6 散歩

 少し苦くて薄いコーヒーを嗜み、明日香の話に耳を傾ける。子供らしいところは、床につかない両足をばたつかせ、たまに私の足に当てながらりんごジュースを飲んでいるところ。それ以外は今のところ何も見当たらない。当たった時はごめんなさい、と謝るが数分するとまたパタパタやるので届かないように椅子を引いた。

「私はあまり優しくないの。それだけは分かってね」

「ご、ごめんなさい……もう蹴らないようにします」

 蹴るのは別にいいのだけど、と思ったが許すとまたやりそうなので黙っておいた。少しだけイラッとしたのは些か強引だからだけでなく敵方の所属だからというのもある。

 責任という言葉を知らない子供を信用するなど出来なかった。意見がコロリと変わったりただのおままごとだと思っていたりしても不思議とは思わない。

「……質問してもいいかしら」

 だから、なるべく多くの情報を聞き出してここから離れるべきだ。

「はい、なんなりと。でも、私の質問に答えてくれたらですよ」

 しまった、と思う間もなく明日香は口を開く。

「東京の外は楽しかったですか?」

 さあ、なんの事かしら。という答えは許されぬようだった。イエスでもノーでもいいから、行ったことを証明しろと言っているのだ。こんな人の多いところで。

 そんな脅しに負けてなるものか、まだ二十歳にはなっていないけど貴女よりずっと年上よ。

「……外が知りたいなら自分で確かめればいいんじゃないかしら」

「ふぅん。じゃあそうします」

「え?」

 簡単に引き下がるので呆気に取られた。どうやら咎めたかった訳では無いらしい。その証拠にそっぽを向いていじけてしまった。

「次は一葉さんですよ」

「えっ、あーそうね。じゃあ明日香、灰って何?」

「ご自分で確認すれば宜しいかと思います」

 こいつ……

 目を見ると、しっかり拗ねていた。口は尖って頬も膨らんでいた。

「えへへ、いじわるはだめですね。灰のこと教えますね。東京の外のことはだまっていてもいいですよ、偉いので自分で確認します」

 ころっとイタズラな笑顔になる。しかし気にしていないわけではない。怒らせてしまった。

「灰は旧世界末期に生まれた物質です。死細胞を住処として増殖し、増えるために細胞を殺します。それが毒ガスと呼ばれる所以であり、旧世界が滅んだ理由です」

 急に大人顔負けの流暢な科学を語り出すこの子は、見た目が子供なだけで出来は立派な大人なのだろう。こんなにすぐ怒りを抑えるなど並大抵の子には不可能だ。

「だったら、」

「あ、人間には害ですが、薬があるので大丈夫ですよ。さっき一葉さんの右腕に入れていたのがそれです」

「知ってるわ」

「知ってたんですか⁉」

 妹に教えてもらったからね、とは言えなかった。それを説明するにはH型達に受けた呪いのことから話さなければならず、想像力豊かな子供といえど受け入れられるとは思えないし何より精神異常者になったと思われたら面倒だ。

 務めて無表情を保ちコーヒーに手を伸ばすが、考え事をする度に啜っているものだからもう無くなってしまった。飲む振りをしてコップの底に一滴だけ残った黒い液体を口に含む。

「一葉さんはおおかた、外で誰かに会って唆され、研究所に敵意を向けたのでしょう。そしてその人はG型の生き残りだった。違いますか」

「何故それを!」

 一度だって終希のことを言ったことは無いし、研究所だってG型は全滅したと思っているはずだ。どうしてそんなことを。

「図星でしたか。G型のデータが一部かいざんされていたので気になってたんですよ。この天才にかかるまでは誰も気がつけないほど高度なものでしたから。ええと……村の外に出られないようにする洗脳を解いて、あとは死亡したことになってます。ですから、生きているんでしょう?」

「……」

 背中を嫌な汗が伝った。全てがこの子にはお見通しなのだ。何を隠しても無駄だった。

 そして洗脳。

 チップはそれができるということだ。そのせいでG型達は死ぬとわかっていながら村を出ることが出来なかった。

 だったら私は私の意思で生きているのだろうか? こんな小さな子に丸め込まれてしまうのはこの首のせいかもしれない。

「あの……聞いてますか?」

 ロボットに新しいジュースを貰った明日香が心配そうに顔を覗き込んでいる。誰のせいでこうなったと思ってる? 絶体絶命、というかもはや詰んだ同然のことを聞かされて平気でいられるか。

「一葉さん何か勘違いしていませんか? 話聞いてなかったんですよね、もう一度言いますよ、私達は仲間です、この頭脳がお役に立つはずです、ですから、」

「ごめんなさい、少し休ませて」

 こんな時終希が居たら明瞭で斬新な切り口をくれるのだろうか。あの人はチップが無いから迷うこともないのだろうか。

「一葉さあああん!」


 あの後すぐに席を立った。頭の使いすぎで頭痛に苛まれたので外の空気が吸いたくなったのだ。窮屈で息の詰まる壁の中からも出たかったのだが「すみません……点検が終わるまで暫く開けるなと上が……」と二人の門番に押し返されてしまった。指されて見上げると壁じゅうに六本足のロボットがうじゃうじゃと集っている。大きくはないがあんな風に集まるとアブラムシのようで……すぐに目を逸らして見なかったことにした。

 外にいるとあれを思い出してしまいそうだったので、急いで壁内唯一のゲーセンに駆け込んだ。雨の日など外で走れない時はここで時間を潰すことが多く、あるゲームのトップランカーにもなっている。もっとも他のゲームは一切触ったことがなく、ゲーマーと言うにはほど遠い。

「アップデート入ってたんだ……」

 部屋のように大きく黒い箱にカードをかざし、プレイ料金を払うと扉が開いた。中に入ると全身のスキャンが始まり、アバターと自分の動きが連動される。スキャンの間にステージや武器を選択するのだが、いつも通りステージはランダムで武器は両手剣がセットされていた。

 システムメッセージに従って目を閉じ次いで開いたとき、私はファンタジー世界のレザー服を纏い、片手では三回振るのがやっとほどの無骨な剣を携えていた。この服や剣、それに転移したように明るくなった景色は、どういう原理かは興味ないが本物同然の質感と重さがある。

「えっなにあいつ……」

 よく知った旧世界をモチーフにした草原に立つ初めて見る敵に呆然と立ち尽くした。

「ねえこのゲームって殴り合いしか無かったんじゃないの!」

 キャッチコピーが「熱き肉体のぶつかり合い」であるはずの格闘ゲームに出てきた新キャラはあろうことかボウガンを構えていて、重い武器を引きずった私は一発も避けられずやられてしまったのである。

「あああああもうむかつく、何あいつの顔、馬鹿にして! リトライ!」

 両手剣を手放せば勝てたかもしれないが、意地になった私はそんな簡単なことも思いつかずその先も同じ手段でやられっぱなしになった。あまりに熱中していたものだから帰る頃にはランキング圏外まで落ちていたが、そのおかげで明日香のことを後回しにできた。

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