2 異変

 目を見開く私を見て未悠は口をすぼめた。

「一葉ちゃんいっつも教えてくれなかったんだもん。会えないからおうち行こうかと思ったのに、場所知らなくて困っちゃった」

 呆れて声も出なかった。未悠はあれを蚊帳の外で傍観しただけでなく、綺麗さっぱり忘れている。こんなに酷い話があるだろうか。

「知りたいなら他の人に聞きなさいよ」

「聞いたよ、皆知らないって言うから一葉ちゃんに直接……」

「そんなわけない!」

 つい大声を出してしまい、「ごめん」と反射的に謝られた。謝る意味は分かっていないようで、理不尽だとでも言うように眉を下げている。

「私はあの日のこと全部覚えてるわ。皆が何をしたかも、貴方が何もしなかったことも! 貴方達は綺麗さっぱり忘れてしまっているのでしょうけど」

 先生が家の場所が壁の中だなんて余計な事を言わなければ、というのが一番だが、もしもあの時未悠が助けてくれたらそれだけで少しは救われたのに。

 どうせ加害者達は子供の悪戯くらいにしか思っていないのだろう、勝手にこちらも気にしてないと決めつけるあたりが胸糞悪い。

「それ今関係ないじゃん」

「なんですって」

 そして人を怒らせるのが上手くなってしまったようだ。

「……うん、そうだねあの時はごめん。私怖くて動けなかった。でもね、私たちあの後反省したの。いくらなんでも言いすぎたって……だって一葉ちゃんは勉強も運動もできて、優しくて、皆の憧れだったから」

 目を合わせたままでいるとだんだん声は萎んでいき、最終的には口をへの字に曲げ地面を見つめて小さくなってしまった。よくできたでまかせのようにも思えるが、本気のように聞こえる。

「……そう」

 今にも泣きそうな顔を見ていると本当に悪いことをしているな、と罪悪感がある。私に会わなければ泣きそうになるほどの不幸に遭遇することはなくあの街で日常を送れていただろうに。しかし移入しすぎてはいけない、と首を振った。私には私だけの感情があるのだから。

「でも家の話とあの時の話は関係ないでしょ?」

「関係ないですって? 私が何のせいで……いいわ、まだ友達だと思っているのなら友達らしい言動をしなさいよ」

「えっ、じゃあ、ゲーセン行こ」

「嫌よ」

 何も分かっていないようで、寧ろ安心した。もう関わらなくて良いだろう。


「ついてこないでって言ったでしょう」

 街までの暗い坂を下る間、未悠は懲りずに私が学校に来なくなってから今までのことを話した。最初は皆私のことを嫌がっていたこと、新しい担任に怒られてから何も悪さをしていない私を家庭の事情だけで嫌うのはおかしいと気がついたこと、皆で謝りに行こうとしたこと、東京中を探しても見つからなかったこと。

 思っていたよりも非情ではなかったのだということが正直言って驚きだった。怖くても東京の端にまで足を踏み入れ探しに来るほどに悪いと思っていたらしい。ただ、

「家庭の事情?」

「うん、そうだよね、お母さんがいないことを皆……」

「はぁ?」

 これは私の頭がおかしくなったのか、未悠の記憶がおかしいのかどっちだろう。母が早くに他界しているのは事実だが、記憶に残らないほど幼いころで何も気にしていない。そうじゃなくてあれは家が壁の中にあるからだ。それ以外に東京中の人が私を拒絶する理由なんてありやしない。

「ねえ本当に家の場所知らないの? 渋谷にあるとか、墨田にあるとか、それくらいは分かるでしょ」

「知らないよ。だから東京中探したんだよ」

 開いた口が塞がらず、歩みを止めてつい振り返ってしまった。瞬きがないということは、本当のことの印。私の方が間違ったことを言っているような気分になってくるが、今回おかしいのは私じゃない。

「でもこれからはすぐ会えるから嬉しいな。どこにあるの?」

「あの日のこと忘れてる人と誰が会いたいと思うものですか」

 私の知っている未悠は気配りができて優しく、人を怒らせることなんてあの日までただの一度もなかった。それが、今では怒らせる以外何もしてこない。これも一種の虐めじゃないかと思うほどだった。

「えぇ……一葉ちゃんはそんなに意地悪な人じゃなかったよ」

「貴方もそんなに無神経じゃなかったわ」

「っ……⁉」

 ふん、もうついてこないだろう。いい加減私から離れて貰わないと、どうしたらいいのか分からなくなる。

 長い下り坂を終えようやく繁華街に出た。丸いボディにぐるっと突起が二本ついているロボットがふわふわと浮かびながら出迎え、目の前にニュースや近くの店のクーポンなんかを見せてくる。

 同じように肩に球を浮かべた人々は立ち並ぶ店の前を行ったり来たり、ふらついた足と赤い頬で大声を撒き散らし爆笑している。

「……なに、これ」

 入り口で立ちすくんだ。遠くを見ながら球を押し退けて邪魔な画面を消すと、偏見のない東京が目に映った。

 いつもだったら私を見た途端嫌な顔で目を逸らしそそくさと家の中に逃げ込んでしまう彼らが、今日は違っていた。私がいても生活を何一つ変えず、それぞれ好きにしている。あの事件以前の光景に戻ったのが嬉しいはずなのに、急すぎる変化に悪寒がした。

「未悠、これはどういうこと!」

「何かあった? ね、一葉ちゃんもお腹すいたでしょ。行こう同窓会。皆待ってるよ!」

「皆って」

「何言ってるのぉ、勿論同級生の皆だよ、なつかしいでしょ! そうだ、彼氏も紹介するね」

 私を一番に邪魔者扱いした人たちが全員揃って待っている、と信じられないことを口にした。いつも通り汚物だと思っていたとしても反吐が出るが、おかしな通行人と同じように私を邪険にせずむしろ好意を持っているなどというグロテスクな情景は想像したくなかった。

 東京でたった一つの汚点が私だった。私が人目のつかないところにいさえすれば街はとても平和で、異常なものなど何一つない清潔な暮らしを送っていたはずだ。それが、今は違う。散々私を除け者にしておきながら今更戻って来いと言われても、こんな異変だらけの街に踏み入れたくない。

「私は皆と違うのよ……」

「なんか言った?」

「別に」

 首に手をやり二歩後ずさりしてまた人のいない暗闇へ戻ったら、未悠に手を引かれ街へ戻されてしまった。

「行こ」

「……皆とは会わないわ」

 悲しそうな顔。ごめんね、と心の中で謝り人混みを縫って駅の入口へ歩き出す。あの人達を知り合いだとは思えなかった。

 今日の街には鳥肌が立ったが、一方で居心地の良さそうな場所にも見えた。だがもう戻りたくなかったし、例え戻りたいと思ったとしてもあの街にいてはならないと分かっていた。私は実験体で、皆は人間だ。

「そっか……残念、もし来たくなったら顔だしてね、私達いつもそこの店にいるからね」

 振り返ると旧友が笑顔で手を振っている。

「分かったわよ、じゃあね」

「バイバイ」

 手を振り返した。私は今、笑えているだろうか。

 さようなら私の大好きな、交わることの無い街。もし私が人間だったら友達になれた人達。

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