6 小さな決心
食後すぐに家を出て、もう一度同じ道を通って花壇に戻る。今度は片手にコップを持ち、水をこぼさないようにチラチラ見ながら走った。もう一度挿した黄色い花が今度こそ元気に咲いていることを確認しながら叶の家を訪ねた。
龍が玄関先で待っていた。しかし様子がおかしく、口をぎゅっと結んで足元を凝視している。どうした、と聞いてもただ首を振るだけで何も答えてくれなかった。
玄関を開けた瞬間素っ頓狂な声を上げてしまった。まさか扉の向こうに人がいるとは思わなかったのだ。びっくりした拍子に龍にぶつかり軽く手を上げて謝るが、龍は何も言わなかった。
先に家を訪ねていたのは青髪の背の高い青年、サーティーンだ。お祝いとお見舞いを終えて帰ろうとしたところで、靴べらに沿って足を差し込みつま先で地面に叩いていた。
「持ってあと数日だな……」
靴べらを置いても顔を伏せたままだ。サーティーンの目は最近ずっと赤く、先日「俺もあと一、二ヶ月だな」と笑い飛ばしていた。村の家族の中ではまだ元気な方だが、赤目ということはこれから動けなくなるということだ。もう元気なのは二人しかいないけれど、そんなこと認めたくなかった。きっと薬が見つかって皆元通りになってくれる。
「頑張れよフィフティ、当たって砕けてこい」
「なんでだよ!」
「あ、ねえサーティー……」
龍の言葉が聞こえていなかったのか、サーティーンは灼熱地獄に出て行ってしまった。階段を上る龍の足取りはいつもより重く、誕生日という素敵な日を祝福するどころではなさそうだ。
色んなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。今日は朝からいい話がひとつもなく、むしろ悪いことばかり起きている。直視したくない現実も先の見えない未来も、目を逸らした先にまで迫っていてはもはや見るしか無かった。
ただ一つだけ明るい話が残っていると言えば叶の誕生日であるということだけ。いつも強く凛々しくそして明るい叶と会うことしか救いがない。
「なあ、そんな暗い顔すんなよ」
「……うん」
励まして笑いかけると、ずっと俯いて青い顔をしていた龍が口角だけでも上げてくれた。こうやって明るい笑顔がまた村中を満たせたらいいのに。
階段を上がって右手の部屋が寝室だ。あまりに人が通るから、玄関から階段を通って寝室まで向かう道だけ廊下が皆の靴下で磨かれていた。
「叶、起きてる?」
俺達の仲なのに律儀にノックする龍を置き去りにしてドアを開ける。押したドアと壁の隙間から見えた部屋はいつもより飾りが多く華やかだった。菓子包や手紙もあるし、なにより花が多い。いつも感じていながらも目を逸らしていた寒々しい死の空気は賑やかなプレゼントの数々に払拭され薄れていた。
龍がレースカーテンを開き、布で窓を綺麗に拭いていく。しつこい汚れを見つけたのか目を見張ってピタリと止まり、シャッと音を立ててカーテンを閉めた。窓掃除が終わると、今度は棚の上や机の上を、プレゼントをひとつひとつ退けながら丁寧に拭き上げ、畳んでドアの傍に置く。
「すまないな、毎日わざわざ来てくれて」
叶はベッドの上から起き上がることも無く、目線だけがこちらを向いていた。強く凛とした声はどこかへ消え、喉は掠れた音を出している。しかし口調だけはずっと変わらず、背筋を伸ばして立っていたあの頃を思い出させた。
「しかし今日は特に来客が多くてね……疲れてしまって起き上がれそうにない。構わないだろうか」
頭の中は「今言わなきゃ、でも欲しい答えが返ってこなかったらどうしよう」としっちゃかめっちゃかで、返事をしていられる余裕はなかった。それでも勇気を出し、コップに活けられた花を持って枕元に立つ。言うならばサーティーンに背中を押されその気になっている今しかないと思った。
「うん。あのさ、叶、俺……」
「誕生日おめでとう」
え、と隣を見る。今生一番の勇気を遮られてしまった。手に持っているのは一冊の本。見た目は小説らしいが、なにも俺を押しのける必要は無いだろう。
「ほらフィフティ、お前もプレゼントあるんだろ」
伝えたい言葉は言えなくなってしまった。逃してしまったから恐らく、一生言えない。
「……おめでとう」
龍が邪魔しなければ言えたのに、余計なことしやがって。当の本人は目を逸らして気まずそうに俯いている。
「ああ、二人ともありがとう」
布団の中から細い腕を出して受け取ったのは本だけだった。それに、叶は元気に咲いた黄色い花を見て申し訳なさそうな顔をする。
「フィフティ、それそこの窓から見える花壇から取ったんだろ」
「えっ」
「やっぱり気がつくよね……」
龍がさっき掃除したばかりの窓を見た。ここから見えるなんて嘘だろ、と窓枠に手をかけてガラスに額を押し付ける。
花壇には色とりどりの花が咲いていてまるで別世界の様だった。昨日までは。
正面の家では、右手に持った花の、首から下がみっともない姿で一列に並んでいた。花壇は荒らされそこから足跡が点々と続いている。
あれらは家からでも見ることができるように並べられているのだとこの時初めて理解した。叶が倒れて世話する人がいなくなったはずなのに尚咲き続けているのは花の生命力が強いからでは無い。少しでも活気をつけたいがために誰かが水をあげて一日でも永くと延命させているからだ。よかれと思ってやったことが裏目に出てしまった。
「ごめん……」
喜ばせるどころか失望させてしまって心臓の辺りがぎゅうっと痛くなったが、同時にそっと「言わなくてよかった」とほっとしていた。首から上だけを持って好きだと伝えても一方的に押しつけるだけだ。
「ごめん叶、もっと早く気がついていればよかった……咲くの楽しみにしてたのに」
俺の代わりに龍が謝っている。俺は悪いことをした人に成り下がっていた。
「まあいいさ、起き上がらなくても見れるようになったのは嬉しいことだ、こんなに綺麗に咲いていたなんて知らなかった。そこなら見える、置いといてくれないか?」
苦し紛れのフォローが胸に刺さる。
空気にそぐわない底なしの明るさをまき散らす花瓶を言われた通りプレゼントの山が出来上がった机に置くと、特別なもののはずなのに数々のプレゼントに紛れてしまう。叶にとって俺は特別な人ではなく、数多くいる家族のうちの一人でしかないんだと気がついた。
返事は聞かなくてもわかってしまった。叶は本を裏返し、あらすじを黙読して「龍の好きそうな話だね」と笑う。
「フィフティ、君も本を読むといい」
「うん」
今更変わったところでもう手遅れだ。曖昧に答え、もう出ていこうとドアノブに手を伸ばすと、後ろから声がかかった。
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