3章 終の希望

1 過去への依存

 ――新暦四百三十四年、八月十六日。

 暑さの残る晴天だったのをよく覚えている。西の空は不吉な緋色に染められていた。

 必死に走った。

 連なる建物から黒い煙が立ち上り、空の彼方へ散っていく。ひとつ、またひとつと大きな爆発音がして家が弾け飛び、バラバラと落ちる石の間から焼け焦げた家庭が露出しては一瞬で灰へ帰した。

 昇る煙は炎を連れて、炎は家族と思い出と共にそらへ帰る。

 何度も振り返りながら、走った。

 背中を押され、何度も転びながら。


 ――その日、俺達は全てを失った。




 新暦四百四十一年、春

 自室の机の上で拳銃を一度バラバラに分解し、ブラシでホコリを軽く払ってもう一度組み立て直した。飾り気のない漆黒の銃を眺め、首を捻ってせっかく完成したそれをもう一度バラバラにする。トリガーガードの前方がまるっと欠けていて、指が引っかからずに脳天に穴をあけられる、ここ最近の愛銃だ。

 完成品を眺め、ゆっくりと瞬きする。組み上がりが気に食わなかった訳でもない。出来栄えは文句なし。

 もう一度。意味もなく分解して無駄な動作なく組み上げる。構え、下へ息を吐いてまた崩す。そうしているうちに日が暮れた。

「あぁ……」

 窓の外を見て気がつく浪費した無駄な時間に大きなため息をつく。

 なにかしていないと落ち着かなかった。凶器を触っていなければ余計な雑念が生まれ狂いかける。そうだ、これも全て一葉のせいだ、と人の所為にしてみる。あの雪の日危険分子を拾わなければこんなに不安になることはなかったはずだ。

「引き篭ってれば良かった……」

 一葉と手を組んだことに後悔はない。むしろこれでよかったのだと理屈ではわかっていた。自分が人を殺すことに躊躇しないと言うことも知れたし、賭けに勝てばあいつは最高の仲間になる。

 戦ったことのない自分がたった一人で敵の本陣に乗り込むなど自殺行為だ。せめて背中を守ってくれる人がいなければ不安だし、それでも奇襲をかけて相手がパニックに陥っている間に全滅させられるかどうか、と言った具合だ。

 背中を守ってくれるはずだった龍が死んでからは絶望的だった。名前の通りの希望の終わりをひしひしと感じながらただ月日だけが過ぎていく。銃器の類の用意は着々と出来ていくのに、それを持つ人が自分しかいない。それでも諦めることも出来ず皆の最期の顔を瞼の裏に映しながらのうのうと三年も生きた。

 いつからか感情を動かすことをやめた。おかげで辛く無くなったが、一葉と会ってもうからは全身の血が沸騰するほどの憎悪と孤独感が身体を支配した。生きているのが苦しいと思ったのはいつぶりだろう。意味の無いことをただただ繰り返して気を紛らわせていないとおかしくなりそうだった。

 更に十数回銃を組み立て、ようやくこの作業に嫌気がさした。こんなことしていたってその分あいつらの寿命が伸びるだけだ。別のことをしよう。

 机の引き出しに銃をしまい、代わりに机に一番近い本棚に仕舞われた一冊のノートの背表紙に触れた。他の本は全て本棚から出され、山のように積まれている。一葉によるとこれを「部屋が散らかっている」と言うらしい。

 あいつがいたら「片付けろ」と怒るのだろうが、俺だって全ての本を粗末に扱うつもりは無い。大切なものはきちんと保管する。

 比較的新しいノートを棚から引き出して机に置く。深緑色の表紙には題名も何もついていないが、その内容は鮮明に思い出せる。ただ、開く勇気はいつも無かった。

親指と硬い表紙にかけ、また棚に戻そうか、それとも開こうか迷うこと数十秒。そうしてようやく過去に縋り付くことを決めた。


 これは自分が書いた日記。書かれているのは五年前、十四の夏のことだ。

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