界の最後の人々は灰から逃れるために地下シェルターを作り、そこで長い間眠りについた。それが本当であるならば、見てみたい。
日記から顔を上げた。終希とまた合流したら、しばらくここに帰ってくることは無いだろう。とすると、確認するなら今しかない。壁のメンテナンスが終わったらすぐ出ていくつもりなので、暗いとは言え今すぐに行動する必要があった。
心当たりはひとつだけあった。研究所の裏、ストックヤードの奥にある扉だ。見た目はただの掃除用具入れだが、そこには触っただけで壊れそうなほど錆ついた南京錠がかかっていて開けたことがないのは明らかだ。
日記を閉じ、リュックの底に隠して席を立った。
振り向くと鉄格子と空っぽの隣室が目に入る。そういえば数年前はあそこに話し相手がいたっけ。子供の頃の記憶は曖昧で、友人の名前を覚えていないのが悔やまれる。
「一人でよかったわ、告げ口されないもの」
扉をそっと開き、足音を殺して階段を下り一階の研究室をスルーしてラウンジに出た。ラウンジの中は帰るつもりのない飲んだくれでごった返し、窓の外は街灯がついていて昼間のように明るい。この人達は生まれてからずっと壁だけを見つめて生きているから、すぐ室内に入りたがる。それが研究所だろうとただの居酒屋だろうと関係ない。圧迫感がなければそれだけで十分なのだ。
アルコールの匂いから逃げて研究所の外をぐるっと一周すると、裏手に先客がいた。
「明日香……」
「一葉さーん、こっちですよ!」
頭の上で大きく手を振っている。
「どうしました?」
地面をつま先でこすって腰を落とし、心臓が一番先に後ろへと動いた。まるで森の中で熊を見かけたときのように視線を外さずゆっくりと。だって私明日香に地下を探しに行くなんて一言も言ってない。
「なんで貴方がここに……」
「一葉さんの行動パターンから推測しましたが、ちゃんと当たってて安心しました。いきましょ、えっなんで逃げようとしてるんですか」
明日香は硬直する私の手を取って、また楽しそうに引っ張っていった。夜だと言うこととこの冷たい手によって私の中で明日香がどんどん不気味な幽霊になっていく。
「貴方本当に生きてる人?」
「あ、死んでます」
喉から高い音が出て、思い切り小さな手を振り放って胸の前で組んだ。何、死んでますって、そう言わなかった?
「死んでますよ。私達I型は死人を……生き返らせ? てはないんですけど……ええと、ゾンビですかね。余計なことに脳を使わなくて済むので、頭の回転が速いんです。でもあまり気にしないでください。ちょっと感覚がないだけで普通の人と同じです。それより早く行きましょ、私も旧世界のことが知りたいんです」
「そういうものなの……」
正体が分かってしまうと案外怖くない。実験体は言ってしまえばなんでもありなので、子供っぽくない理由も体温が異常に低い理由も分かってしまえば「そういうものだ」と受け入れられた。あとは彼女が敵か味方か、と言うところだけだが、なんとなく味方だと思っていても良いかなと思う。なんとなく、本当に直感だ。それほどあれこれ考えて頭を痛めるのにはうんざりしていた。
私は頭を使うのがすこぶる苦手なので、そこを一任出来るのであればとても嬉しい。学級委員をやっていたことなど所詮過去の栄光でしかないのだ。
「ここを出るにはまず、一葉さんの首のチップをシャットダウンしなければなりません」
「そうね」
「所長にばれないように出て行かなければなりません」
「そうね」
裏に回ると街灯の光は弱くなってより一層暗くなった。
何を捨てたらこんな匂いになるのだろう、ツンとした薬品の匂いと腐った肉の嫌な匂いが混ざって漂ってきた。鼻をつまみ顔を顰める私の前を何食わぬ顔で歩く明日香には面食らった。嗅覚が無いの?
「ありました」
捨てられたチューブやら注射器やらの後ろにある鉄の扉。下部が少し埋まっていたのでゴミを横に押しのけて埃を払った。他の扉は全て行き先を熟知しているのだからここ以外あり得ない。明日香もいるのだから間違いないだろう。
「ここに旧世界の遺産があるのね」
「はい。鍵を壊したいのですが、何か使えそうなものは……」
こんなに腐食が進んではもはや鍵の意味が無いというのに、この子は人力ではなんともならないと思っているようだ。神妙な顔で「どうしましょうか」と聞いてくるので、引きちぎってやった。おお、と感服するのが少し楽しい。
錆がついてざらつき臭くなった手で取っ手を引く。びくともしなかった上に、見慣れた表示がドアに浮かび上がった。青い文字でKeep Outと。東京の外から戻ってくるときに見た時は形だけの映像だと思っていたが、ここのものは本当に通れないように鍵がもうひとつかかっているようだった。
「本命の鍵はこっちでしたか……機密情報を隠すにしてはずいぶんずさんだとは思っていましたが……」
扉に手を当ててブツブツと何か悩んでいるようだが、パスワードがどうとか、そもそもの入力方法がとか、私が考えても分かりそうになかったので頭を捻るのは明日香に丸投げすることにした。頭を捻らなくてもなんとかなるかもしれない。
「てりゃあ!」
「わあ……」
傍にあったコンクリートブロックを頭の上から振りかぶり思い切りたたきつけてこじ開けようとするも全く意味が無かった。当たった場所にコンクリの傷がついただけで凹みすらしていない。
「一葉さんって機械が壊れたら叩いてみるタイプですか」
「え?」
正座でパソコンを立ち上げた明日香は浮かぶ文字列にうんうん唸り、やがて土下座するように頭を地面につけてしまった。
「無理です、開かないです……チップのシャットダウンとかもやっておくのでひとつきほど待っててください……あと叩いて直る機械は骨董品のみです……」
「ひとつき⁉」
「もっと長くなるかもしれないですぅ……」
開かなかったことが余程悔しかったようで、こんな所で座ってると風邪引くよと無理矢理引っ張っていくまで青い文字列を恨めしそうに見ていた。
とまあこんな感じで、私は雪が止み花が咲いてもまだ壁の中から出られなかったのである。
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