8 村の真実
一時間も遅れて玄関が開く音がして、やっと一人の時間から開放された。いつもの「ただいま」を聞く前にはもう椅子から腰を浮かせて「おかえり」の準備をしている。しかし求めたセリフは無く、龍らしからぬ慌ただしい音がした。
龍は瞼を裾で拭いながら靴を脱ぎ捨て、俺の名を連呼しながらズカズカとリビングに上がり込んできた。いつもなら龍が文句を言いながらも並べるが、目の前には適当に脱ぎ捨てられた靴が四つてんでばらばらに転がっている。
「おしまいだよもう、どうすればいいのかわかんないよ!」
さっき俺がいた席の向かいに突っ伏して拳を机にたたきつける。それは絶望という字が最も相応しく家族が死ぬ度に幾度も見てきたが、そのどれとも違って悲壮感が全くなかった。
「何があったんだ」
もしかして、親友も病気にかかってしまったのではないかとヒヤリとして顔をのぞき込む。叶や他の人達とあれだけ一緒にいたらうつされていても不思議ではなく、むしろ今までなんともなくピンピンしていることの方がおかしいくらいだった。
だが龍の目はいつも通りの白だった。
「良かった……」
「良くない! フィフティ、俺たちは棄てられたんだ」
「はあ?」
消え入るような声で「お仕舞いだ」と涙を落としながら席を立った。どんな体勢をしていても落ち着かないようで、部屋の中を行ったり来たりしてはソファにもたれかかったり台所に立ってみたりといつもの行動を不完全に模倣している。
赤目になった訳でもないし、誰かが死んだという知らせは聞いていない。ともすれば叶と話していた時に何かあったとしか考えられなかったが、大切な話が俺のいないところで進んでいるのが不愉快に思えた。
俺は遊ぶこと以外について考えるのが好きではないから、難しくて退屈な話題には入ろうとも思わない。でもその延長線でわざと俺に隠していることがあったのかもしれない。真剣な話をする大人たちや兄姉達が、俺の姿を見て微笑み「なんでもない」とその話を終わらせることなんてざらにあった。
でも龍はそんなことをしない人だ。家族の中でも特に腹を割って話せる双子の兄だから、頭が痛くなるようなことも理解出来ないなりに聞いていたし、龍も俺の話に合わせてくれた。龍の話は頭が痛くなることも多いが、それでも少し楽しかった。龍もそう思ってくれているようで、どんな小さなことでも噛み砕きながらとりあえず俺に話してみる。
「なあ、何があったんだよ」
こんなことを言わなくたっていつもなら事細かに事情を説明してくれるのだが、龍は失望したようにじっと俺を見て口を閉じてしまった。
「龍、何が……」
「お前が羨ましくて仕方ないよ!」
龍は目を合わせないように俯きながら吐き捨てて自室に内側から鍵をかけてしまった。取り残された俺は何があったのか手探りで考えたが一向に答えが見つからない。形容しがたい恐怖に怯え、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
次の日になっても龍は部屋から出てこなかった。いくら声をかけても放っておいてくれとしか返ってこなかったし、朝食の時も自分の分を持って引き篭ってしまった。しかし龍の目は赤くなっていないし、自分の目もいつも通り。
朝食を片付けてすぐに叶の元を訪れた。叶は話してくれるに違いないと縋るような気持ちだった。どんなに頭が割れるような難しい話をされたとしてもいい。一番の親友で、一番仲が良く一番歳の近い兄のあんな顔は見たくない。
ドアを開けると目の前に色とりどりの箱が目に飛び込んできた。一日経ったのに手付かずのプレゼントが机に整然と並べられていて、黄色い花は皮肉のようにベッドに一番近い場所に置かれていた。遺書はどちらも棚に戻されているようで、引き出しはしっかり奥まで押し込まれていた。
「叶」
「……そうか、龍は黙っていてくれたのか」
俺が聞く前にそう言った。
叶が龍に黙っているように言いつけたようだ。その証拠に秘密を知らない俺一人だけが現れたことに安堵している。
「どうして隠すんだよ」
ただ悲しげに微笑むばかりで何も言ってくれない。ずかずか部屋に上がり込み、枕元に手をついて上からのぞき込んだ。
「どうして俺だけ仲間外れにするんだよ!」
開いた目と目が合った。真っ赤に染まった目からは血が出ていて、涙と混ざりあった液体が目尻から耳の横を通って黄色い髪を赤く染めた。どうしてか、笑っている。まるで隠すことが美徳であると信じているように。
「お前が好きだよフィフティ。皆お前のことが大好きなんだ。愛しているよ」
「何の話だよ……」
欲しかったはずの単語に欲しい意味は乗っていない。何も聞かなかったことにして次の台詞を待ったが、やはり教えてくれなかった。
「フィフティ、手を貸して」
いつも通り起き上がろうとする叶の背中に手を差し込み、あまりの細さにゾッとした。骨ばった肩甲骨にやや低い体温。いつもはこんなんじゃなかったはずだ。叶は確実に死に向かっていた。もうじきほかの皆と同じように眠るように目を閉じて、それきり二度と開くことはなくなってしまう。
「嫌だ」
そう思った時には既に言葉となっていた。
「死なないでよ、叶」
叶だけは、せめて叶だけは。違う、叶と龍と俺の三人だけはいつまでも隠すことなどなにもない対等な家族として一緒にいたい。
座った叶の針金のような太ももに目がいった。これではもう歩くことはおろか立つことすらできないだろう。視界がぼやけて、無地の淡い水色のズボンに不規則な水玉模様が描かれていった。
「泣くな、らしくないぞ……黙っていてすまなかった。明日教えるから、今日は我慢してくれないか」
「……嫌」
優しく頭を撫でてくれる指は骨張ってゴツゴツしていた。無機質な細い腕に頭が引き寄せられて、ほとんど平らな胸に抱き寄せられた。冷たい。しかしまだ鼓動は聞こえる。
「……さあ逃げろ。生きるんだ」
肩を押され、強く凛々しい声が耳元で響いた。
「え?」
突然聞きなれない不協和音が村中をビリビリ揺らし、顔が引き攣った。恐ろしい警戒音が心をかき乱し怖い。窓に駆け寄り窓枠をしっかりと握り締めて目を凝らす。
「な、なに?」
窓を開けて身を乗り出すと、今まで家の中にいたはずの人がおぶられたれたり杖をついたりして外に出てきていた。皆不安な顔でキョロキョロ辺りを見渡しては、逃げろ、逃げろと必死の形相で叫んでいる。
「行け」
「叶、これどういうこと?」
下から「フィフティ! フィフティ!」と俺の名を呼ぶ声が届く。見ると恐怖に追われたような酷い顔をして走る龍がいた。
「フィフティ、行くんだ」
「え、うん」
訳が分からず言われるがままに家から出た。入口を避けて外側へ向かっていく人達に逆らい、龍の元へ走っていく。
「龍」
「フィフティ! 良かった……もうどこに行ってたんだよ」
俺の顔を見てほっとしたようだが、それでも昨日からの青ざめた顔色は更に悪くなっていた。
「話してくれよ、何があったんだ?」
「……逃げるぞ」
有無を言わさず右腕を掴まれてぐんと引っ張られた。鳴り響くサイレンが頭の中をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
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