9 実験失敗

 イライラと業を煮やしているのが繋いだ右手越しに伝わる。まるで明日まで何も知らないまま皆に操られるままにいろと言われているようで腹が立った。俺は確かに末っ子で家族の中で一番の子供だが、それでももう十四だし、兄とは言うけれど龍とは生まれた日も同じだ。今までは龍も同じように子供扱いされていたから良かったのだ。俺だけが馬鹿な子供扱いされるのはおかしい。

 引っ張り返すと龍の体は反動で少しよろめいた。

「ねえいいから来て!」

「いい加減にしろ!」

 自分でも驚くほどの怒号で手を振りほどいた。左頬を殴り飛ばして、よろけた胸ぐらを掴み頭突きして至近距離で叫ぶ。

「俺をいつまでもガキ扱いするな!」

 前で杖をついてつんのめるように走っていたババアが振り返り、体重を支えられず尻もちを着いた。いつもだったら困っている人には必ず手を差し伸べていたであろう龍だが、ぴくりと動くことも無く目を丸くしている。

「知ってるんだろ、何が起こってるんだよ、何から逃げてるんだよ、どうして俺だけ知らねえんだよ!」

「フィフティ……」

 目を逸らして唇を噛む龍の顔がぼやけて見えた。

「俺だって家族だろ!」

 零れ落ちて刹那はっきり見えた親友の顔はまたすぐに滲んでしまった。

 皆は俺達双子のことをいつも末っ子として優しくしてくれて、どんな時も笑ってくれた。愛玩動物ではなく一人の人間として、家族としてだ。だから遠ざけられていたのは「子供には伝えたくないこと」があったからなのだ。龍がそれを知ることができて俺に出来ないはずがない。

「……ごめんフィフティ、そうだよね」

 サイレンにかき消されそうなか弱い涙声が斜め下に落ちた。

「隠し事をするのは辛いけど、言葉にしたくなくて全部は伝えられない……それでもいい?」

 龍はやっぱり仲間はずれや人が困ることを嫌い、皆が幸せになれる道を選ぼうとする優しい人だった。まさに今自分がしていることが親友を裏切る行為だと分かっていて、それでも隠さないといけないことなのだろう。

「……うん」

 信じて襟をゆっくり離し解放した。龍の代わりにババアに手を貸した兄妹が不安げな顔で俺達を見守っている。後ろからはサーティーンの「森へ逃げ込め」という誘導の声が聞こえていた。

「俺たちは今日、殺されるんだ」

「え?」

 人差し指が村の入口を指さした。家の影から出て見てみるといつもの白い人達が車で来たところだった。ただ、いつもの朗らかさは無く、大きな機材をいくつも広げたり腕時計を睨んで会議したりしている。とても気軽に出て行って話しかけられるような空気ではなかった。

「引っ込め」

「おわっ」

 グイッと腕を引かれて家の影に押し込まれる。掴んだ腕の主は赤ではなく青い髪、高い背と低い声。サーティーンだった。

「龍、少しは他人を頼れ。一人で抱え込むなって、な? 皆もいいだろ」

 俺に何かを言う前にまず龍の肩に両手を置いた。肩を力強く叩き、もはや涙がこぼれそうな目線に合わせて屈んで安心させようと目を細めた。小さく頷くのを見て頭をくしゃっと撫でると、立ち上がり、距離をとって囲む村の全員と一人一人目を合わせた。誰も俺に秘密を伝えることを「良い」とは言わなかったが、憂うように目を逸らして口角を下げては回れ右して一人またひとりと去って行く。それは「自分の口からは言えない」という意味を含んだ承諾だった。時が流れ無垢な子供が大人になるのを憂いているような――惜しんでいるような。

「フィフティ、落ち着いて聞けよ?」

 頷きぎゅっと口を結んで、しゃがんだサーティーンと目を合わせる。サーティーンは俺の両肩を掴み、一言一言揺らしながらしっかりと刻み込むように教えてくれた。ただ、その頃には視界からサーティーンと龍以外誰も居なくなっていた。

「この村は、今日無くなる。研究者が俺達を処分するために、全ての家を爆破する」

「……なんで?」

 言葉の意味が上手く咀嚼できず、ガキのように問う。何もかもを知っている龍はサーティーンの腕にしがみついて聞きたくないと繰り返した。

「最初からそのつもりだった。俺たちは人間に飼われていて、もう要らなくなった。知らないのはお前ら二人……いや、龍は昨日叶から聞いちまったんだったな。今まで隠しててすまなかった。この村ができた時まだ赤ん坊だったお前らにはこんなこと最後まで知って欲しくなくて、皆黙ることにしたんだ」

「……」

 仲間はずれにして欲しくなかったとも言わないでくれてありがとうとも思っている暇など無かった。「皆が今日死ぬ」という隕石のような言葉が後頭部を殴り、目の前から動かないでそこにいる。恐らく現実だと受け入れるまで思考を独占するのだろう。

「病の名前は灰病。治療法のある、空気が原因の死病だ。医者アレの言うことなんて全てデタラメだ」

「なんだって……」

 龍が絶句して顔を上げた。

「あいつらは薬を持ってるのに隠してたってこと?」

 二人の会話は耳に入ってはいるものの脳を通らず、意味の無い音としてしか認識出来なかった。

 今日皆死ぬ。死ぬというのがどういうことかなんてものは、もう何度も実感してきた。死んだ家族には何に願ったって祈ったって二度と会うことが出来ないし、どこか知らない所へ旅に出ているんだろうと妄想することも叶わない。そこに二度と動かない体があって最終的にはその体すら黒い煙のように消えてしまう所まで見ているのだから、もう生きていた頃には戻れないことは知らぬ間に刻まれていた。

「ああ。それどころか、あいつらは毎日薬を打ってる。そうしないと俺達よりも早く死ぬからだ……チッもう動き出したか。今すぐ村の外に逃げろ、道はわかるだろフィフティ」

「うん」

 さっきよりすんなりと足が動いていた。とにかく一秒でも早く村の外に行かないととても恐ろしいことが起こるらしいというところまで分かっただけでも足は動いてくれるものだった。自分の死を近くに感じると、反動のように生きてやるという衝動が胸の奥底から湧き上がってくる。それを原動力にいつもより速く走って龍の手を引いていた。

「薬はずっと前から存在していた……? 研究していると嘘ついて、実際は俺達が壊れていくのを観察していた? 俺達は研究者に生かされていたんじゃなくて、灰で死ぬまでを観察されていただけの実験動物だった?」

 うわ言のようにサーティーンの言葉を繰り返す龍の腕を強引に引っ張った。

「走れ、龍」

「……うん」

 皆で生きなければ。研究者への無条件の信頼は嘘のように消えていて、怖気をふるって逃げ出した。

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