5 君に花束を
ある朝早く、兄を起こすためにドアをノックすると、龍は既に起きていて本を読んでいた。
「また医学?」
「うん、おはよう」
龍はよく本を読む人だった。十四には難しそうな本を、なんとか咀嚼して無理やり詰め込んでいるように読み耽っている。最近は人体や医療についての知識を渇望しているようだ。こっちが何も有用な返事をしないことを分かっていながら会話のような独り言を垂れ流すことも多くなってきた。
ただ、それでなにか分かったかと聞くと、毎度「何も分からないよ」と苦々しい顔が返ってくる。本を読んだ程度で本業が分からないことが分かるわけない、と俺は苦手な読書を早々に諦めたのに、龍は本好きだからなのか自分ならわかると思っているのか足掻き続けていた。
「今日叶の誕生日だよね。行くだろ」
パタンと分厚い本を閉じて息をついた。そんなに疲れるなら研究《《プロ》に任せればいいのに。
「ああ……」
折角今日は一年に一度だけの記念日だというのに、あまり嬉しくなれなかった。いくら現実逃避をしても、今日会いに行ったら死んでしまっているかもしれないという不安がこびりついている。本格的にベッドから動けなくなった最近は特に顕著だ。
「そういえばフィフティ、プレゼント決めたの」
「あっ! やっべぇ忘れてた……どうしよう」
叶は花を育てるのが好きだ。動けていた頃はいつだって村の全ての家に様々な花を植えていた。花を見ている時の叶はとても幸せそうで、横顔を見ているこちらまで嫌なことを忘れられる。
「……花ならなんでもいっか」
名前くらい知っておけばよかった。好きな人の好きな物を知っておくべきだったし、なによりこれが最後かもしれないのだから。
「行ってくる」
「あっ、おい!」
いてもたってもいられず、朝飯も食べずに家を飛び出した。誕生日にはなにか素敵なものを贈りたい。好きな人の好きなものが分からないのなら、できるだけ綺麗なものを。
冷房の効いた家を飛び出して灼熱地獄に躍り出る。以前より更に寂しくなった、茶色い花壇や洗濯物のないベランダを横目に駆け抜けて、最高のプレゼントを目指す。
右へ左へ過ぎていく景色に花は一輪もなかった。ひと月前までは姿がなくとも若干人の気配は感じられたのだが、花が枯れているだけでこうも寂しくなるものなのか。
西ブロックまで探し回り、ようやく無人になってしまった家の花壇に色とりどりの花が咲いているのを見つけ、息を整えながら傍にしゃがむ。ほっとして無いセンスを一所懸命に振り絞り、叶に似合う黄色の花を摘み取って握りしめた。
「フィフティ! 今度は何やらかしたさぁ!」
「はあ? なんもしてねえし!」
立ち上がって振り返った時、道路の反対側からちょうどベランダに洗濯物を干していたババアに怒鳴られた。あの人は顔を合わせる度にすぐ怒鳴り散らす。白髪を指摘したときが一番耳障りだったのでもう触れないことにした。
「寂しいから人に絡みたいだけだよ」と龍に聞いてからはイライラしなくなったが、それでも鬱陶しいことには変わりない。
「なんもしてねえ事はねえさ!」
「るせえ!」
ベーっと舌を出して駆け足でその場を去った。うーん、やっぱりあのババアは顔を合わせるだけで十分だ。
「うっそだろ」
右手の花はあっという間に項垂れてしまった。流石にこれを貰っても嬉しくないのは花に興味がなくても予想がついたので、適当な花壇に横たえてコップを取りに帰ることにした。もうちょっと長く持ってくれたら良かったのに、なんて貧弱なんだろう。
「……ん?」
道中汗で張り付く前髪の隙間から左を見ると、村の入口で白衣の男性二人と龍が話しているのが見えた。
研究所の人達だ。彼らは物資をくれたり別の村の話を持ってきたりする知的ないい人達だ。おかげで医者にかかることができるし、村にはない衣類や電気を使うこともできる。
龍は今日も病についての研究が進んでいないか聞いているようだ。彼らも最大限頑張っているのだから責めたところでこれ以上早く結果が出ることは無いだろうが、毎日毎時間「家族は助かるの?」と聞きたくなる気持ちは確かに分かる。
話し終わって帰宅しようとする龍に向かって高くあげた手を握ってすとん、と下ろす。俺は龍と違って頭が良くないが、あの顔の意味することが「収穫無し」だと言うことくらいは分かった。重い空気を移されたくなかった俺は、龍が入口を振り返って立ち尽くす隙に逃げ出した。
家に帰るとさっき怒鳴り散らしたババアが朝ごはんを持ってきてくれていた。龍はまだ帰ってきていなかったのでババアが「寂しいね、一緒に食べてやるさ」と言うので追い払う。ガキじゃないんだから一人でも寂しくない。
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